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普通じゃなくてもいい、自分が自分であると確信が欲しいだけ。


っていつもいつも思うのだ。

双極性障害の気分の波がくる度に思うのだ。

特に躁状態から鬱に転落していく時期。時期というか、波が激しいので数日から1週間単位で躁鬱が入れ替わるので、時か。

分かってる。上がったら下がる。増えすぎたら生成過程にブレーキがかかる。ホメオスタシス、動的平衡に基づいた生物の身体は正直だ。気分だって脳の病気なんだから、ホメオスタシスに従うのは不思議じゃない。

けど。私の身体なのに、って思うのだ。

つい昨日まで、読みたい本をたくさん読んでいて、何かよく分からないけど笑顔が溢れていて、健康のための筋トレも軽く始められたのに、今は。ぜんぜん、だめなのはどうして。生きられるかも、とか希望が見えてもすぐに鬱の波に流されて見えなくなるんだよ。死にたくて泣き続けて、どうしてこんなんにしかなれないのって絶望してODしたりベランダから飛び降りようとする自分を見てうんざりする。その繰り返し。

それが疲れる。それに疲れてきたの。

私は誰。何を望んでるのかもわからない。躁状態の時にやりたかった事は、鬱になると興味すら湧かなくなる。向き合う気力もない。そんなレベルのやりたかった事なんだ、って思って目を閉じてしまう。

生きようと思っても、脳が死にたいと叫ぶ。私は自分が分からなくなってる。

何ひとつ、躁状態や平常時に決めた小さな事ですら鬱になれば出来なくなる。自分の身体に嘲笑われているみたい。お前は何も出来ないよ、死んだ方が良いんだよって。

だってお風呂も入れなくなる。洗濯してもらった物を片付けられなくなる。ご飯も自分では気力が無くて作れないのにお腹は空く。ベッドから起きる事すら出来ない日があって、勿論服なんて着替えられない。部屋着で過ごすしかない。典型的な引きこもりみたいで悲しくなる。惨めだ。


どうしてどうして。ねぇ、どうして。普通になりたいなんて今更言わない。双極性障害持ちならそれでいいから、だから。私を私でいさせて。自分で自分が信じられないのは嫌。

いつか私が再度就学や就職をする時、多分それが出来る気力があるのは躁状態の時。
そこで初めの一歩を踏み出しておいて、鬱転したらどうなる?最低限の日常生活ですら何も出来なくなる状態で、仕事や勉強なんて続けられない。じゃあどうすればいいって言うの。躁の時はやりたい事をセーブする必要がある。鬱の時は無理せず何もやらない事を心がける。そんな事を繰り返していたら、現代社会のリズムに乗れないまま。安定した生活を送れないじゃない。

生きづらい。双極性障害と付き合うのはまるで情緒不安定な恋人と付き合い続けるようなものだ。恋人の性格は受容しているけれど、恋人が荒れた時にふと、あなたといるのは疲れる、と感じるような。直接は言わないけれど。

恋人で思う事だが、私には普通に恋愛願望が最近ある。でも双極性障害の手に負えない自分の波を思っては、諦めて首を振る自分がいる。よっぽど双極性を理解してくれている人なら話は別かもしれないが、精神病の当事者でない以上、フォローを期待しすぎるのはお門違いというものだ。やはり最終的には、私が8割ぐらいは波をコントロールできる状態であるのが望ましい、と思う。付き合う以上はどうしてもお互いに影響を与えあってしまうから、気分の波を上手く受けとめてくれるとしても、出来るだけ負担を軽くしてあげたい。


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主治医曰く、双極性障害においては気分低めの安定がその人の普通の状態らしい。ネットにも書いてあったな。

でも去年夏あたりからつけている気分の波の記録を見ても、今のところその低めの状態で安定した日数は少なすぎて笑ってしまう。保って2、3日程度だ。

記録を見てため息をついた私に、安定した状態は今はまだ難しいかもねぇ、と慰めるように主治医が言った。
じゃあ他にどうすればいいの、とボヤいた。主治医は瞬きをして、ユエさんはもう出来る事は全部ちゃんとやってると思うよと言ってくれた。うん。分かってる。波を小さくする、あるいはさざなみを立てない事の大切さを実感しているから。波が揺れて不安定で苦しいのは自分だもの。本当に。

だから、だからね。これ以上何をすればいいのか分からないの。やれる事全部やっても、鬱に入ったとき。暗い寒空の下に下着で放り出された時を思い出す。寂しくて、悲しくて泣きながら自分の手のひら見つめてなんでか笑ってた。ああ結局だめ。どんなに考えてやれることをやっても、だめなの?どうして私の身体なのに私の言うことを聞いてくれないの、って。自分は自分自身ですら思うようにならない、無力すぎる絶望感が胸の奥底からじわじわと身体全体を侵食していくみたいで、それを分かりながらボーッとその流れを傍観するだけ。

足掻いても堕ちていく。複数の振動波が重ね合わさり作り出すような巨大な波にさらわれて。双極性は、波の上下に繋がる要因が普通の人より多いように思う。元々精神病になるような人は、自分含め外部の刺激に敏感で耐性が弱い人だろうからしょうがないけど。


もう全部辛いの。しんどいの。ああ、死にたいなぁ。

けど、死ねない。たくさんの人と死なない約束した。
「命」に関する約束とその他の約束では、なにか違うように感じる。
約束する相手が、自分にかける信頼は強く温かく、心理的に強く結びついているような。

死なない。この意思は本当に自分のものだから、ここに書いておく。
ここ1週間ほど躁転していたので恐らく近いうちに鬱転してしまうだろうけれど、もう最低限死ななければいいと思うことにする。今はそれしか出来ない。

自分が自分でいられること。それが私の目指す寛解状態。それまでは波に一進一退しながら、一歩ずつ「自分」がどうありたかったか振り返って確認していけば、自分を完全に見失うことはないと思っている。



2021.8.15
ユエ


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