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Y・T 自己紹介―「発信」の力で「主権者を強くする」ことを目指して―

 私の人生の目的は、人々がこの国や世界の課題を真剣に考え、その解決に取り組む環境をつくることです。
 そのために、「政策」と「広報・PR」の両分野を結び付け、「人々の行動」で民主主義や国際協調の修復を進める方法を探る、新しい動きが必要だ、との考えを固めました。
 本稿では、非営利のシンクタンクと民間企業とを行き来してきたこれまでの人生を振り返り、なぜ私がそのように考えるに至ったのか、をまとめました。

(1)大学時代―「主権者を強くする」使命への目覚め―

 2009年8月30日。
 衆院選で当時の民主党が圧勝し政権交代が決まったこの日、京都在住の大学3年生だった私が、「主権者を強くする」仕事を志すきっかけとなった、もう一つの象徴的な出来事が起きました。

 くしくも同じ日に行われた、私が所属していた学生団体の年に1度の夏合宿でのことです。この団体の大先輩で、現在まで国際的に活躍している、ある経営者の方が、「数年以内に政治家になって、日本を危機から救う」と宣言。自身の学生時代から、海外でのビジネスを成功に導くまでの歩みを振り返りつつ、なぜ自身が政治家にふさわしいのか、どんな政策を実行し日本をどう変えたいのか、後輩らを前に語ったのでした。

 この学生団体のメインの活動は、学生がチームを組み、毎回テーマを決めて、日本政府や各企業に必要と考える政策や経営戦略を立案する、というもの。
 その発表の場には、卒業生の社会人(外資系コンサルティングファームなどの出身者が中心)を招いて厳しいフィードバックを受けます。その内容の多くは、「明確な将来ビジョンの提示」や「目的と手段の整合性」、「財源の裏付け」など、後に勤務するシンクタンクが開発した、選挙公約の「評価」の基準にも通じるものでした。

 そうした活動を牽引してきた先輩のプレゼンテーションは最後に、「未来を担うリーダーを多数育て、皆で結束して日本を変える」という団体の使命に言及。そのために「私が一歩前に出ます。皆さんも後に続いてください」という呼びかけに、合宿の参加者らは感動し、皆でその挑戦を応援しよう、という熱気が会場を覆いました。

 しかし、私はここで次のような疑問を持ちます。「政治家などの“リーダー”が仮にどれだけ素晴らしい政策を立案したところで、それを選ぶ国民の側に政策を見極める力がなければ意味がないのではないか?」
 そして、「学生団体の仲間たちが“為政者側”から政治を変えようとするなら、それを選ぶ“有権者側”を強くする役割を自分が担うことはできないか?」と。

 それは、私が学んでいた政策立案に求められる様々な視点を、政治家だけでなく多くの国民も全く無視して日本の未来を決めようとしていることが、民主党はじめ各党の選挙公約や、新政権に期待する人々の姿から伺えたからでした。

 そう考えたのは、私が当時所属していたゼミの先生が、多くの省庁で政策評価の有識者会議に参加する「評価の第一人者」でおられるからでもありました。
 そして、あるシンクタンクが、まさに有権者が政治を自分で考える材料の提供を使命に掲げ、上記の「公約の評価」や、第一線の識者を集めた様々な公開議論を実施していることを、ゼミの研究で知ります。
 私は、その理事長の「有権者が強くなることこそ重要だ」という寄稿をネットメディアで目にし、いずれこの活動に携わりたい、という意思を持つようになりました。

(2)大学院~新社会人時代―「主権者を強くするには発信の力が必要」との気付き―

 その手掛かりを掴もうと、2011年、京都の大学から東京の大学院に進学。在学中は、実際にこのシンクタンクにインターンとして参画し、就職活動と並行して活動に取り組みました。
 大学院修了後、シンクタンクに直接就職できれば、とも考えましたが、当時の応募要項には「社会人経験3年以上」という規定があり、断念しました。
 シンクタンクの職員と、一般企業とを通算「2往復」するキャリアは、こうして始まりました。
 
 就職活動の軸は、「中小企業の経営支援」を行っている企業、でした。「日本には非営利のシンクタンクが成り立つ組織基盤やビジネスモデルが弱い」ことはもともと知っていましたが、実際にインターンでその現状を目の当たりにし、自分がそれを変えたい、という思いを強めたからです。
 学生団体の、上記とは別の大先輩で、金融機関勤務ながら米大学院への留学や欧州出向を経験された方から、「日本には『セクターを跨いで活躍する人』が少ない」というお話を伺ったことも、その背中を押しました。
 
 そして、中小企業の営業やマーケティングを支援する、ある専門コンサルティング会社への入社を決めました。在職中は自社のウェブサイトの運用やインターネット広告の配信に取り組み、「これを極めればシンクタンクにも貢献できるのではないか」との手応えを得ました。
 
 その反面、強い違和感を覚えたこともありました。
 当時は、尖閣を巡る日本と中国の対立が激化し、衝突の懸念が世界で高まった時期に重なります。
 そんな折、ある経営幹部は朝礼で社員を前に「中国の問題で我々に何かできるわけではない。そんなことで不安になっている暇があったら自分の仕事に集中した方がいい」と発言。
 また、これとは別に、「NPOは対価でなく寄付や助成で成り立っている以上、組織として信頼できない」といった、市民社会への理解を欠いた発言も多く耳にしました。
 
