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【28】言われなくても勝手にやる 「やりたいこと」の性差(終)


「生まれか育ちか」問題

 前回の記事で私は、性差というのは人間の側からではなく性質の側から捉えるべきものだと述べた。ある性質について男女比の偏りが見られる場合、その理由として

① 脳の生得的な男女差の反映(Aの特徴を示す人はもともと男性に多く、Bの特徴を示す人はもともと女性に多い、というように)
② 「男性は○○で女性は△△」あるいは「男性は○○でなければならない、女性は△△でなければならない」といったジェンダーバイアスの影響

の2つが考えられるが、おそらくほとんどの性差は ① と ② の両方、つまり生得的な男女差が文化的に強化・増幅されることによってもたらされているのだろう。
 ① と ② のどちらを強調するかは立場によって異なり、ジェンダー論やフェミニズム系の論者は当然 ② を重視することが多い。これらの人たちは(第23回で指摘したように)そもそも ① の可能性には触れないか、触れても認めたがらない傾向にある。

 私はこれまで述べてきたとおり、少なくとも「興味の性差」については ① の可能性を重視している。正確に言うと、あらゆる性差を環境要因だけで説明するのが「政治的に正しい」とされる近年の流れに対して、生得的な性差の存在にも目を向けてバランスをとった方が良いと思うのである。というのも、それが人々に考慮されていないと、おかしなことになりかねないのだ。

男女で分母が違うことは明らか

 「STEM分野には男性が多く女性が少ない」問題に戻ろう。この現象が全て文化的要因だけに由来するのであれば、それが解消されれば理屈上は男女比がほぼ半々に近づいていくはずである。
 しかし、これまで見てきた通り、この偏りは男女の生得的な傾向の違いに由来している可能性が高く、仮にジェンダーバイアスが完全に取り除かれたとしても男女比が同等になる見込みは薄いと考えられる。

 第24回に載せたOECDの「学士課程に進学する新入学生の割合」のグラフを改めて見てみると、世界で最も男女平等意識が高いとされるフィンランド、アイスランド、スウェーデン、ノルウェーにおいても、STEM分野を専攻する学生に占める女性の割合は、それぞれ(目測で)23%、34%、29%、31%くらいでしかない。

 「でも30%代って日本と比べれば相当高いんじゃない?」と思うかもしれないが、これらの国では高等教育に進む人の数自体が女性の方が大幅に多いのである。特にアイスランドの女性の高等教育就学率は男性の約1.9倍である(第25~26回を参照)。
 にもかかわらず、3割程度の人数しかいないということは、高等教育に進む意欲と能力のある女性たちの中でも、こうした分野に惹かれる人の割合はかなり低いのだと考えるのが自然な解釈だろう〈1〉。

理念が独り歩きすると色んな人が損をする

 それでもなお、今後も多くの論者が「理工系に女性が少ないのは社会環境のせいなのだ」と主張し続け、世間の人も「まあ、そうなのかもな~ 」と思うようになり、行政機関や教育機関が対応を迫られ続けるとどうなるか。

 例えば、日本の大学の工学分野に占める女性比率は2021年時点で15.2%(全国平均)〈2〉とのことだが、「これを40%、せめて30%まで増やさなくてはならない!」といった、むやみに高い目標が設定されてしまったりするだろう。
 すると、女子生徒にこの分野の魅力を伝えるエンパワーメントプログラムだとか、ジェンダーバイアスを解消するための啓蒙活動、といった費用対効果の薄そうな施策にいつまでもお金と時間が使われ続けることになるかもしれない。

 そうした取り組みがあまり功を奏さず、それでもなお女性比率を増やしたいのなら、その最終手段は入試での女性枠の導入である。これが全国的に実施された場合、意欲も能力もそれなりにある男性が女性枠に押し出されて不合格になるという事例がたくさん出てくることになる。
 第24回でとりあげたとおり、数学や科学が得意な女性は他の面でも優秀な人が多いのに対して、数学や科学が得意な男性はそれだけに特化している人が多いのだ。理数系一筋の男性がその分野で活躍する機会を奪われてしまうのは気の毒である。

 女性に対しても変なプレッシャーがかかってくる可能性がある。この連載で何度も参照しているスティーブン・ピンカー著『人間の本性を考える』では、こういう話が出てくる〈3〉。

 ゴットフレッドソンは「ジェンダー・パリティ〈筆者注:「ジェンダー平等」と同じ意味〉を社会正義の尺度として使うことを主張すれば、多くの男性と女性を、本人のいちばん好きな仕事から締めだし、好きではない仕事に無理につかせなくてはならなくなる」と指摘している。
(中略)
 これらは仮想にもとづいた懸念ではない。国立科学財団が近ごろ実施した調査では、専攻を科学や数学や工学に決めたのは自分自身の志望ではなく教師や家族からの働きかけがあったからという回答をした人が男性よりも女性に多い — そして多数がその理由から最終的に専攻を変更した、という結果が出ている。

 「親や先生の勧めもあって工学部に入ってみたけど、なんか向いてないなと思って専攻を変えた」というような女性が(少なくともアメリカでは)かなりいるのである。親や教師がジェンダー平等の理念に囚われるがあまり、女性本人の希望や適性を考慮せずに理工系への進学を熱心に勧めてしまう、という本末転倒な事態が起こっているのだ。

おもちゃに原因がある!?

