浜木綿

編集者。都内在住。食、旅、舞台鑑賞。 ■Instagram http://instag…

浜木綿

編集者。都内在住。食、旅、舞台鑑賞。 ■Instagram http://instagram.com/yuarehappy0731

マガジン

  • 行き当たりばっ旅

    唐突で無計画な一人旅。だからこそ出会えた人やものについて。

  • おとん、おとん、ときどきおかん

    ひたすら無口だけどなぜか愛されていることは伝わってくる父の話。ときどき母も。

  • ちょっとした幸せ

    なんでもない日常で幸せを感じるためにできることについて。

最近の記事

  • 固定された記事

「誰かのため」は忘れるくらいがちょうどいい。ーーおにぎりが教えてくれたこと。

誰かのためになりたい。 なんていうと大袈裟だけど。 自分のしたことが誰かのためになったらちょっと嬉しい。 そう思わずにしたことが誰かのためになっていたらもっと嬉しいーーー。 己のことばかり考えて生きている私が何年も続けている「誰かのため」がある。 「おにぎりアクション」だ。 これはNPO法人「TABLE FOR TWO International」によるプロジェクトで、「おにぎり」の写真を各種SNSにアップすると、1投稿につき給食5食分(相当の寄付)がアフリカ・ア

    • 人はなぜパネルから顔を出すのか――「広瀬すず」になってわかった1つのこと。

      あなたは「顔出しパネル」で記念撮影をしたことがあるだろうか。 突然されるような質問ではないが、驚かずに振り返ってみてほしい。 「顔出しパネル」、それはキャラクターなどが描かれた看板の、くり抜かれた穴から顔を出して撮影するアレだ。誰でも人生で一度くらいは経験があるのではなかろうか。観光地に行けば必ずといっていいほど遭遇する。むしろ遭遇することなく旅先を後にするほうが難しい。 ■それは「おひとりさま」最大の敵 利用するには最低でも2人の力が必要だ。撮る人と撮られる人。であ

      • 耳をすませば――「人生」を教えてくれる食材たちの声。

        今日のごはん。 どちらも同じ食材で作った料理である。 同じ食材でもどう作るかで全然違ったものに。 どう魅せるか、を考える。 これこそが私の生業、「編集」である。 ・ 某月某日。 午前のロングミーティングせから解放された私は点呼を始めた。 「さつまいも!」 「えのき!」 「たまねぎ!」 「にんじん!」 「アボカド!」 「トマト!」 「鶏肉!」 それと…… 「ごはん!」 呼び出されし者たちがいそいそと姿を現し、キッチンに出揃ったところで調理を開始する。「キッ

        • ペンの赤を300円で消した洗濯店

          夏には眩い白の上をペンの赤がシャーッと走った。 私の顔は青ざめた。 子供のテスト採点をしているわけではない。 お気に入りの白いトップスにペンの赤インキがついたのだ……。 赤いペンなんて使うのは仕事のときだけ。 これはもうちょっとした「労災」である。 繰り返すが、お気に入りの服である。安物ではあるが、着心地がとてもよいのだ。 私はパソコンを立ち上げ、おばあちゃん、ならぬ、人類の“知恵袋”を探す旅に出たが、「落とせる可能性は限りなくゼロ」の情報を得るのみで終わった。

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        「誰かのため」は忘れるくらいがちょうどいい。ーーおにぎりが教えてくれたこと。

        • 人はなぜパネルから顔を出すのか――「広瀬すず」になってわかった1つのこと。

        • 耳をすませば――「人生」を教えてくれる食材たちの声。

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          3本
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          2本
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          8本

        記事

          父がまた「仕事はどうだ?」しか聞かなくなった。

          「父の日」に顔を見せに帰ったが、父はただただ数独に没頭していた。 「仕事はどうだ? うまくやっているか?」と聞かれたので「まぁ、ぼちぼちね」と答えたら、「それはよかったな」とだけ返ってきた。 まだまだ油断できないご時世である。今までのように頻繁に帰省できない中、顔を見せにきたというのに。次に会えるのがいつかもわからないのに。 父と私にとっては安定のやりとりである。父は娘の私が元気で楽しくやっていることを確認できればそれで満足なのだ。昔から細かいことをやいのやいの言わない