 学生時代は、同じ公共政策を専攻する人たちとの関わりが中心で、政治は「当事者」「主権者」として向き合うのが当たり前だと思っていた私にとって、最初の社会人生活は、そうではない一般の社会人との価値観の違いに驚く機会となりました。
 同時に、そうした市民に対して、シンクタンクが取り組む課題解決への理解を促し、「主権者」として政治に向き合うことの意味を伝えていこうとするならば、従来のシンクタンクとは全く異なるメッセージの出し方が必要になってくるのではないか、とも強く感じるようになりました。

(3)シンクタンクと広告会社での勤務―「主権者を強くするために必要な発信とは何か」の模索―

 こうした中、企業勤務の傍ら、大学院時代からお世話になっていたシンクタンクには毎週末、ボランティアとして参画し続けました。企業での経験も活かしたネット広告の運用やウェブサイトの改善提案も任せていただく中、社会人3年目の夏には理事長から正規の職員にならないかとお誘いいただき、1度目の入職を果たしました。
 
 入職後はウェブサイトの運用に加え、シンポジウムの会場運営など広範な業務を担当しました。しかし、期待された成果を上げることはできず、組織からの信頼も低いものにとどまってしまいます。
 
 そのため、一度シンクタンクと距離を置き、「物事を社会に広め、世論を喚起する」ための、より総合的で普遍的な考え方を身に着けたいと考え、転職活動をして中堅の広告会社に入社しました。
 
 在職中は業務と並行し、上記の目的を達成するため、広告業界の有力者らによるセミナーへの出席を、土日や夜間に計30回ほど重ねました。
 「社会は”人の行動が変わる”ことで動くと考え、そうした”行動変化”や”認識変化”がいつ、どこで、なぜ起こるのかを徹底的に検証する」。世界的な広告コンテストで多くの受賞歴を持つプランナーらの教えや、それを語る熱量に圧倒される中で、かねて漠然とその必要性を感じていた「従来のシンクタンクとは全く異なる発信の考え方」とは何なのか、のヒントを得ることができました。
 
 一方、この年、米国ではトランプ氏が大統領に就任。その政策が世界の分断を加速させることを、私がシンクタンクでお世話になった多くの有識者の方々は強く懸念しておられました。
 
 しかし、私が勤めた広告会社の先輩らから、そうした動きを念頭に繰り返し伝えられたのは、以下のようなことでした。
 すなわち、政治や国際社会の動きは企業にとってあくまで「与件」であり、それに抗ったり変えようとしたりするのではなく、その流れに合わせてビジネスを展開するのが企業の取るべき行動だ、ということ。
 また、公的機関との取引では、政治的な思想信条にかかわらず、より多くの広告宣伝費を持っているクライアントから受注するのが、業界のルールである、ということです。
 
 また、この頃、日本国内の政治は、私の学生時代とは異なり、長期政権で表向きには安定するようになっていました。しかし、政治家や政党が骨太のビジョンを国民に語らず、多くの懸案を次世代に先送りする状況は、むしろ一層深刻になっています。そして、広告業界は、上で述べた営利優先の原理で動き、こうした政党の選挙公約が世に広まることに、結果として加担している構造です。
 
 経済を豊かにすることが最終的な使命であるはずの広告会社が、人々の将来不安や経済のリスクを高める政策の推進を支えてしまっている。私は激しい理不尽さを覚えました。
 そして、「この状況を変えたい。それには、やはり非営利で、志を共有する人たちのネットワークを通じて取り組むしかないのではないか」と、考えました。
 
 私はこの間も、古巣のシンクタンクには休日のボランティアで参画を続け、その後、正規職員として2度目の入職を果たします。そして、冊子やメールマガジンを通じた事業成果の関係者への発信、また記者会見の運営など広報関連の業務に携わりました。
 私の2度の在任中、現在の岸田首相がシンポジウムで毎年のように登壇するなど、理事長や、顧問を務める識者の方々の尽力により、国内外の有力者による団体の評価は飛躍的に高まりました。また、それらの事業内容も、NHKの全国ニュースや全国紙の特集記事で報道されるのが当たり前になりました。

(4)新たな活動の準備開始へ―「主権者を強くするために必要な発信」の具現化に向けて―

 ただ、それでもなお、こうした報道はあくまで一方向の発信が主であり、それを受けて市民が賛同の声を上げたり、我々の提言の実行を自ら政治に求めたりする動きは、限定的なものでした。
 また、それを実現するためにも、今の情報空間を差配、また熟知している業種の方々にこそ、自由・民主主義や平和秩序を守る立ち位置に立ってもらいたい、とも、改めて感じました。

 そのために私は、「民主主義のための広告代理店」と名付けた新しい動きの準備を、始めることにしました。それは、私が広告会社時代に可能性を感じた「新しい発信の考え方」の、本格的な実践でもあると考えています。

 ビジネスパーソン、特に若い方々は、世界の自由秩序や日本の社会運営が将来にわたり安定していることの、大きな受益者であり、また、組織の戦略立案や問題解決のプロフェッショナルでもあります。
 
 そうした方々が本当の意味でその責務を果たしたとき、民主主義や平和を取り巻く危機にどんな解決策が作り出されるのか。
 私は、それを自ら確かめたいと思っています。
 多くの方にご指導、ご協力をいただければ幸いに存じます。                       

2023年5月

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