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ホディンキーとライカ / 坂本龍一のあと

ホディンキーとライカ

先日、六本木の蔦屋書店で行われた“ホディンキー(HODINKEE)”主催のトークショーを見てきた。恥ずかしながら私ことアラサー会社員は、この時までホディンキーなるものを知らなかった。基本的にはアメリカ発の時計専門誌らしいので、腕時計が好きな方には馴染みがあるかもしれない。そこで「あ、ライカにもホディンキー・エディション(Ghost)みたいなのがあったな!」と思い出す。さて、本題はこのトークショーのゲストが写真家・佐藤健寿さんだったのだ。以前も記したと思うが、ライカ自体に対する興味は佐藤さんの作品を見たことに始まっている。そんな憧れの人の話が聞けるということで、雑誌を購入して参加申し込みをした。

ライカは時計も作っており、今回はその視察?などを兼ねてドイツにあるウェッツラー(Wetzlar)本社を佐藤さんと訪れた話がメインとなっていた。そのトークコーナー自体は40分程度で終わってしまい、そこからは1時間ほどフリーに。時計の見本もあるし、M11やゾフォート2などのカメラも置いてある。これらに触れながらしばし皆様でご歓談ください的なアレだ。社交性皆無の私には難しい時間で、佐藤さんに話しかけるかも散々迷った。しかし、このようなチャンスはもうないだろうと思って話しかけさせていただいた。ただし、緊張のあまり何を話したかはほぼ覚えていない(無念)。佐藤さんはM10-Rのブラックペイントを下げていた(はず)。

「HODINKEEマガジン ジャパン エディション Vol.7」

対面で話せる時が来るとは夢にも思わなかった。主に使用機材についての質問をさせていただいた、と思う。詳しい内容は割愛させていただくが(うろ覚えでもある)、佐藤さんはM11も使った上で現在はM10系の良さを感じられているようだった。他社カメラでも同じかもしれないが、つねに新型が最高かと問われればそういうわけでもないのが面白い。私はM10系を所有したことはないが、M11モノクロームの立ち上がりの遅さには不満がある。同じような理由からM11を売却してM10-Pなどを買い戻す方もいるようだ。その逆もまた然りだろう。写真の色味も違うそうで、もはや“シリーズ”というよりもそれぞれ別のカメラのようにも思える。

その後は、ライカジャパンの方からウェッツラーと私が最近気になっている“M10-D”の話を伺った。個人的にいつかウェッツラーには行ってみたい。街並みは古風な雰囲気だそうで、単にヨーロッパ旅行としても良さそうだ(問題はアクセス)。後者については、お客様から「従来のカメラよりも遅いシャッタースピードで切っても写真がブレなくなった」という話を聞いたそう。液晶がないことでホールド感が増しているのか、脇をしっかりと締めて撮れているのだろう。最後に「本社の人たちにM11-Dを待ってますとお伝えください!」と謎の行き場のない希望を託して帰路についた。終始緊張しまくりだったが、年末にとても良い経験が出来た。

「書店に並ぶカメラたち」

坂本龍一のあと

2023年がもうすぐ終わる。私にとっては、多くの偉大なミュージシャンを失った年でもあった。なかでも坂本龍一(以下敬愛を込めて:教授)という存在は、失ってからよりその大きさを感じた気がする。今月からそんな教授のトリビュート展が始まるということで初台(西新宿?)にあるNTTインターコミュニケーション・センターへ向かった。展示規模としてはそこまで大きくないが、どのセクションも“音”と密接に関わっていて面白い。1つの作品として、室内にグランドピアノが置かれていた。作品名は《そよぎ またはエコー》。自動演奏ピアノとなっており、教授が作品に対して提供した楽曲が演奏される。もちろん、しっかりと鍵盤は沈む。

それを見て、私は教授が近くにいるような気がした。沈む鍵盤は、かつて教授が演奏した軌跡のように都合よく見えたのだ。先月、教授が晩年に愛用していたものと同じ型のメガネを購入した。そのメガネをしていたことが、そう思わせたのかもしれない。とにかく、その場で1枚の写真を撮った。いつか人は見えなくなって・触れられなくなってしまう。それでも、その人の作品は残る。月並みではあるが、強くそれを感じた瞬間だった。私は著名な写真家ではなく、しがない会社員だ。とはいえ、自分たちが何気なく撮った写真がバトンとなって未来に渡る可能性も否定できない。それを常に意識したいわけでもないが、出来る限り今を収めていきたい。

「過去と現在」
「面影を追って」

これまで


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