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実家の車と私のスマホがBluetoothで繋がった時、母は泣いた。

少し前、実家に帰った。

特に何をするということもなく、ただ実家で実家の日常を過ごした。

実家に帰ると、私はいつも車の免許を持っていない母の足になる。

「ちょっとスーパー連れて行ってもろてええ?」

朝10時頃になると母はそう言う。

その時もいつも通りだった。

古いけれど父が丁寧に使っているのであろう、なんの変哲もない白い軽に2人で乗り込み、10分ほどの道のりを父への愚痴を聞きながら運転した。

スーパーでは野菜の値段が私の住む街に比べて格段に安いことに驚きながら、私は昔と同じように好きなお菓子やアイスをカゴに入れた。

スーパーを後にして車に乗り、エンジンをかけた時、以前の設定がそのままになっていたのか、なぜかそのタイミングで車のオーディオと私のスマホがBluetoothで接続された。

接続されると私のスマホのApple Musicが自動的に再生された。

流れてきたのは唄人羽の"白紙の日々へ"だった。

車内の会話に支障が出るような大音量でもなく、私はそれを流したままにしておいた。

「あんたこれ…うたいびとはね!?」

20年前にリリースされた曲にもかかわらず、当時の私がノイローゼになりそうなくらい聴いていたせいもあるのか、歌がはじまった途端に母はそう声を上げた。

私は「そうそう。よう覚えとったな」とだけ返事をして、2人でしばらく聴いた。

「なんか…涙が出てくるわ…」

中盤、母はそう声を震わせた。

「広島まで観に行ったよなぁ。私、頑張って飛び跳ねたで」

と、涙を拭きながら笑っていた。


いつだったかはもうはっきりと覚えていない。

20年近く前、広島クラブクアトロ。

私は中学生か高校生。

母が取ってくれたチケット。

母が連れて行ってくれた初めての広島。

その日のために母に買ってもらった洋服。

母もその日のために用意した洋服。

母が知らない人に「(整理番号)何番ですか?」と聞いてくれて並んだ階段の隅。

断片的に覚えている記憶の中には、ドリンクチケットで飲んだコーラも。

ライブは2マンで、入場の時スタッフに聞かれた「今日はどちらを観に来られましたか?」に、ドキドキしながら「うたいびとはねです」と答えた唇の震えも。

初めてのライブハウス。どこか"イケナイ場所"に入ってしまったんじゃないかと思った感覚や、後ろの人の「え、椅子あるんだぁ…」という声は、何故か今も鮮明。

何を歌っていたか、どんなことを話していたか、どんな姿だったか。

大切な部分は悲しいかな全く覚えていない。

ただ、最後の曲を歌う前、安岡さんが

「立ちたいよねぇ?立って前出てきていいよ」

的なことを言ってくれて、全員が立ち上がってステージ前に大移動したのは覚えている。

全体がワーっと前に流れていく中で、私はどうしていいかわからず、母を見た。

母も立ち上がって控えめに移動しながら、戸惑う私の背中をクイっと押した。

私はステージ前にひしめき合うお姉様方の塊のちょっとした隙間に、うまくスポッと入ることができた。

最後の曲はおそらく"花火"だったと思う。自信はない。

ステージ上の2人から煽られ、会場全体がジャンプしながら頭上で手拍子をした。

もちろん私も。

もちろん母も。

終演後に振り返って見た母の少し疲れた笑顔も、忘れられない光景のひとつ。


そんな思い出話をしながら10分の道のりを運転し、家に到着してからも車の中でしばらく話した。

「まだ頑張って(音楽を)されとってなんじゃなぁ」

と言いながら、母は買い物袋を持って車を出た。

私は「そうなんよ」と、届いていないであろう返事をして、後に続いた。


私が話し上手だったら、今の唄人羽のことをもっとちゃんと伝えられたかもしれない。

"白紙の日々へ"は今もライブで歌ってくれるという事や、歌から広がる景色はあの頃よりも大きくて複雑だという事。

それは今の唄人羽から出てくる音楽が、時間が流れた20年分、分厚くなっているからなんだろうなと感じる事や、聴き手のこちら側も同じだけの時間が経過したからなんだろうなとも感じる事。

あの頃に比べるとちょうど20年分おじさんになっているけれど、あの頃と変わらずドキドキさせてくれる事や、ワクワクさせてくれる事。

まだまだ伝えられる事はあったはずなのに、私はこみ上げるものを我慢しながらニヤニヤと相槌する事しかできなかった。


今、母を唄人羽のライブに連れて行ったらどうなるだろう。

約20年ぶりに唄人羽の音楽を聴いたら、母は何を思うだろう。

今の唄人羽が歌う"白紙の日々へ"に、母は何を描くだろう。

おしゃべりな母はきっとたくさんのことを私に伝えてくれるんだろう。

いつものように「私、頭が悪いから上手いこと言えれんけど…」と前置きをして、見えた景色を全力で伝えてくれるんだろう。

すぐには無理かもしれない。

でも、またいつか母を唄人羽のライブに連れて行ってみたい。


今度は私がチケットを取って。

今度は私がライブハウスへ連れて行って。

今度は私が整列を手助けして。


今度もまた一緒におしゃれをして。


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