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” 神様 ”によせる「光と闇」《前編》

前回のテーマでは「神様ってなんだろう?《前編》《後編》」について二人で書きましたが、その続きとして読んで頂けたら嬉しいです。

なぜ私たちは、困った時、叶えたい想いがある時、特に強く「神様」に気持ちをよせるのだろう?ということも気になりませんか。

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神様は実際には目にみえない、両想いか一方的な片想いかもわからない、それなのに、頼ろうと、縋ろうと、気持ちをよせるわけです。

もちろん、宗教・思想、自然崇拝(精霊崇拝)~偶像崇拝に至るまでの経緯は歴史の流れとして理解はしていますが、目に見えないものを拝む・祈ることで、どうにかしてもらえるかも~という ”懇願” は、俯瞰してみると《依存傾向》が強いとも思えるのです。

感謝や習慣としての祈りがあるように、欲望の願いにもさまざまな「光と闇」があるでしょう。

次号から、私が幼少期に出会った「神様のお使いのようなモノたち」や「出生について」などのお話を書いていくにあたり、少しだけ、、、この「光と闇」の「闇の部分」について、まずは書かせて頂こうかなと思います。

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実はわたくし、これから有神論を描いていくというのに、無神論の時期も長くありました。うーん、今でも等しく常にある、が正解かも、、、

というのも、、、

「本当に神様がいるなら、私をこの無間地獄から救ってくれよ!」

と、過去、やさぐれていた時期があるからです。これって、皆様も一度や二度は「不公平、不条理、不平等」といった矛盾を感じて「なんなんだ!」と奮闘し葛藤した経験、あるのではないでしょうか。思い通りにいかないことで、神様にお願いをしてみたけれど、、、

神社で祈ってもお金は空からは降ってこないし
仏壇に手を合わせても亡くなった方が生き返るわけでもないし
願かけしたからといって相思相愛になるわけでもないし

嫌な日常から逃げたくても、神様は思い通りに生かしてもくれないし、簡単に死なせてもくれないわけです。

「だから、神様はいない、嘘つきだ!」

とも常々思っていました。

神聖なものに対しての抵抗や、ちょっとした反抗期、みたいなものでしょうか。こういった世界に興味がある方なら、一度は通ったことある「道」みたいなものなのかもしれません。

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そんな小学生時代は、図書館に行っては世界の宗教学を読む傍ら「宗教改革」に関する本も読んでいましたね。

来日してから、白金にあるカソリックの幼稚園に入園し、クリスマス会でマリア様役をやった経験がある私にとって、マルティン・ルターの宗教改革なんかは大変興味深かったです。

歴史が変わるときや、次元上昇するときには、各々の正義を振りかざしながら、何かしらの「革命と裁き」を激しく命をかけあって執り行うもの。それが法を動かしたりと、この繰返しの進化で、今の私たちがいるのも事実でしょう。

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そんな若さゆえの苦悩や家庭環境から、生きることが苦しかった頃(やさぐれていた時期)は「人」であることを一日も早く辞めたい思いでいっぱいでした。今の私からは、皆さん想像がつかないと思うのですが、、、生きづらさが息苦しさに変わっていき、空気さえも悪魔だ!と水の中に潜って息を止めては自殺まで考えたときもありましたが、長い潜水(元競泳選手です)が得意になっただけで(苦笑)。

「完全自殺マニュアル」の本を中学時代に読んでもみたけれど、どれも痛そうで楽には死ねないなと、、、結局自殺をする勇気もなく、10代ながらに行きついたことが「誰かを殺して少年院に入れば、今の日常からは逃れられる」とお恥ずかしながら、ギリギリの精神状態で苦悩していた時期もありました。

人って追い込まれると「死にたい」から「殺したい」に変わるもので、きっとそれさえも越えた先(世界)が早く知りたかったのだとも、今は思うのですが、どうやら想像力はあったようなので、結果、芸術で解消していくこととなったのです。

魔がさす、と言いますが、まさに想像力を失った、悪魔、でも当時は憑りついていたのでしょう。

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その時によく聴いていた曲のひとつに、

「暗い日曜日」という「自殺の聖歌」があります。シャンソン歌手がよくカバーしています。元々シャンソンが好きで、ジュリー・ロンドン、エディット・ピアフをベースに色々聴いては、自分でも歌うのが好きでした。

辛い、苦しい、悲しいときは、シャンソンが慰めの曲でもあったけれど、当時の私には「呪いの歌」という存在でもありました。

誰かを呪ってやりたい、神様を呪ってやりたい、世界を呪ってやりたい

当時はこれが一種の御守りであり、呪詛であり、聴いて、声をつかって身体に響かせては、どうにか心身に溜まった人としての《 闇 》を消化したかったのだろうと、今では感じるのです。

底なし沼だろうが闇にどっぷりと、自ら飛び込んではあがき、そこに至るまでの”肉体的×精神的“な苦行を強いられた人間が行きつく思考はどこまでも極端なものでした。

しかしこの経験が、私の《 光 》に気づかせ、生み出すためには避けては通れない、とても大切なプロセスでもあったのです。

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相談業を長年やってきたのも、このプロセスのおかげでしょう。闇から逃げない、飲み込んで消化をして、全てを許す。だからこそ、苦しんできた、トラウマを大人になっても持ち続けている、社会で生きにくいなど、傷をおった人たちの心に寄り添えるようになった今の仕事を誇りに思っています。

結局、私たちは何かに「依存(パラサイト)」しないと生きていけない生き物で、何かに「執着(タナトス)」されないと死にきれないように、毒と言われて避ける人がいれば、興奮して聖水のように思うものもいるように。

この陰陽の「紙一重」の狭間を知ってからは、随分と生きやすくなり、悩みがなくなったものです。

よく父がこう言っていた。

「若いころ苦労をして、晩年楽をするか、若いころ楽をして、晩年苦労するか」

この言葉の意味が当時はわからなかったけれど、今ならわかる。

私たちの運命に「不公平、不条理、不平等」なんて、そもそも宿っていなかったことに。

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若いころの闇が、強烈な光をうむ時、その運命のインフレーションに気づかせてくれたのが、もしかしたら ” 神様 ” なのかもしれない。

つまり、私たちが神様に気持ちをよせるのは、そういうことに気づきたい(気づかされる)からともいえるでしょう。

では、そんな悪魔とガッチリ契約を交わして、消化していった私が、なぜこの世界に導かれていったのか、その経緯もまた次回からゆっくりとお話していきたいと思います。

さて、黒川さんにも「やさぐれていた時期」はあったのでしょうか? 同じテーマで後編につづく、、、

はじめていらした方は必ず「白い山に黒い川について」の記事をご一読くださいませ、よろしくお願い申し上げます。

愛新覚羅ゆうはん

全国 (時には海外) に出向いて御神事をさせて頂いたり、取材をしては皆様の魂に響く ♡ 有益な情報を粛々と集めています。サポート頂いた愛は、神事活動や取材に役立てたり、神社へ寄附をさせて頂きます。