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舞台 「ライカムで待っとく」 観劇レビュー 2024/05/31


写真引用元:KAAT神奈川芸術劇場 公式X(旧Twitter)


公演タイトル:「ライカムで待っとく」
劇場:KAAT神奈川芸術劇場 中スタジオ
企画・制作:KAAT神奈川芸術劇場
作:兼島拓也
演出:田中麻衣子
出演:中山祐一朗、佐久本宝、小川ゲン、魏涼子、前田一世、蔵下穂波、神田青、あめくみちこ
公演期間:5/24〜6/2(神奈川)、6/7〜6/8(京都)、6/15(福岡)、6/22〜6/23(沖縄)
上演時間:約1時間55分(途中休憩なし)
作品キーワード:沖縄、軍事基地、ノンフィクション、考えさせられる
個人満足度:★★★★★★★★★☆


2022年11〜12月に初演され、第30回読売演劇大賞優秀作品賞受賞、第26回鶴屋南北戯曲賞ノミネート、第67回岸田國士戯曲賞最終候補作に選ばれ話題となった、沖縄在住の劇作家である兼島拓也さんの戯曲『ライカムで待っとく』が再演されるということで観劇。
今作は初演時と同様に演出を田中麻衣子さんが担当し、初演時とは一部キャストを変更して上演された。私自身、『ライカムで待っとく』を観劇するのは初めてである。

物語は、1964年に沖縄で起きた米兵殺傷事件と初演当時の今である2022年の二つの時系列が交錯しながら沖縄の現状を真正面から切り込む作品である。
横浜出身で雑誌記者として関東で働いている浅野悠一郎(中山祐一朗)は、沖縄出身の妻である知華(魏涼子)の祖父が亡くなったというので沖縄に向かおうとしていた。
そんな浅野の元に会社の先輩である藤井秀太(前田一世)と近くのパン屋で働く伊礼ちえ(蔵下穂波)がやってくる。
伊礼は元々地元が沖縄で、伊礼の祖父から預かっている手記と祖父の写真を浅野に渡す。
そして、祖父のことについて取材して記事を書いて欲しいと依頼する。
浅野は伊礼から預かった手記と写真を持って沖縄へ向かう。
浅野は知華と合流して伊礼から渡された手記と写真を見せると、その写真に知華の祖父である佐久本寛二(佐久本宝)が写っていることに気が付く。
知華はその後実家を整理していると、祖父の寛二が米兵殺傷事件の被告人として逮捕されていたという新聞を発見する。
そのまま浅野は伊礼から受け取った手記を読み進めていくうちに、1964年の事件当時の人物たちの世界に迷い込み...というもの。

今作が初演された2022年当時は、沖縄返還50周年という節目でもあり上演されたが、どうして初演時に観に行かなかったのかと後悔するくらい素晴らしい作品に感じた。
物語の始まり方としては、米兵たちに翻弄される沖縄住民たちの話だろうと予想通りに思いながら観ていたのだが、物語が後半に進むにつれてこの作品がなぜここまで絶賛されるのかがジワジワと伝わってくる構成だった。
特に目を引いたのが、現代を東京都心で生きる私たちが1964年当時の沖縄や今の沖縄のリアルに迷う込むという演劇的構成とメッセージ性。
物語後半から今作は時系列通り進まず、主人公の浅野たち現代人が1964年の沖縄の人々といつの間にか会話をしていたり、一体今目の前で上演されている話が現実なのか夢なのか、よく分からない構成で描かれる点に演劇でしか味わえない作品の魅力を感じた。
そしてそういった描写を挿入することによって、自分たちが日本全国の平和のために犠牲となっている沖縄県民だったらどういう気持ちになるのかを追体験させてくる側面があって、これほどまでに沖縄県民が抱えてきた苦悩を観客に突きつけてくる作品はなく、そういう意味でもメッセージ性の強い作品に感じられて素晴らしかった。

