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スキーマを広げる(4):ヒポクラテスの誓い

▼「スキーマを広げる」の第4回は「ヒポクラテスの誓い(The Hippocratic Oath)」です。

▼ヒポクラテスは紀元前5世紀ごろ(B.C.460?-B.C.370?)のギリシャの医師で,医学を呪術や迷信から切り離し,臨床と観察を重んじる経験科学へと導いたことで「医学の父」「医聖」などと呼ばれています。

▼このヒポクラテスの死後,弟子たちがまとめた『ヒポクラテス全集』におさめられた,医師の倫理性と客観性について書かれた『誓い』という文章が,現代でも『ヒポクラテスの誓い』として受け継がれています。

▼以下の文章がその『誓い』です。

『医神アポロン、アスクレピオス、ヒギエイア、パナケイアおよびすべての男神と女神に誓う、私の能力と判断にしたがってこの誓いと約束を守ることを。この術を私に教えた人をわが親のごとく敬い、わが財を分かって、その必要あるとき助ける。その子孫を私自身の兄弟のごとくみて、彼らが学ぶことを欲すれば報酬なしにこの術を教える。そして書きものや講義その他あらゆる方法で私の持つ医術の知識をわが息子、わが師の息子、また医の規則にもとずき約束と誓いで結ばれている弟子どもに分かち与え、それ以外の誰にも与えない。○私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない。○頼まれても死に導くような薬を与えない。それを覚らせることもしない。同様に婦人を流産に導く道具を与えない。○純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う。○結石を切りだすことは神かけてしない。それを業とするものに委せる。○いかなる患家を訪れるときもそれはただ病者を利益するためであり、あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける。女と男、自由人と奴隷のちがいを考慮しない。○医に関すると否とにかかわらず他人の生活について秘密を守る。○この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ生きてすべての人から尊敬されるであろう。もしこの誓いを破るならばその反対の運命をたまわりたい。』

The Oath of Hippocrates
I swear by Apollo the Physician, and Aesculapius, and Health, and All-heal, and all the gods and goddesses, that, according to my ability and judgment, I will keep this oath and this stipulation-to reckon him who taught me this art equally dear to me as my parents, to share my substance with him, and relieve his necessities if required; to look upon his offspring in the same footing as my own brothers, and to teach them this art, if they shall wish to learn it, without fee or stipulation; and that by precept, lecture, and every other mode of instruction, I will impart a knowledge of the art to my own sons, and those of my teachers, and to disciples bound by a stipulation and oath according to the law of medicine, but to none others. I will follow that system of regiment which, according to my ability and judgment, I consider for the benefit of my patients, and abstain from whatever is deleterious and mischievous. I will give no deadly medicine to anyone if asked, nor suggest any such counsel ; and in like manner I will not give to a woman a pessary to produce abortion. With purity and with holiness I will pass my life and practice my art. I will not cut persons laboring under the stone, but will leave this to be done by men who are practitioners of this work. Into whatever houses I enter, I will go into them for the benefit of the sick, and will abstain from every voluntary act of mischief and corruption of females or males, of freemen and slaves. Whatever, in connection with my professional practice, or not in connection with it, I see or hear, in the life of men, which ought not to be spoken of abroad, I will not divulge, as reckoning that all such should be kept secret. While I continue to keep this oath unviolated, may it be granted to me to enjoy life and the practice of the art, respected by all men, in all times ! But should I trespass and violate this oath, may the reverse be my lot!
https://www.kanazawa-med.ac.jp/information/material.html#07

▼『誓い』は2,000年以上前に書かれた文章であるため,現代の状況とは合わない部分もありますし,医療技術の進歩によって,『誓い』に真っ向から対立するような状況が生じてもいます。たとえば,「頼まれても死に導くような薬を与えない。それを覚らせることもしない」という文言がありますが,これは安楽死(euthanasia)の問題とぶつかりますし,「同様に婦人を流産に導く道具を与えない」というのも,望まぬ妊娠をした場合の中絶の問題とぶつかります。

▼しかし,「能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない」「いかなる患家を訪れるときもそれはただ病者を利益するためであり、あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける」「医に関すると否とにかかわらず他人の生活について秘密を守る」といった内容は,現代の医療従事者にもあてはまることであり,医療倫理を考える上で重要な出発点の一つとなっています。

▼この『誓い』をベースにして,1948年にスイスのジュネーブで行われた世界医師会の第2回総会で『ジュネーブ宣言』が採択されました。これは,第二次世界大戦中にナチスドイツの医師たちが行った非人道的な実験に対する反省として作られたもので,1948年の宣言は以下の通りです。

医師の一人として入会を許されるに当たり
私は自分の人生を人間への奉仕に捧げることを厳かに誓います。
私は自分の教師たちに、それが彼らの報酬である尊敬と感謝を捧げます。
私は自分の仕事を良心と尊厳を持って行います。
私の患者の健康を第一に考慮します。
私は私に打ち明けられた秘密を尊重します。
私は全力をつくして高貴な医業の伝統を維持します。
同業者は兄弟とみます。
私の義務と私の患者の間に、宗教・国籍・人種・政党・社会的地位の介入を許しません。
私は人間の生命を、その受胎の時以降、できるだけ尊重するように努めます。
たとえ脅迫されても、私は自分の医学的知識を人間の法則に反するようには使用しません。
私は、この誓いを、厳かに、自由意志で、私の名誉にかけて守ります。
(https://www.med.or.jp/doctor/rinri/i_rinri/a11.html)

▼その後,この宣言は改訂され,2017年度版では以下のようになりました。

医師の一人として、
私は、人類への奉仕に自分の人生を捧げることを厳粛に誓う。
私の患者の健康と安寧を私の第一の関心事とする。
私は、私の患者のオートノミーと尊厳を尊重する。
私は、人命を最大限に尊重し続ける。
私は、私の医師としての職責と患者との間に、年齢、疾病もしくは障害、信条、民族的起源、ジェンダー、国籍、所属政治団体、人種、性的志向、社会的地位あるいはその他いかなる要因でも、そのようなことに対する配慮が介在することを容認しない。
私は、私への信頼のゆえに知り得た患者の秘密を、たとえその死後においても尊重する。
私は、良心と尊厳をもって、そしてgood medical practiceに従って、私の専門職を実践する。
私は、医師の名誉と高貴なる伝統を育む。
私は、私の教師、同僚、および学生に、当然受けるべきである尊敬と感謝の念を捧げる。
私は、患者の利益と医療の進歩のため私の医学的知識を共有する。
私は、最高水準の医療を提供するために、私自身の健康、安寧および能力に専心する。
私は、たとえ脅迫の下であっても、人権や国民の自由を犯すために、自分の医学的知識を利用することはしない。
私は、自由と名誉にかけてこれらのことを厳粛に誓う。

▼このように,ヒポクラテスの『誓い』は現代の医師がもつべき医療倫理に対して大きな影響を与えてきました。そして,大学入試問題でも医学部を中心に『誓い』に関連した英文が出題されています。英語では,以下のような出題例があります(これ以外にも『誓い』について言及された英文が出題されています)。

▼2004年度
・浜松医科大学医学部前期日程
▼2008年度
・日本大学医学部
▼2012年度
・慶應義塾大学薬学部

▼英語だけでなく小論文でも問われうるテーマですので,医学部を志望する受験生の皆さんはぜひ,『誓い』や『ジュネーブ宣言』で述べられていることを読み解き,それについて自分の見解をまとめてみてください。

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