見出し画像

” 神様 ”によせる「光と闇」《後編》

” 神様 ”によせる「光と闇」《前編》 を先に読んで頂き、その続きとして読んで頂けたら嬉しいです。

前編では、光と闇の「闇の部分」を愛新覚羅ゆうはんが書かせて頂きましたが、誰にでも「やさぐれていた時期」「暗い時代」があるものです。そこで、黒川さんにも書いて頂きましたので、人となりもお楽しみください!

画像1


およよっ! 暗い十代の話ですか。そりゃありますよ色々。

親が年を行ってからの子なので、父親と歳が四十離れていると、ジェネレーション・ギャップで親が何を言っているのか、全く分からないことがあった。色々連れていってはくれたけど、父は戦前の東北生まれで野球をしたことがなかったようで、親子でキャッチボールとかしたことがない。

親が地方からの上京者で地縁が薄い。上の兄弟がいないから、上から流行りを教わることもない。二度引っ越したから幼馴染もいない。私は故郷喪失者ですよ。

新宿の近くで育ったから、新宿中央公園はあったけど、近くに遊び場がなく建設予定地の空き地に入り込んで遊んでいたけど、すぐに建物が出来て、毎回のように遊び場を移動する。子供心に広場の概念がなかった。神田川に入って、マンホールで度胸試しとかしたな。 

画像2


ごみごみした都会で育ったので、植物の習性とか全く知らない。神道とか民俗文化について語っているのに、自然に対する知識がないと驚かれるが、生まれた環境でシティーボーイだったからなのです(笑)。

幼少期のマンホールに入って度胸試しをした時の感覚は、沖縄で洞窟に入った時の感覚とそっくりで、後にデジャビュに襲われたんですけどね。

平成2年から神社参りをしているけど、初期の2年間は成田の麻賀多神社周辺しか廻っていない。江戸時代から、ほとんど人が訪れていない藪になった場所を探検した。夕方藪から出てきたら、地元の人に驚かれて、そこは「ハブが出るぞ」と注意されたけど、へっ?と自然への無知と探求心の塊だったから平気でそんなことしていた。

画像3

藪の密集した雑木林を探検すると、森の中には獣道の他に風が通る道があって、自然に吹く風が作った小道があり、そこを通ると風にそよがれながら心地よさに浸っていた。藪の中を数十m進むのに30分とか1時間とかかかった気がする。GPSはなかったから直観だけが頼りで藪の中をさ迷っていた。

後に沖縄で御嶽を探して巡った時に、同じ感覚だったのを20年以上ぶりに思い出した。地元の人も忘れたような御嶽を探し出せたのは、あの時に身に着けた能力故だった。案内してくださいとか言われると、この感覚がないと一緒に御嶽巡りは難しいと思う。正直、勝手に足を踏み入れると道に迷って遭難しますよ。久高島でも森で迷って遭難しかけたことがあるから。

画像4

「見えた聞こえた」の霊能力は生まれ持ってないが、気配には敏感なつもりだ。

やさぐれてた時期ね、これはあります。

10代の時に放課後サッカーで腰を捻って痛めてしまい、1年以上放置してたら、椎間板ヘルニアになってしまった。当時は椎間板ヘルニアの治療法は確立されてなかった。背骨に補強の鉄板入れるのは勘弁と思った。ちょうど都内から郊外に引っ越して、30分でどこでもいける環境から、片道1時間半の陸の孤島に強制リセットされた感じ。 

神経の刺すような足の痛みに悩まされたが、気晴らししないと意識が持たないので、数年は精神世界の本を読み漁っていた。治療の通院をしながら、自己の内面を照らしてみる時期だったかもしれない。腰の治療に関しては、通常の整骨院の治療に限界を感じたので、自分で色々な治療院を探して通ってみたりした。

画像5

その中に当時TVにも出ていた東中野の骨法整体を知って、都合2年間通うことになった。整体治療に2年間通う中で、かなり回復が見られたので、そのまま骨法武術館に入門することとなった。時代が切り替わる平成元年のことだった。

人には、平成2年から神社に廻っていますと自己紹介するが、実際は平成元年に武道から始まったのだった。当時は筋肉ガチガチの剛力武道から、脱力、螺旋の伝達、発勁(はっけい)が認識されるようになった時代だ。古武道の身体の使い方は、明治時代以降の西洋式の身体の使い方と全く異なる日本人古来の身体の使い方であり、筋力を螺旋に使う動きは、椎間板ヘルニアで痛めた腰の回復に非常に有効だった。鍛錬すると体の調子が良くなるのだ。この螺旋の振動が、古神道の魂振りの動きと同一なのだが、私が初めて身体技法を学んだのも、骨法を通してだった。

修行は誰が言ったか、まさに「虎の穴」状態で、毎月40名が入門して一月で半分に減り、3カ月で5名、半年で2名しか残らなかった。3か月の時、よく残ったねと褒められた。 

私の時代は打撃技が中心だったが、掌握術という立固め技が中心の教授になり、全く別の武術体系になってしまった。これには正直面くらった。打撃技主体の時は、教授が合理的革新的だったが、掌握術の教授は同じ合理性が私には認められなかった。掌握術自体は革命的な技の体系だったが、教授システムが追い付いていないように思われた。掌握術で落ちこぼれたのがあり、1年半の在籍で私は骨法を辞めた。

だが武術の見方は、私の意識の根底に形成されたといって過言ではない。 武道で培った意識が、後に鎮魂法の修行でとても役立つこととなった。

黒川柚月


書籍用スライド

【 黒川さんの後編を読んで、愛新覚羅ゆうはんから一言 】

ほぉ~、黒川さんにも、そんな時代があったのですね。

面白いのが、黒川さんも10代の時に腰辺りを痛めていて、実は私も学生時代に身体の成長が原因で、競泳で腰辺りを痛めていますが、水中と陸上では、痛め方が違うのかな~なんて想像してみました。

画像7

筋力を螺旋に使う~という流れは、水泳もまさにそうで、バタ足は安定した螺旋を描かないとお尻は沈むし、足首をばたつかせない(水しぶきを出来るだけあげない)で綺麗なドルフィンをしないと、息つぎが上手くいかないように、この「螺旋」というのは「人体の軸」として大変ポイントになると感じました。

気晴らしに「精神世界」にふけったことも興味深い。漫画とかゲームとか、じゃないのですね(笑)。潜っていた精神世界の違いから、何を「美」とするかの感受性の違いもここにあるかもしれないな~ということに気づかされたかな。また、武道と古神道や鎮魂法の修行まで色んな経験が繋がることも気になりますね。

画像8

そうそう、麻賀多神社といえば、成田の有名な神社。黒川さんに案内して頂くまで、長く住んでいた地元にこんな由緒あるところがあったとは、、、と驚愕。

人の運命の悪戯というのは、何かが仕組んだのか、、、生まれる前から決めてきたのかと、感慨深いものだ。

画像9


はじめていらした方は必ず「白い山に黒い川について」の記事をご一読くださいませ、よろしくお願い申し上げます。




全国 (時には海外) に出向いて御神事をさせて頂いたり、取材をしては皆様の魂に響く ♡ 有益な情報を粛々と集めています。サポート頂いた愛は、神事活動や取材に役立てたり、神社へ寄附をさせて頂きます。