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【短編小説】ドライブ―助手席―

3,297文字/目安6分


 わたしは君の考えていることが分からない。

 車の免許を取ったと聞いた時は、内心はしゃいだ。景色の綺麗な山道とか、夕陽が沈む海沿いとか、勝手に思い描いてその気になっていた。有名なハンバーグ屋さんだっていつか行きたいと思っていたから。いわゆるドライブデートってやつに憧れがあって、それが叶うと分かって嬉しくなったんだ。
 でも、だからと言って相手が誰だっていいわけじゃない。わたしが頭の中でやりたい放題に考えるどんなデートコースでも、いつだって運転手は君なんだ。
 だから一番に誘ってくれことが本当に、本当に嬉しかったんだよ。
 実際、わたしが行きたいと言ったところは全部連れていってくれた。

 だけどね。
 綺麗な景色とか有名な場所とか観光スポットとか、それもいいけど、それよりも、君といる何気ない時間がよかったりする。例えば、車に乗るまでに雨でずぶ濡れになって笑い合うとか、そういうことの方が楽しかったりするんだ――。

 その日は、落ちてくるんじゃないかと思うくらい、雲がずっしりと分厚かった。今にも雨が降りそうなほどに空気がざわつく。
 進む方向だけ決めて特に予定は立てずに出発し、あとはその時の気分で寄り道をしていこうという話になっていた。

 高速道路に乗って、君はどんどん車を進めていく。
 わたしだけかもしれないけど、君の隣はなんだかしっくりくる。共通点だっていっぱいある。お互いの趣味が少しかぶっているところとか、笑うタイミングが一緒なところとか。食べ物の好き嫌いも、めんどくさいと思うものも。ふとした時のリアクションもね。
 将来、同じ屋根の下で過ごすイメージも違和感なくできちゃったりする。まだ付き合ってもいないのに。わたしは妄想癖があるのかもしれない。

「楽しいねぇ」
 天気が悪い分、大げさに気分を上げる。わざとらしく体も揺らして、君の横顔に向けてアピールする。
「うん、楽しいねぇ」
 君もそう返してくれる。けれど、なんとなく空振りな感じ。言葉にしているだけというか。デートの時、たまにこういうことがある。何か考えごとをしているというか。今日は天気のせいで視界も暗いし、いつも以上に気を張っているのだろう。わたしは乗せてもらっている身だし、疲れさせるのも嫌だからと自分を納得させた。

 途中のパーキングで少し休憩。トイレに寄って、飲み物とおやつを買って、お土産コーナーを二人でぶらぶらする。それだけで旅行している気分になれる。

「旅行もいいなぁ」
 無意識にぽつりと口から出てきた。放っておいたら転がって行っちゃいそうなそれを君は拾ってくれる。
「どっか行きたいところあるの?」
「うーんとねぇ、北海道」
「北海道いいねぇ」
「海鮮丼」
「味噌ラーメンとかね」
「ジンギスカン」
「カニ」
「カニ!」
 思いのほか大きな声が出てびっくりした。
「びっくりしたなぁ」
 君はやれやれという具合に笑う。
「カニしゃぶ食べようよ」
「食べ物ばっかじゃん」
「だって、そうでしょう」
 ふふ、と自然に込み上げてくる。やっぱりこういう時間が楽しい。いつか君と行けたらもっと楽しいだろうなぁ。

 車に戻るタイミングで、どしゃ降りになってしまった。いくつもの雨粒が地面に音を立てて落ちては跳ね、霧をつくっている。まるでわたしたちを通せんぼしているみたい。近いところに停めてくれたとはいえ、車に行くまでの距離で絶対にずぶ濡れになってしまう。

「すごい雨だね」
「うん」
「すぐ止むかなぁ」
「どうだろう」

 二人とも立ち尽くすようにして空を見上げた。君は頭をかいて雨の様子を見たり、にらみつけるように地面に視線を落としたりしている。気温が下がってきたのか、風が冷たい。

「いったん中に戻る?」
「行こう」
 わたしの言葉を遮るように君は言った。
「行くの?」
「時々雨が弱くなるタイミングがあるんだよ。その時に走って行けばそこまで濡れずに済むと思う」
「本当に?」
 言われて耳をすましてみると、確かに雨の音が不規則に弱くなったりしている気がする。
「うん。合図を出すから、それで行こう」

