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理不尽さを超えて

【1】あるつぶやきを受けて

▼河合塾英語科の同僚の新野元基先生がTwiitterで次のような呟きをしておられました。

▼これを読んで私自身が思ったことをTwitterで連続ツイートしたのが以下の文章です。

予備校に「何で映像なんだ」「何で延期なんだ」というクレームの電話…。やり場のない怒りをぶつけたい気持ちはとてもよくわかります。

そりゃあぼくだって,

「早く授業をしたい!
 皆さんと会って伝えたいことが沢山ある!」

…という気持ちをずっと押し殺し続けていますから。

特に,今年の受験生はただでさえ「入試改革」の煽りを受けて不安なのに,さらにコロナウイルス禍に巻き込まれるという非常に理不尽な境遇にあります。「なぜ自分がこんな目に?」という気持ちや不安でいっぱいのはずですし,そもそも,来年度の入試自体,予定通りの実施が怪しい状況です。

ただ,代替の映像講義にしても「一刻も早く受験生を安心させたい!少しでも早く勉強が始められるようにしたい!」という願いを込め,丁寧に作られています。全国の塾生に配信されるのですから,ご担当の先生方は自分のカラーを抑えねばなりません。そのご苦労は並大抵のものではなかったと思います。

今はとにかく,配信された映像講義をしっかりと見て,そこで説明されている内容をしっかりと自分のものにしてください。そして,対面授業が再開されたときに備えて,疑問点をメモしておいてください。授業が再開された折には,各校舎の授業担当の先生方にその質問をどんどんぶつけてください。

かつて,1969年の学生運動による東大の入試中止や,最近では2011年の東日本大震災に伴う一部大学の入試の中止などで,理不尽な思いをせざるを得ない受験生がいました。しかし,今回のコロナウイルス禍はそれをはるかに上回る世界規模の災害です。いつ終わりが見えるかもわかりません。

受験生が被る「理不尽さ」はこれまでにない規模のものになるでしょう。社会のシステムそのものが大きく様変わりする可能性もありますし,入試も予定通りに行われる保証はありません。だからといって準備を放棄するわけにはいきません。不安を解消する唯一の方法は「学ぶこと」それしかないのです。

まず健康を第一に。塾や予備校が映像講義振り替えや延期の決断を下したのも生徒の皆さんの健康を第一に考えたためです。皆さんや皆さんのご家族がウイルスに感染してしまっては元も子もありません。そして,全国の受験生が同じ理不尽な思いの中で闘っていることを忘れずに。君は一人ではないのです。

▼とても残念ですが,人間,必ずしも順風満帆な時ばかりとは限りません。そして,自分に全く何の非がないにもかかわらず,理不尽な思いをさせられることがたびたびあります。今回のコロナウイルス禍はまさにその一つと言えるでしょう。

▼2011年の東日本大震災では多くの受験生・高校生が被災し,また,国公立大学の後期日程の前日だったこともあり,後期日程が中止になったところもありました。当時,私が倉敷で営んでいた英語塾に通っていた生徒さんも,たまたまある国立大学の後期日程を受験しに関東に行っていた時に被災しました。その生徒さんは無事ではあったものの,受験する予定の大学の後期日程が中止となり,浪人することになりました(幸い,翌年,ある私大に合格しました)。

【2】理不尽さの中で耐え忍んだ精神科医

▼過去を振り返ると,理不尽な状況,それも,自分には何の落ち度もないにもかかわらず死と向かい合わせにさせられるという極めて理不尽な状況に追い込まれ,生き延びてきた人々がいました。その一人が,オーストリア出身の精神科医であり,世界的ロングセラー『夜と霧』の著者,ヴィクトール・フランクル(1905-1997)です。

▼フランクルはユダヤ人でした。そして,ただ「ユダヤ人である」というそれだけの ― きわめて理不尽な ― 理由で,家族とともに,テレージエンシュタットのゲットー(ユダヤ人居住区)に強制的に入れられます。1942年9月,37歳の時でした。フランクルは1944年10月にアウシュビッツ強制収容所に送られます。