「沖縄は日本のバックヤード」という言葉が個人的には物凄く響いた。
沖縄県民にとって日本とは地続きで同じ水平線上にある存在なのに、日本本土から見ると沖縄に対して境界線を引いているように感じる。
終戦後、日本に米軍基地を置くことになってそれを沖縄に全て背負わせている。
だからこそ日本本土には今までと変わらない平和な日常がある。
米軍基地があるが故の沖縄に存在する不条理な事態は、日本本土にとって他人事のように扱われている。
そんな不条理がいざ私たちに突きつけられたらどう感じるのか、そんなことを問われているような気がして演劇であるが故のインパクトを感じざるを得なかった。
そしてそういった地方の現状を顧みようとしない日本の在り方は、沖縄に限らず能登半島地震が忘れ去られたかのように扱われる姿勢にも通じてきて考えさせられた。

舞台美術も非常に見事で、ステージ中央にある回転舞台が回転することによって、舞台空間の展開は勢い付いて没入感を増し、主人公の浅野と同じように観客である私たちもその世界に迷い込んでいるかのような錯覚を与えた。
さらに、天井から吊り下げられた透明のシートに映る舞台照明は、どこか沖縄の上空を飛ぶ米軍の軍用機のように恐ろしいものに感じた。

役者陣も皆素晴らしかった。
特に、タクシーの運転手や1964年の事件の当事者である佐久本寛二役を演じた佐久本宝さんの演技が光った。佐久本さんだけでないが、60年前の当時の沖縄県民たちの陽気で楽しげな会話演技は、私たちがイメージする沖縄を違和感なく再現していて、だからこそ米軍殺傷事件によってそれが引き裂かれたんだと思うと胸が痛くなる思いだった。

今作が沖縄でも再演されるということで、果たして今の沖縄県民に今作がどう映るのか感想を聞いてみたい所である。
少なくとも、沖縄県民でない私にとっては凄く突きつけられるものが鋭く、改めて演劇の素晴らしさを感じたし、上演され続けるべき傑作が生み出されたんだと感じた。
神奈川公演はもう終わってしまうが、多くの人に今作が届くことを願いたい。

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「ライカムで待っとく」より。左から佐久本宝、前田一世、神田青、中山祐一朗、あめくみちこ、蔵下穂波、小川ゲン、魏涼子。(撮影:引地信彦)

↓トレーラー映像




【鑑賞動機】

第30回読売演劇大賞優秀作品賞受賞、第26回鶴屋南北戯曲賞ノミネート、第67回岸田國士戯曲賞最終候補作に選ばれた傑作で、再演が決まった段階で迷わずにチケットを取った。直近で一番楽しみにしていて、期待値が非常に高い作品だった。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

関東にある出版社のオフィス。雑誌記者の浅野悠一郎(中山祐一朗)がオフィスにやってくる。そこへ会社の先輩の藤井秀太(前田一世)もやってくる。浅野は、自分の妻が沖縄出身で妻の母が亡くなったために沖縄に行くことになったと告げる。
そこへ伊礼ちえ(蔵下穂波)がやってくる。伊礼は、この近くでパン屋さんを営んでいるらしい。伊礼も出身が沖縄県で、沖縄に向かう浅野に対して一つ頼み事があるという。それは、伊礼の祖父から預かっている手記と写真を渡して、58年前に沖縄の普天間で起きた米軍殺傷事件について記事を書いて欲しいとのことだった。写真には伊礼の祖父が写っており、手記はどうやら伊礼の祖父が米軍殺傷事件のことについて書いた手記のようである。浅野は、その二つを持って1964年に起きた米軍殺傷事件について記事を書くことになる。

浅野は沖縄に着きタクシーに乗って移動する。タクシーの運転手(佐久本宝)は、沖縄弁で陽気に浅野に話しかけてくる。車窓から見えるショッピングモールは「イオンモール沖縄ライカム」で、元々は米海兵隊の「泡瀬ゴルフ場」だった場所が近年ショッピングモールになったのだと解説する。
浅野が伊礼から渡された手記を読んでいると、タクシーの運転手はそこに何が書かれているかお見通しだとばかりに話してくる。昔、B子、C子、D子という三人の若い女性がいて、B子が米兵にレイプされて殺されてしまったという事件を話す。その米兵の証言によれば、別にレイプしたかったのはB子が良かったからではなく、誰でも良かったのだと、無差別的だったのだと語る。たまたまB子はその日、友人たちと夜遅くまで飲んでいて、たまたま米兵がいた近くを夜通り過ぎただけでそんな目に遭わなければいけなかったのだと。B子は婚約した男性が家で帰宅を待っていたのだという。