 二人でスタートのタイミングを窺う。雨は強さを保ったまま、音の立て方を変えていく。こうして聞いていると面白い。「ザー」という音を、息をいっぱいに使って叫んでいるのだけど、たまにちょっと休みを入れる時がある。雨って息の量を調節しているんだ。
 空がひと息つくところで「今かな」「まだ」というやり取りをしばらくの間続けた。何回も繰り返していると、ついに穏やかな小雨に変わり、視界もくっきりと開けた。

「今だ!」

 君の声と同時に、わたしも走り出した。その瞬間また雨が強くなる。だけどもう行くしかない。
 手で頭を守りながら走るも、まるで意味がない。腕も髪も服もどんどん濡れていった。一歩進むごとにぴちゃぴちゃと靴の中に水が染み込んでいく。
「もう、最悪」
「ごめん全然だめだった」
 二人でわーわー言いながらとにかく走って、車に近づいていく。たぶん君は早めに鍵を開けてくれる。
「あ、鍵落とした!」
「え、早く開けてよ!」
 ドアの前でもたつきながらも、なんとか中に滑り込んだ。

 二人ともびしょびしょだった。そして二人とも息を切らしている。雨はいじわるをするように、すぐに弱まった。
「もう最悪」
「ごめんごめん」
 君は何一つ悪いと思ってなさそうにする。何もかも馬鹿らしくておかしくて、お互い顔を見合わせて笑った。やっぱり。やっぱりこういうことの方がずっと楽しい。
 きっと君だからこんなことでも楽しいと思えるんだ。君ともっといろんなところに行きたい。いろんなことを話したい。もっと君のことを知りたい。君と一緒になりたい。

 でもさ。

 君はわたしのことをどう思っているんだろう。

 車は雨の中を静かに走る。普段は別に何かしゃべらない時間があっても気にしないのに、むしろ心地いいとすら思っているのに、今は無言がひりひりする。

「ねぇ聞いてよ」
 たまらず君に話しかける。
「この前バイト先の先輩がさ」
 この先輩、いい人ではあるんだけど、ことあるごとに食事に誘ってくる。もちろん断るけど、少ししつこいんだ。あまりはっきりと突っぱねても、その後どうなるかが心配になる。バイトを辞めようかとも思うけど、他の人たちもみんないい人で仕事も楽しいから、踏みとどまってしまう。
 君は「うん、うん」と答えてくれる。けれど、なんとなく耳をすり抜けて行っているような感じがする。またこれだ。
「運転疲れてない? 大丈夫?」
「大丈夫だよ」
 話を変えても、やっぱり空振りしている感じ。先輩の話をしたのも、「俺と付き合えばいいよ」なんて言葉をくれる期待をしていたから。わたしはずるいのだろうか。

 高速道路を下りてしばらく走ったところにある温泉に到着する。雨で体が冷えたから、お湯に浸かって温まろうということになった。
 雨はすっかり止んでいた。
 木でできた門をくぐって、植木に囲まれた道を歩いていく。味があっていい雰囲気。中の造りも木を基調とした落ち着きのある場所で、天井は高く大きな梁がすごく印象的だ。

「貸切風呂もあるんだね」
 ちょっと恥ずかしかったけど、思い切って言ってみる。君はほんの一瞬わたしを見た後、すぐに視線を元に戻して言った。
「こういうのはだいたい埋まってるよ」
 またしても、もう数えることもできないほどの空振り。今回もそれで終わっちゃうの?

 ドライブデートを繰り返して気づいたことがある。車はわたしと君を二人きりにしてくれる。でも横に並んでいるのに、すぐ近くにいるのに、二人の間の三十センチくらいが遠く感じる。触れるには少し勇気がいる距離。それ以上の距離が縮まらないんだ。

 ねぇ。わたし、けっこう頑張っていると思うよ。デートの回数だって、ドライブだけでもう七回目だよ。すっぴんだってけっこう勇気出したんだよ。
 今すぐにだってシートベルトを外して君とくっついてしまいたい。わたしがどんなに気持ちを向けても、君をすり抜けて消えていく。君がしっかり握っているハンドルは、どこにわたしを連れて行くの? 君のその目はどこに向いているの?

 ねぇ、早く気づいてよ。



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