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【エッセイ】こうして物語は蘇った(1900文字)

 私は小説と漫画が好きで、子供の頃からよく読んでいた。

 しかし最近は、物語に触れる機会が極端に減った。
 とあるコント番組を見たことで幼少期に体験した過酷な経験を鮮明に思い出し、それ以来、嫌なことを思い出したり連想したりすることが急激に増えたからである。

 小説や漫画を読むと、作中に登場するふとした言葉や描写に敏感に反応し、過酷な経験を思い出して嫌悪感でいっぱいになる。
 それで徐々に、小説と漫画を避けるようになった。読むとしても「読んでも嫌な思いをしない」と確実に分かっているシリーズの本だけである。

 しかし「絶対に嫌な思いをしない」と分かりきった作品というのは少なく、私が読める小説と漫画の範囲はどんどん狭まっていった。


 読める小説と漫画の範囲が狭まった私は、実用書ばかりを読むようになった。
 実用書を読んで嫌なことを思い出すことはほぼ無かった。それに、実用書なら書いてある内容が簡単に推察できるので、安心して読めた。

 時々思い出したかのように、今まで読んだことのない小説や漫画を読んでみたりもしたことはある。でもたいていは嫌な出来事を連想させる描写が出てきて、読むのをすぐに断念した。

 たまに「過酷な経験」を連想せずに読める作品に当たることもあったが、物語から遠ざかり過ぎていたせいか、内容をいまいち理解できない。楽しめないのである。

「物語に対する読解力が著しく低下している。小説と漫画を永遠に楽しめなくなったのかも知れない」

 そんな疑念を抱きながら小説と漫画を生活から遠ざけるようになって、5年が過ぎた。


 この5年間、実用書ばかり読んでいた私だが、この夏、ふと「物語を読みたい」と思った。

 きっかけは「実用書に飽きた」という、単純な理由である。

 とりあえず、実用書以外の何かを、物語を読みたい。
 
 そう思った私は1巻完結の漫画を1冊、短編小説を1話読んでみた。
 読解力が低下している私はこれらを100%楽しむことができなかったが、全く理解できなかったわけではない。それに、「過酷な経験を思い出させる描写」に遭遇しなかったし、遭遇しそうになってもスルーすることができた。

 この調子でちょっとずつ物語を読んでいけば、読解力も回復してまた物語を楽しめるようになるかも。

 私は期待し、次に読む物語を探した。

 物語を探してKindleのページを眺めていたある日、原田マハの『さいはての彼女』という短編集が目に留まった。

 あらすじによると「女性と旅と再生をテーマにした、爽やかに泣ける短篇集」とのこと。
「泣ける」には興味は無かったが「再生」という言葉には惹かれた。物語を再び楽しもうとしている私、「再生」しようとしている今の私にぴったりなんじゃない? と。期待をこめてサンプルをダウンロードする。

 少し読んで「読みやすい。それに面白そう」と感じ、購入を決意。購入ボタンをタップしてダウンロードが終わるのを待ってから、『さいはての彼女』の世界に旅立った。

 本書は非常に読みやすい文体で執筆されており、物語から長く離れていた私でも難なく読み進めることができた。
 情景も思い描きやすく、読解力が低下したと嘆いていたことなど忘れたかのように、私は物語に引き込まれた。

 読める。理解できる。久方ぶりの感覚に手応えを感じつつ、私は夢中で『さいはての彼女』を読んだ。

 本書に収録されている短編を1つ読了するたびに、私は「あの描写はこういう意味だったのではないか」とか「あの登場人物の心情はこうだったのではないか」といった感じに作品に思いを巡らせた。

 それは物語に日常的に触れていた、5年前にやっていた行動と同じである。

 ああそうだ、私、こんなふうに物語を楽しんでいた。

 私は物語を振り返り、あれこれ思いを巡らすこの行為に懐かしさを覚えた。懐かしく、楽しく、心地よい時間。

『さいはての彼女』に収録された全ての作品を読了した私は、満足感に酔いしれた。同時に、達成感も味わった。どちらも非常に愉快な感覚である。

 物語を読むってこんなに心地よい行為だったんだなぁ……。
 私は感慨に耽りながら、ブクログの読書メモに感想を書きなぐった。


「再生」をテーマにした物語を読んだことで、私の「物語を楽しむ力」が「再生」したのである。これぞ物語の力ではないだろうか。

 以来、私は小説と漫画の情報をよりいっそう熱心に集めるようになった。

 良作に触れて、またあの心地よい満足感に浸りたい。

 こんな気持ちが復活したのも、『さいはての彼女』を執筆してくれた原田マハ氏のおかげである。
 彼女には一生、足を向けて寝ることが出来ないだろう。

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