16.「天沼、きみと秘密基地」

「天沼、きみと秘密基地」

かわいいねとかすきだよとか。
きみのくれた言葉を全てかき集めて押し花みたいにずっと保存しておきたかった。
「なこと付き合えたことがオレの人生の1番のファインプレー」
……なんて言われたときは笑っちゃったけど、すごく嬉しかったのを覚えている。

きみと出会ったのは、まだわたしが22歳のころ。
きみは28歳、仕事を辞めたばかりの自由人だった。
天然パーマのくるくるの髪にパッチリした目が印象的なきみは、高円寺の小さな古着屋さんで働き始めたばかり。
夜中にギターを弾いていた。
わたしは天沼に住んでいた。
きみは大山の家には全く帰らず、わたしの家にずっといた。
きみの口癖は「ずっと一緒にいたい」

きみは、田舎の父が会社を営んでいるからというのを理由に、自由気ままに生きていた。
いずれは納まる場所のあるお坊ちゃんだった。

相変わらず夜の荻窪駅の駅前にはガールズバーのキャッチの女の子が並んでいる。
わたしは改札を抜けて地上出口への階段を抜け、キャッチの女の子たちを横目に居酒屋が並ぶ駅前通りを抜けていく。
横断歩道を渡って橋を渡った先にわたしのマンションがある。
コンロは1口しかないが、綺麗なブラウンレンガの賃貸分譲マンション。
1K7万5000円。
きみとわたしの秘密基地。

わたしが家に着くと、薄情なきみは既にピザを完食済みだ。
デリバリーではなく店舗に取りに行くことで半額になる。
そんな、きみの心得はまあ合格。
ただし不合格な点はいくつもある。
休日は寝てばかりなところ、合鍵のないうちの鍵を持ったまま外出をしてわたしが家の外に出れなくなるところ、下北の古着屋で買った軍物のライナーをわたしに貸さずにメルカリで即売却するところ……など。
でも、実は仕事で帰りの遅いわたしのためにアンチョビピザをしっかりラップにくるんで冷蔵庫に入れておいてくれるのだ。
だから、チャラにしてあげている。

でもきみは、わたしの匂いを全て嗅ぎ分けてはくれなかった。
本当はモワモワの空気をかき分けて、わたしの汚いぐちゃぐちゃの泥を全てきみに見て欲しかった。
育ちの良い優しいきみの瞳が曇るのを見たかった。
きみの田舎の花火大会を、きみの父親が顔を利かせて取ってくれるとかいう特等席で観る気には到底なれなかった。
わたしには似合わないから。
仕事を理由に、わたしがその誘いを断った後のきみはすごく寂しそうで、かわいそうになった。
だが、かわいそうな表情をするきみを、わたしは少し期待していた。
わざとらしく困った表情を浮かべて、きみのくるくるでフワフワの髪をくしゃくしゃに撫でた。
こういうときに、寂しそうに見上げるきみの瞳を見下ろすのが好きだ。

きみと、ようやく視線を合わせられる気がするから。



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