          父がまた「仕事はどうだ?」しか聞かなくなった。

          「ファ#」が消え、「ド・ミ・ソ」が重なる明日を願って。

          「ソ」と「ド」と「ファ#」。 今、絶賛上映中の映画『WEST SIDE STORY』。巨匠レナード・バーンスタインが手がけた本作ナンバーの多くはこの3音がベースにあるのだという。 安定感のある「ソ」「ド」に、不安定な「ファ#」を続けて対立のヒリヒリ感を表現。 中でもラストシーンは安定感のある和音「ド・ミ・ソ」と不安定な和音「ソ・ド・ファ#」が交互に繰り返される。平和の訪れを予感させつつも、簡単には訪れないことを示しているーー。 これは、バーンスタイン最後の愛弟子である

          「ファ#」が消え、「ド・ミ・ソ」が重なる明日を願って。

          1月3日、私はツタンカーメン王の墓を発見する。

          2022年1月3日。 私は横浜の実家にいた。 帰りにマンションのエレベーターで1階に向かうとき、決まって「今日は何の日」を眺める。 「ツタンカーメン王の墓発見」 もっと何かあっただろう。 突っ込みながらスマホを取り出し、カシャッと撮った。 最近写真フォルダを整理していたら、2020年1月3日の写真が出てきた。 もっと何かあっただろう。 私も私である。 実家で1月3日を迎えるたびに撮っている。 「ナントカの一つ覚え」というやつである。 ーーーーーーーー

          1月3日、私はツタンカーメン王の墓を発見する。

          言葉はおいしゅうなる。それはあんこのように。

          今期の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」の視聴後。 きっと私だけじゃない。 決まっておはぎが食べたくなる――。 和菓子屋で生まれ育った主人公・安子と彼女を取り巻く人々。想い合って生きる姿には、ドラマにもたびたび登場するあんこのように甘くて優しい香りが漂う。この数週は戦争に突入し苦しい描写が続いているが、そんな状況でも誇りをもって生き抜いた魂には胸が熱くなる。 ある朝、おはぎへの衝動がついに抑えきれなくなり、近所のおはぎ専門店へと向かった。その店のおはぎはどれもお洒落だ。昭

          言葉はおいしゅうなる。それはあんこのように。

          トゲを抜きに来たあの日の贈り物。

          朝から散々なことが続いた日の夜。私はモヤモヤした気持ちを抱えたままベッドに入った。なんとなく寝付けずInstagramを開いたら、いつもお仕事をご一緒させて頂いている知人の投稿が目に飛び込んできた。 https://www.instagram.com/p/CVxQgsKBBVB/?utm_source=ig_web_copy_link 内容はこうだ。彼女が仕事の現場に忘れた荷物を私が自宅に送った。その際、いつか好きだと話していた「八雲もち」を一緒に贈った、それだけのこと。

          トゲを抜きに来たあの日の贈り物。

          “100日後になくなるコンブ”に巻かれて、小樽。

          「お父さん預かります」 通りを歩いていて、一際目を引くのがこの看板だ。これに目を留めぬ者はいるのか。それほど目立っている。 「お父さん」という生き物。いざというときは頼りになるのかもしれぬが、すぐどこかに行ってしまう習性がある。家族で買い物をしていても気付いたらいない。そばにいたとしても「まだかぁ?」とその退屈を思いっきり露に。我が家だけかと思っていたが、そうでもないらしい。置いていくわけにはいかないが、そばに置いておきたくもないその「お父さん」という生き物をこの店が

          “100日後になくなるコンブ”に巻かれて、小樽。

          異国の旅人は金目鯛5切れを“ペルリ”と食べて、下田。

          思い出す、ある春の休日。ふと海を眺めたくなった。横浜から電車に揺られて辿り着いたは下田。「思い立ったが吉日」な私の旅に相応しい、よく晴れた朝だった。 この地の名物であり、好物の金目鯛が目当ての一つであった。人だかりができた店の前で足を止め、ボードに名前を書いたあと30分ほど待っただろうか。待ちくたびれたところに欲張りな性格も合わさって、煮つけも刺身も堪能できるスペシャルな定食を頼んだ。すると、店のおばちゃんがちょっと気まずそうに口を開いた。 「今朝は金目鯛の漁獲量が少なか