▼強制収容所から解放された後の1945年8月にフランクルは初めてウィーンに戻り,そこで身重の妻がベルゲン・ベルゼン強制収容所(アンネ・フランクが亡くなったのと同じ収容所)で亡くなっていたことを知りました。両親も兄弟も皆,収容所で亡くなっていました。その喪失と抑鬱を乗り越え,彼はウィーンで精神科医として再び働き始めました。

▼フランクルがアウシュビッツ強制収容所に入れられた時,長い列に並ばされ,ナチスの将校が人差し指のわずかな動きだけでユダヤ人を選別していました。フランクルは右の建物へ,フランクルの同僚や仲間たちは左の建物へ行かされました。古株の収容者に彼らがどこに行ったのか尋ねると,次のように答えが返ってきました(訳文は引用者作成)。

    “Was he sent to the left side?”
    “Yes,” I replied.
    “Then you can see him there,” I was told.
    “Where?”
    A hand pointed to the chimney a few hundred yards off, which was sending a column of flame up into the grey sky of Poland.  It dissolved into a sinister cloud of smoke.  “That’s where your friend is, floating up to Heaven,” was the answer.  But I still did not understand until the truth was explained to me in plain words.

 「そいつは左側に送られたのかい?」
 「そうです」と私は答えました。
 「それなら,そいつはそこに見えるよ」と私は言われました。
 「どこに?」
 手が指し示したのは数百ヤード離れたところにある煙突でした。その煙突はポーランドの鈍色の空に向かって炎の柱を上げていました。炎の柱は不気味な煙の雲に溶け込んでいました。「あそこにお前の友達はいるよ。天国に昇ってるんだ」というのが答えでした。しかし,真実がはっきりとした言葉で私に説明されるまで,私はまだわかっていませんでした。
(Viktor E Frankl, Man's Search For Meaning: The classic tribute to hope from the Holocaust)

▼左側に送られた仲間や同僚はそのままガス室送りにされ,処刑され,焼却炉で焼かれていたのです。理不尽にも,ナチスの将校の気まぐれな判断と人差し指のわずかな動きだけで生死が分けられていたことになります。

▼その後,財産はすべて没収され,名前も奪われ,119104という番号だけで呼ばれることになりました。1945年4月27日解放されるまで,フランクルは強制労働に従事させられました。

▼『夜と霧』は,フランクルがアウシュビッツ強制収容所に送られてから解放されるまでの記録であり,その理不尽な苦しみに耐えることの意味についてフランクルが考えたことを書き留めたものです。

If there is a meaning in life at all, then there must be a meaning in suffering.  Suffering is an ineradicable part of life, even as fate and death.  Without suffering and death human life cannot be complete.
(もし,まがりなりにも生に意味があるとすれば,苦しみにも意味があるはずなのです。苦しみは,運めや死としてであっても,生の根深い一部なのです。苦しみや死がなければ,人間の生は,完全なものにはなれないのです。)
(Viktor E Frankl, Man's Search For Meaning: The classic tribute to hope from the Holocaust)

苦しみですらも,意味のあることなのだ。フランクルはそう語ります。理不尽にも虐待され続け,毎日多くの仲間たちが死に,出口も全く見えない状態の中,フランクルはこう自らに言い聞かせることでその理不尽さを克服しようとしたのではないでしょうか。