浅野は妻の知華(魏涼子)と合流し、知華の実家に行く。浅野は、職場で出会った伊礼という女性から、彼女の祖父の手記と写真を見せながら米軍殺傷事件のことについて話す。知華はその写真に自分の祖父が写っていることを知り衝撃を受ける。
知華は、実家の段ボールを色々物色していると、昔の古い新聞が出てきたので取り出して読んでみると、知華の祖父が1964年に起きた米軍殺傷事件の被告人として逮捕されていたというニュースが書かれていることを知る。知華はさらに衝撃を受ける。そんなこと、今まで一度も聞いたことがなかったと。
そんな話をしている間にも、知華の実家の上空を米軍の軍用機が飛んでいく音が大きく聞こえるのであった。

一方、関東の伊礼が働くパン屋に藤井がやってくる。藤井は、パンを売りながら立っている伊礼の真横に膨大な量の段ボールがあるのを見つける。伊礼の話には、この段ボールはみんな祖父の手記らしくて、いつもは職場まで15分くらいで着くパン屋に3時間くらいかかったと話す。大家さんには引っ越しをするのかと間違われるほどだったそう。伊礼は、そろそろ祖父の手記が自宅の大部分を占めていて処分に困っていたらしい。しかし、ただ処分する訳にはいかないので浅野に記事にしてもらおうと思ったそう。
藤井は、その大量の段ボールの中身を開ける。すると段ボールの中から、アメリカ人たちの声が聞こえてきた。

沖縄では、浅野と知華が金城(あめくみちこ)を訪ねてきていた。浅野が米軍殺傷事件のことについて記事を書きたいので、写真から当時の記憶を辿りたいからである。
金城は、浅野から写真を受け取り、その写真から知華の祖父の霊を呼び出して憑依しようとする。金城は写真をコーラにつけてむしゃむしゃと写真を食べ始める。浅野と知華は金城を心配する。
金城の身に知華の祖父の霊が宿る。知華の祖父の霊は、金城の身に憑依しながら知華のことはよく知らないが、浅野のことはよく知っていると睨みつける。浅野は、米軍殺傷事件のことについて取材し、記事にしようとしている奴だと。

ステージの透明ビニールシートに映像が映し出される。1964年の米軍殺傷事件の概要である。この事件で、米兵と沖縄人が乱闘し、米兵一人が死亡し、一人が重症を負った。それによって、佐久本寛二、嘉数重盛、平豊久の三人が逮捕されたと文字で説明が流れる。
1964年の沖縄普天間のおでんや。おでんやのマーマである大城多江子(あめくみちこ)は、兄の佐久本雄信(前田一世)、弟の佐久本寛二(佐久本宝)、嘉数重盛(神田青)、平豊久(小川ゲン)の4人の男性におでんを振る舞っていた。4人の男たちは、おでんと沖縄の酒を囲んで盛り上がっていた。
そこへ、一人の若い女性がおでんやにやってくる。栄麻美子(蔵下穂波)と名乗っていた。男たちは栄に釘付けになって大盛り上がりになる。
そこから男たちはゴルフの話になって、お互いにクラブを持って素振りをする。しかし寛二は、ゴルフの素振りが上手くなくて、振った瞬間にズッコケてしまうのだった。

嘉数は栄と二人で糸満の海に来ていた。嘉数は、この海には苦い思い出があって、ここで戦時中に兄弟の多くを失ったと語る。海に飛び込んで自殺したようである。
嘉数はこの前、米兵に蹴られたという旨を話していた。乱闘にはならなかったが、どうやら米兵に対して腹が立っていたようにも見える素振りだった。
栄だけ残り、裁判のシーンになる。アメリカ人にスピーカーの音声から英語で尋問される。糸満の海に出かけた時、嘉数はどんな様子だったかと。栄は、嘉数が米兵に対して怒っている様子だったと証言するように誘導される。太平洋戦争中に兄弟が海に飛び込んでいて、それは敵国アメリカのせいだと解釈できるからである。