 最近は「STEM分野に男性が多く女性が少ないのは、幼児期に与えられる玩具にも原因があるのだ」なんていう主張も見かけたりする。例えばこの記事とか

noteだと、この記事でも似たようなことが言われている。

 男の子は幼児期にトラックやロボットやブロックのおもちゃを与えられるから理数系に興味を持ち、女の子は人形やぬいぐるみを与えられるから理数系に関心を持てなくなるのだと、、。

 「今度はそう来たか 」という感じである。そうまでして「生まれつきの性差などない」ということにしたいのか… 。そりゃ多少は遊んだ玩具に影響される面もあるのかもしれないが、普通に考えて原因と結果が逆ではないか?(この連載ではおなじみの批判である) 

 もともと男の子は乗り物に惹かれる子が多く、女の子は人形やぬいぐるみに惹かれる子が多いがゆえに、男女それぞれにそうしたおもちゃを与える、という文化が定着したのではないだろうか。実際、科学者の間では「(平均的に言って)玩具の好みには生まれつきの性差がある」という見解が主流のようだ〈4〉〈5〉。

 この傾向は、なんとヒト以外の霊長類にもあるらしい。以前、NHKで放送された『地球ドラマチック 科学で解明!動物たちの遊び』という番組では、野生のチャクマヒヒ(アフリカ南部に住む霊長類)に人間のおもちゃを与える実験が紹介されており、人間と同様、オスは車や飛行機など動くオモチャに興味を示し、メスは人形の方に興味を示していた(簡易な実験であり「科学的な実験として不十分は点はありますが」という断りはあったが)。

「やりたいこと」は勝手にやる

 ちょっと別の角度から考えてみよう。そもそも人の興味や関心って、親や先生や周囲の人の言動にそこまで大きく左右されるものだろうか?

 例えば私である。私は(こんな文章を書いてるくらいだし)物事を理屈で考えるのが大好きな人間である。哲学や思想関連の文章を読むのが好きだし、高校の時は国語の現代文が一番得意だった。
 一方、私には2歳下の妹がいるのだが、妹は哲学にも思想にも全く興味がなく、高校の時は現代文が一番苦手だったそうだ。「正解も解き方もはっきりしないから嫌い、あれって何の役に立つの?」と今でも言っている(別にそれが悪いことだとは思わない)。

 私たち兄妹は同じ家庭で育ち、同じ幼稚園・小学校・中学校で同じ教育を受けた。なのになぜこんなに違うのだろうか。私の両親が私にだけ本をたくさん買い与えて、妹にはそうしなかったからだろうか。そうではない。そんな記憶はないし、そもそも両親も哲学とか思想とか社会批評には全く関心がないタイプである。たぶん、そういった類の本は1年に1冊も読んでいないと思う(繰り返すが別にそれが悪いことだとは思わない)。

 ならば私のこの学究的というか考え事好きな性質はどこから来たのか? これはもう「生まれつき」としか言いようがないだろう。当たり前だが人には生まれ持った気質や好み、要するに「個性」というものがあり、それは放っておいても勝手に出てきてしまうのである。

 これを読んでいる皆さんにも、それぞれ好きなものがあると思う。映画が好き、音楽が好き、スポーツが好き、動物が好き、花が好き、絵を描くのが好き、登山が好き、などなど。しかし対象がなんであれ、親や先生や周りの人たちから「それがいかに魅力的か」を熱心に説得されたから好きになった、という人はほとんどいないのではないだろうか? 

 もちろん周囲の人がきっかけを与えてくれることはあったかもしれない。しかし、きっかけを与えられても自分自身が「面白い! 楽しい!」という気持ちを持てなければ夢中にはならなかったはずである。そういうワクワクする気持ちがあったからこそ、誰に促されたわけでもないのに自然と詳しくなったり上手くなったりしたのではないか? 
 
 人は、誰に何を言われなくても「やりたいこと」は勝手にやるものなのだ。何かに対して、他人に背中を押されてやっと取りかかるくらいの意欲しか持てないのであれば、それはその人にとって真に「やりたいこと」ではないのである。その道で長年努力を続けたり苦労を乗り越えたりするのは難しいだろう。

 進路選択の話にあてはめるなら、そもそも大人たちに熱心に促されてようやく「うーん、理工系に行くのもアリかな~」と思うようになる、程度の人は、その分野には最初からあまり向いていないのではないだろうか。理工系の学部は実験や実習が多く大変なので「ちょっと興味がある」程度ではきつい。なんとなく入ってしまうとけっこうな確率で後悔することになるという〈6〉。

私はこの件については

・平均的に言って男性と女性では興味や関心の対象が異なる
・しかし個人差は大きい
・女性が男性割合の高い分野への進学を希望したり、男性が女性割合の高い分野への進学を希望した際は、その意志をしっかり尊重するべき

 という3つの認識が社会全体で(特に教育現場で)共有されていればそれで十分なのではないかと考えている。それ以上の介入は前述の通り多かれ少なかれ誰かを不幸にする可能性があり、あまり望ましくないと思う。



〈1〉アイスランド在住の方が以下の記事で「息子の所属する大学の機械工学部では、半数近くの学生が女性だ」と " それくらい多い " という文脈で書いているのだが、学生の総数では女性の方がはるかに多いのだから「半数近く」ならむしろ " それしかいない " と捉えるべきだろう。

〈2〉『工学分野の女子比率15% 理学は30%、地域差も』共同通信、2022.4.7
https://nordot.app/884619157177876480
〈3〉スティーブン・ピンカー『人間の本性を考える —心は「空白の石版」か—(下)』山下篤子訳、NHKブックス、2004、p.149
〈4〉アンジェラ・サイニー『科学の女性差別とたたかう』東郷えりか訳、作品社、2019、p.100-102
〈5〉『ジェンダーサイエンス(1)「男X女 性差の真実」』NHK、2021.11.3
https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/blog/bl/pneAjJR3gn/bp/pn11RwvEEn/
〈6〉『【暴露】工学部はやめておけ!?現役工学部生がメリットやデメリットを解説します!』2021.10.16
https://netjp.info/faculty-of-engineering

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