【3】コロナウイルス禍という理不尽

    Former prisoners, when writing or relating their experiences, agree that the most depressing influence of all was that a prisoner could not know how long his term of imprisonment would be.  He had been given no date for his release. (In our camp it was pointless even to talk about it.)  Actually a prison term was not only uncertain but unlimited.  A well-known research psychologist has pointed out that life in a concentration camp could be called a “provisional existence.”  We can add to this by defining it as a “provisional existence of unknown limit.”
(元囚人[※強制収容所に入れられた人々のこと]たちが自分たちの経験を書いたり語ったりする時に異口同音に言うのは,すべての中で最も重苦しい影響は,自分が閉じ込められる期間がどれほど長いものになるか囚人にはわからなかったことだ,ということです。囚人には釈放の日付は教えられませんでした。(私たちの収容所ではそれについて話すことすら無駄でした。)実際には,収容期間は不確定なだけではなく,無限でした。ある有名な心理学研究者が,強制収容所での生は「仮の存在」と呼びうるものだと指摘したことがあります。私たちはそれを「期限がわからない仮の存在」と定義することで,これを補うことができます。)
(Viktor E Frankl, Man's Search For Meaning: The classic tribute to hope from the Holocaust)

▼この一節を読んでふと思うのは,コロナウイルス禍のただなかにいる私たちも,フランクルたちと同じように「自分が閉じ込められる期間がどれほど長いものになるか」わからない囚人のようなものかもしれない,ということでした。当然ながら,他者の苦しみと自分の苦しみを比較することはできませんし,すべきことではありません。だから「彼らの置かれた状況から比べれば,私たちの方がましだ」などとは思いませんし,思うべきでもありません。しかし,フランクルの言う「苦しみにも意味がある」ということばが,今の私たちにとっては救いになるのではないか,と思うのです。「どんな理不尽な状況にも,意味がある」と受け入れることで,その理不尽さを克服する,あるいは克服とまではいかないにしても,耐えうることはできるのではないか,と。

▼もちろん,現代の日本は,フランクルが経験したような「いつ殺されてもおかしくはない」状況ではありません。しかし,治療法も無く,感染力も強いウイルスに「いつ感染して死んでもおかしくない」状況にいることは確かです。私と同年代の死者が出たことが報じられると,「明日は我が身ではないか」と,まるで見えない時限爆弾を抱えて生きているかのような感覚にとらわれます。

▼来春の入試合格を目指す受験生の皆さんにとっては「入試改革」という理不尽に加え,「コロナウイルス禍」という理不尽が重なりました。しかし,フランクルの教訓に従えば,この理不尽な状況の中でも,私たちは意味を見出し,それを心の糧にして生きていくしかないのでしょう。もちろん,その「意味」は人によって異なります。一人一人が自分で見つけていくしかありません。それが将来,自分を大きく成長させてくれることを信じて。

【追記】『夜と霧』,ドイツ基本法,難民

▼私が所有しているみすず書房版の『夜と霧』(霜山徳爾訳)では,冒頭に70ページ近くを割いた「解説」があり,そこでは「第二次大戦後イギリス占領軍の戦犯裁判法廷の法律顧問であったラッセル卿の記述によって」(p.7)示された強制収容所の全貌が書かれ,各地の収容所でどのような残虐行為が行われていたかが詳細に述べられています。暴力,拷問,収奪,強姦,処刑,人体実験,死体を使った「装飾」…。人間はこれほどまでに残虐になれるのか,という驚きと悲しみと憤りを感じざるを得ません。末尾には写真や資料も添付されています。辛いものばかりですが,決して目を背けてはならない歴史的な事実であり,ドイツは戦後ずっと今に至るまで,この重い傷を背負い,直視し,戦争犯罪を断罪し続けてきました。

▼そのことはドイツの憲法(基本法)にも反映されています。数年前,中東から大量の難民がヨーロッパを目指した時,メルケル首相はドイツでの難民受け入れを表明しました(もっとも,その後さまざまな問題が生じて撤回したのですが)。これはドイツ基本法に政治的迫害を受けた難民を保護する義務が規定されているためであり,その規定は,ナチスドイツが移民・難民を迫害した過去を反省するとともに,ドイツ国民自身もナチスドイツに迫害されて何十万人もの難民を他の国に受け入れてもらった経緯があったからです。

▼ドイツは戦後も東西に分割され,様々な困難に直面し,今も多くの問題を抱え続けてはいますが,今回のコロナウイルス禍でも,国民に対して,そして世界に向けて,感動的なスピーチを送る首相を擁しています。


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