夜、寛二が営んでいる佐久本写真館に、寛二と大城と平がいた。寛二たちはまだ酒を飲もうとしていて、その様子に大城は酒が好きなだなと思っている。嘉数も糸満の海から帰ってくる。
平は家に帰ろうとする。平と一緒に嘉数も帰る。大城は、平の妻はよっぽどおっかない人なんだねと寛二に話している。
そこへ、平が戻ってきて嘉数が坂の下で倒れていると通告する。そこから一同は大騒ぎとなる。
多江子だけが残り、裁判のシーンになる。アメリカ人にスピーカーの音声から英語で尋問される。多江子はアメリカ側に事実だけ伝えようとするが、沖縄弁で言っていた内容を日本語で話して欲しいとアメリカ人に言われた上で、「たっくるす」とはどういう意味かと問うてくる。懲らしめてやるという意味ではと多江子は答える。
佐久本写真館で、兄の雄信と寛二で話している。寛二は米兵に仕返ししたい様子だったが、兄の雄信は平穏を保つために我慢しろと言い続ける。
雄信だけが残り、裁判のシーンになる。アメリカ人にスピーカーの音声から英語で尋問される。雄信は誰もアメリカを恨んだりはしていていないと強く証言する。
ステージ上の回転舞台が回転し、みんなでよさこいを狂気的に踊り出す。

浅野は沖縄で、上司の藤井と電話する。浅野は、自分の妻の知華の祖父が米兵殺傷事件の被告だったということを告げる。しかし藤井は、横浜出身の浅野なら客観的にこの事件のことについて記事を書けるだろうと言う。本当は、終戦後米軍の基地を置く場所を沖縄ではなく神奈川にしようかという話もあったのだからと。横須賀、座間、厚木と神奈川にはいくつも米軍基地にできる候補があったと。しかし、結局は沖縄になった。神奈川県民は大人だったから逃れられたのだろうと藤井は言う。

浅野が立っていると、周囲に1964年の米兵殺傷事件の時にいた沖縄人たちが現れる。浅野は、伊礼からもらった手記の内容に取り込まれてしまった。
沖縄人たちは、みんなして佐久本寛二を有罪だと主張する。浅野だけがまだ有罪か無罪か決めていない。有罪と決めるように圧力をかけられている感じがする。浅野は中立を保とうとしたが、中立は権力のある方に従うと言っているようなものだと言われる。
その時、知華がやってきて娘のちなみが行方不明だと浅野に言う。浅野は急いで家に戻ってちなみを探そうとする。
知華の実家の外で、何やら段ボールを持ち出している一向に出会う。何をしているのかと聞くと、この段ボールの中には核兵器や毒ガスが入っているのだと言う。彼らは沖縄に駐屯する米兵たちのようだった。

浅野たちは、栄麻美子の元へ向かう。栄は、今は風俗嬢として働いているようだった。米軍殺傷事件のことについて聞き出そうとするが教えてくれない。佐久本寛二のことも教えてくれず、嘉数とも事件の前に別れていたと言う。
そのまま今度は金城の元に向かう浅野。そんなことをしている間に、最初に出会ったタクシーの運転手に出会ってタクシーに乗る浅野。相変わらずタクシー運転手は陽気だったが、とある場所にたどり着いて浅野をタクシーから降ろす。そこは埋立地だった。タクシー運転手は語る。日本の本土の人間は本土と沖縄の間に線を引こうとする。しかし沖縄県民にとって日本本土とは同じ水平線上にあると言う。沖縄は日本のバックヤードなのだと。沖縄で起きたことは、日本本土では大きく取り沙汰されないと。
沖縄は、沖縄間で境界線を引きたがる。1995年の事件があって、沖縄県民と警察で敵対した。沖縄県民は米軍基地を他に移転するように求め、そしてここに埋立地が作られたんだと。

