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そのとき大女優が泣いた。

パソコンの向こうで涙ぐんでいる大地真央さんを見て私も泣いた。

帝国劇場のステージに立っていた彼女は下りる幕に目をやりながら、その美しく大きな目を潤ませた。向かうところ敵なしの大スターが。何千回、何万回と目にしてきたであろう「当たり前」の光景を前にして。「一人も欠けることなく千穐楽の幕を下ろすこと」は特別なことなのだと誰もが感じずにはいられない瞬間だった。こちらもパソコンの前から届くはずもない拍手を手が真っ赤になるまで送り続けた。

このコロナ禍で大好きな舞台や俳優に対する想いで大きく変わった点がある。自分にとってどんなに魅力的な作品やいつも応援している俳優の舞台出演が発表になっても心が躍らなくなった。「楽しみ!」という言葉が出てこなくなった。その頃、どうしているだろうとぼんやり思うだけ。楽しみより先にそのときの状況や応援している俳優のことが心配になるだけ。

俳優は舞台に立てば収入が得られる。そして、生きる気力も。仕事――ちょっとした緊張感とともに活動することがどれだけ張り合いに繋がるかは私のようなしがない会社員でも感じること。ましてや毎日のようにスポットライトを浴び、見られてナンボの人間から人の目に触れられる機会が奪われたら……言わんをや。その意味では喜ばしく思う。

しかし、ステージ上のことは心配だ。新型コロナ対策が意識されているならともかく、今まで通りの演出で展開されるステージはやはりずっと心配なのだ。感染したのち後遺症との闘いはもちろん、その人がきっかけでクラスター発生、なんてことになっても嫌だ。行動を振り返った際に重箱の隅を突かれて叩かれるかもしれないし、そんなことで知名度が上がってほしくはない。複雑である。

複雑な心境であること、できることだけでもやろうと思うことは俳優も同じ、いや、それ以上、だろう。どれだけ稽古を積んでも中止になってしまうかもしれない。手元に残るものでもない。ただ消えるだけ。それでもやるしかない。一瞬で消えてしまう可能性があるもののために頑張るには、ギリギリの闘いを勝ち抜くには、底なしの情熱が必要だ。きっとそれこそが冒頭で書いた「大地真央さんの涙」なのである。大劇場のライトに照らされ、大きな瞳の中で輝いていた。よく晴れた日に揺れている、美しい湖の水面のようにキラキラと。

応援俳優の舞台が勢いよく発表になったり、さりげなく匂わされたり、そして延期が決まったりもする9月のはじまり。
やるも地獄、やらぬも地獄。どちらの決断を下したとしても応援はしたい。舞台に立つと決まったのなら何事も起こらないように祈るのみだ。
しかし、我が心の湖には霧が。差しかかったかと思えば、すっと消えたり。“ファン”心と秋の空、なのである。

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