サウナブームはどこへ行き着くべきなのか
「サウナの面白さ」への思いはサウナに通う日々を送る中で日に日に募り、サウナブーム抜きに、より多くの人にサウナに触れて欲しい気持ちからnoteに日々サウナを題材とした記事を書いています。
手探りで様々な切り口からサウナについて述べていますが、一番伝えたいことは「サウナは良いものだよ」ってことだけです。
入浴方法とか「ととのう」とかそんなのどうでも良くて、とりあえず「サウナは良いよ」とだけ伝えたい次第です。
ここ最近のサウナ界隈は「意識の高さ」と「ミーハー感」が目立つ傾向にあり、私も客観的に見ればその中の一人に含まれると思います。
「サウナに入ること」よりも「至高の体験」だとか「非日常の〜〜」のような体験を求めるようになり、サウナの良さは特別なものでは無いのに…と思うことが増えました。
「ととのう」に踊らされる
サウナブームの昨今において、サウナの良さを語る記事が目に付くようになりました。
様々な切り口で語られる「サウナ」に対してある種の「意識の高さ」や「ブームに乗りたく無い気持ち」が動いて逆にサウナから足が遠のいている方も少なく無いと思います。
私も「流行もの」には蓋をしてしまうタイプなので、さりげない意識高い発言が鼻について嫌悪感を抱いてしまうこともあります。
私のnoteも例外ではなく、そのように感じる人も多いでしょう。
特にここ最近のサウナ界隈の会話をみていると「ととのう」という言葉が呪いのように蔓延し、広まりすぎた結果、嫌悪感を抱くワードになりつつあると感じています。
私自身様々なカルチャーにハマってきたので流行によって多くの人が参入した結果「居心地の悪さ」と「嫌悪感」が生まれ、カルチャー自体に嫌気が差すこともあります。
私自身も「ととのう」という言葉を使うときは共通認識として分かりやすいからnoteで使うぐらいで、実際は使うことはありません。
「ととのう」のミーハー感や「至高の体験」のような意識の高さ、そして神輿を担ぐような盛り上がり方は一時期のビットコインバブルやアフィリエイトバブルにも似たような空気があります。
今のClubhouseブームにも似たような空気が流れているので、肌感として分かる方はいるのでは無いでしょうか?
今のサウナブームは「ととのう体験」というアトラクション的な傾向に走り、エンタメとしてのサウナが台頭するようになりました。
「至高」や「極上」「非日常」「崇高」「マインドフルネス」のような言葉によってサウナから日常感が消えてしまい、代わりに「意識の高さ」が広がっていきました。
サウナは日本人にとってのお風呂のような存在
お風呂に入ることは日常の中の一コマである人が多いと思います。
サウナも「日常の中に一コマ」へと定着する形にブームが着地することがカルチャーの発展としては理想だと私は考えています。
「非日常」的な一面もサウナにはありますし、私もサウナに対して「至高」だと思うこともあります。今でもサウナは特別な瞬間があると思っています。
でも、サウナがブームで爆発的に知名度や地位が上がってきている中で一介の流行ものでブームが鎮火してしまうのは非常にもったいないことです。
「ブームだからサウナに入る」というのは何か違う。ブームによってサウナの認識が変わったと思いますが、それを10年後に「サウナ流行ってたよね〜」で終わらせるのではなく、「サウナの価値観変わったよね〜」と落ち着くべきだと思っています。
今のサウナブームを引率するプロサウナーと呼ばれる方々は普及活動に勤しむ素晴らしい方々です。しかし、どうしても「体験」へとシフトし、「新しいサウナ体験」を発信する傾向にあります。
サウナの良さがしっかりと根付くには「体験」だけではなく「日常」へと落とし込む活動もする必要があります。
日常の中にあるサウナを目指して
私自身としては「サウナ×〇〇」という掛け合わせで新たな楽しみ方を提供し続けることもカルチャーの進化には必要なことなので2021年も突き進んで欲しい気持ちです。
しかし、それだけでは「刺激」を求めるサウナーが増えていき、「刺激」が得られなくなったら離れてしまう可能性があります。
日常へと溶け込ませるためには生活圏内の中に「サウナ」があることが最も理想の状態で、私はこの「生活圏内の中にサウナがある」状態も「体験」と同じく重要なことだと思っています。
サウナカルチャーがさらなる発展のためには都心部だけでなく、ローカルへの浸透が大切で、そこで経済を回せる状態にすることと、人の流動があり「サードプレイス」として機能することが日常への定着に繋がります。