そこへちなみをずっと探し続ける知華がやってくる。さらに、藤井もやってくる。藤井は伊礼が行方不明になってしまって彼女を探していた。
1964年の当時の沖縄人たちが浅野たちの前に立ちはだかる。ちなみや伊礼を行方不明にしたのは私たちだと。浅野は、何をしているんだ早くちなみや伊礼を返してくれと言う。しかし沖縄人たちは拒む。
浅野は、いやいやそれはおかしい、そんなことをしたら警察に訴えられて逮捕されると言う。しかし沖縄人たちは、これを警察に言っても警察は動いてくれないんだと言う。沖縄人たちは、ずっとそうやって本来であれば法によって裁かれる犯罪も、沖縄だから裁かれなかった事件があるのだと言う。そしてそれによって、日本本土の平和は維持されたのだと言う。日本の平和は小さな犠牲の積み重ねによって成り立っているのだと。
浅野はそれはおかしい、おかしいことだと訴える。しかし、それが沖縄の現実なのだと彼らは言うのだった。ここで上演は終了する。

沖縄在住の劇作家だからこそ描ける傑作に、ずっと圧倒されっぱなしだった。私は恥ずかしながら1995年の沖縄米兵少女暴行事件を知らず、沖縄が日本に返還されて随分と時間が経った今でも、こうやって沖縄県民が米兵によってレイプされたりという事件が発生していることを知らなかった。知識として、沖縄に米軍基地があってそれを辺野古へ移設しようと反対運動が起きていること自体は知っていたのだが、まさかこんな事件まで起きているなんて知らなかった。
だからこそ、自分の無知さにも恥じ入ったと同時に、そうやって沖縄の現状を知らない日本本土の人間は沢山いるのだろうから、こうやって上演する意義はすごくあるなと痛感した。
沖縄人がどれだけ今まで日本の平和を守るために犠牲になってきたのか、それを追体験する形の脚本構成でもう凄いとしか言いようがなかった。ここまで観客に当事者意識を持たせられたら、誰だって沖縄県民が背負ってきた辛さを体感できるし、その見せ方が本当に上手かった。これは岸田國士戯曲賞最終候補作も納得してしまう、そしてむしろ岸田國士戯曲賞を獲って良かったのではとも思う。
そういう浅野たちと一緒に観客まで沖縄人たちと同じ立場に立たせる演劇ならではの構成と、その発想力が素晴らしかった。

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「ライカムで待っとく」より。左から佐久本宝、前田一世、神田青、中山祐一朗、あめくみちこ、蔵下穂波、小川ゲン、魏涼子。(撮影:引地信彦)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

岸田國士戯曲賞や鶴屋南北戯曲賞のノミネートだけでなく、読売演劇大賞優秀作品賞を受賞しただけあって、戯曲だけでなく演出も素晴らしい作品だった。今作を非常に高く評価できるのは、脚本だけでなく演出も非常に素晴らしいものだったからであるに他ならない。
舞台装置、映像、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。
KAAT神奈川芸術劇場中スタジオの奥行きも広いステージを活かした舞台セットだった。まずステージ後方には天井から一面に透明のビニールシートのようなものが垂れ下がっている。そのビニールシートは映像のプロジェクターにもなり、さらにそのビニールシートの後ろにも舞台照明が吊り込まれていて、その灯りがどこか沖縄の上空に飛び交う米軍の軍用機の灯体を思わせる演出で格好良くもあり、恐ろしくもあった。
一番目を引く舞台セットは、ステージ中央にある回転する舞台装置。巨大な円盤のような形をしたそのセットは、端に複数箇所、縦に高い棒が付けられていて、それを押すことによって装置が反時計回りに回転する仕組みになっている。それを回転させることによって、坂のある舞台セットを手前側に持ってきたり、ゴツゴツとした岩の上のような舞台セットを手前側に持ってきたりして上手くシーン転換できるようにしていた。また、それを役者たちがグルグル回すことによって、浅野たちと共に私たち観客が、1964年の沖縄に迷い込んでしまったような錯覚を思わせる演出も素晴らしかった。そんなからくりによって当事者に私たちをさせる感じが好きだった。
あとはステージ上は広いので、様々なセットがステージの至る所に置かれていた。下手側には関東の出版社オフィスの卓上机や、上手側には伊礼の営むパン屋の机、1964年のシーンによっては、佐久間写真館というガラスの壁面が出現したり、おでんやのテーブルが出現したりした。
さらに序盤から目を引いたのが、ステージ周辺に散らばっている段ボールの数々。最初はこの段ボールにどんな意味があるのか分からなかったが、ここには1964年の米軍殺傷事件の手記などが眠る段ボールだと途中で気づく。そして、そういった60年前の歴史的事件の記録が段ボールで箱詰めされていることにも意味がある。劇中の台詞で、記憶とデータの話が出てくる。記憶は人間が持っているものだが、データは情報を読み取ることしかできない。沖縄がまだ日本に返還されていなくて陪審員があった時代は、今現在その時代の記憶を持っている人はいるが、いつしかみんな亡くなっていなくなってしまいデータしか残らなくなる。その記憶があるうちに訴えることの重要性も感じさせる演出で素晴らしかった。