          異国の旅人は金目鯛5切れを“ペルリ”と食べて、下田。

          私は今、トンネルの先にある「泣く」に手を伸ばしながら無感情で歩いている。

          今、人と顔を合わせたら泣いてしまいそうだなぁ。 仕事でモヤモヤしたことがあった帰り道。涙をギリギリ堪えながら電車に揺られていた私は、自宅に帰って当時一緒に住んでいた人と顔を合わせたらいよいよ泣いてしまう、どうしよう、とぼんやり思っていた。相方がテレビを見ているだろうリビングを通らないと自分の部屋にも行けないし。 行き場のない想いをSNSで呟いてみたら、友人が「泣きたいときは泣いたほうがいいよ」とメッセージをくれた。その優しい言葉に電車で泣き、だったら相方の前だとしても家で

          私は今、トンネルの先にある「泣く」に手を伸ばしながら無感情で歩いている。

          ごちそうさまが、いえなくて。ありがとうが、いいたくて。

          その日で店をたたむ蕎麦屋は驚くほどいつも通りだった。違ったのは、揚げ餅が乗った名物「ちから納豆そば」が売り切れていたことくらいだろう。 ビルが立ち並ぶ大都会、丸の内。老舗の大劇場として名高い帝国劇場下とは思えぬ素朴な雰囲気が変わらずそこに漂っていた。「長い歴史の幕を閉じることに……」と感傷に浸るでもなく、「コロナのせいでこんなことに……」と悲痛な叫びを聞かせるでもない。おじさんの変わらぬ穏やかな対応。 「しなの路」は、丸の内で働くビジネスマンのみならず、帝国劇場を訪れる舞

          ごちそうさまが、いえなくて。ありがとうが、いいたくて。

          名もなき自炊ごはんを昨日と同じように盛り、昨日よりちょっとだけ胸ときめかせながら頬張る今日。

          お会計をしたら「4万2千円」だった。 今日だけは気に入ったら買う。値段は気にしない。どれだけ買っても今年観に行く予定だった舞台のチケット代を超えることはないだろうから。世界が一変した2020年。外出自粛を続けた末、プライベートで初めて出かけた民藝展での決め事だった。物欲がなく買い物でストレス発散するタイプではないのだが、なんとなく新しい感覚で行動してみたかった。 フロアいっぱいに並べられた器たち。同じ作家、同じ形でも1枚1枚異なる。職人たちの手仕事を味わい続ける時間。しば

          名もなき自炊ごはんを昨日と同じように盛り、昨日よりちょっとだけ胸ときめかせながら頬張る今日。

          「観に来てくれなくていい」と女優は語りき。――彩られはじめた白いキャンバス。

          「今まで『舞台は生でしか観られない、味わえないからぜひ劇場に来て!』と呼びかけていたけれど、今はとにかく健康を第一に考えてほしい。元気でいれば、生きていれば必ずまた会えるから」 とある舞台女優の発言だ。エンターテインメントは安全、安心の上にあるもの。彼女はそうしたメッセージを繰り返し発信していて、心底の願いなのだと思われた。舞台俳優が出演舞台を観なくてもいいなんて、この上なき異常事態である。編集者である私が担当した本を買わなくていい、と話すのと同じ。そんなことをフツーに言わ

          「観に来てくれなくていい」と女優は語りき。――彩られはじめた白いキャンバス。

          一秒後に届く時代の、一年越しの返事。

          昨年末のことだが、毎年年賀状のやり取りをしている方から喪中はがきを頂いた。クリスマスの時期だったので寒中見舞いがてらカードを送ったら、お礼のはがきを頂いた。気を遣わせたことを心配しつつも、一秒かつ無料で伝えられる時代の、時間も金もかかる紙での言葉が心に残った。 読まれた時点で「既読」と表示され、すぐ返事が届くことに慣れた今。自分が気持ちを伝えたいという一心で手紙を送る行為には言い知れぬ心地よさがあった。送ったあとにもう読んだかな、返事はまだかな、などとやきもきすることがない

          一秒後に届く時代の、一年越しの返事。