次に映像について。
透明のビニールシートに、1964年の米軍殺傷事件の概要が映し出される。事件の経緯などが文字で且つ戦後の日本らしく漢字とカタカナが入り乱れた形で登場する。
また、栄、多江子、佐久本雄信はアメリカ人に尋問されるが、その時のアメリカ側の発言も映像で投影される。文字と音声によって。あの法廷劇の演出も緊張感があって素晴らしかった。
特に印象に残ったのが、沖縄弁で喋っていることを日本語で喋るように指示されるのがなんとも息苦しかった。沖縄のアイデンティティを否定されているような感じを受けたし、そうすることによって微妙にニュアンスもズレていった裁判になっていて公平でないなと強く感じた。

次に舞台照明について。
舞台照明は先述した通り一番印象に残ったのは、透明ビニールシート越しに映し出される照明で、それはまるで米軍の軍用機の照明そのものに感じて恐ろしかった。
あとは、糸満の海を栄と嘉数は一緒に一緒に見に行っているが、その時の夕焼けの照明とか色合いが絶妙で好きだった。
また、後半のシーンへ行くごとに浅野が手記の中にどんどん引き込まれていって、照明がちょっと不気味に感じられるようになったのが印象的だった。

次に舞台音響について。
まず音楽については、女性の声が響く南国を思わせる楽曲が印象的だった。糸満の海を栄と嘉数が見にいったシーンなどに流れていた。また、場転中によさこいのような音楽が、役者たちが踊りながら流れて、舞台セットも回転しているシーンも好きだった。沖縄らしさを感じると同時に、ちょっと不気味な感じもあった。
あとは、たまに聞こえる軍用機の音が良い感じで不気味だった。紛れもなく米軍の軍用機の音だが、沖縄は今でもこんな感じなのだろうか、そう考えると恐ろしくなると同時に、もっとこういったことは体感として本土に住む人々も知っておくべきだと感じた。

最後にその他演出について。
なんと言っても演劇的で一番良かったのは、特にシーンが途切れることなくいつの間にか浅野が手記の中に迷い込んで、1964年当時の沖縄人と会話していたりする演出。それを導入することによって、訴えたいメッセージ性の矛先を観客に向けられるし、見事に当事者にさせられる感じが素晴らしかったし、それが今作では一番メッセージ性が伝わる演出だと感じた。浅野という存在は、いわば私たち観客が一番感情移入しやすい、状況が近い存在である。その視点で当事者にさせられるので、メッセージ性をダイレクトに受けることになって巧みだと感じた。そしてこういう経験が出来るからこそ、演劇の重要性にも改めて気付かされた。
金城が、コーラに写真をつけて食べていたが、あれは実際に食べていたので写真の紙が何で出来ていたか気になった。きっと遠目からは写真のような紙に見える食べ物だろう。あの演出も面白かった。あれは驚く。
あとはかなりの役を一人二役で演じていて、途中着替えも忙しかっただろうなと感じた。特に、どちらの役も出番が多かった蔵下穂波さん、あめくみちこさん、前田一世さん、佐久本宝さんの切り替えが凄いと感じた。

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「ライカムで待っとく」より。左から佐久本宝、前田一世、神田青、中山祐一朗、あめくみちこ、蔵下穂波、小川ゲン、魏涼子。(撮影:引地信彦)


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

他の舞台作品で演技を拝見したことある役者と初見の役者がいたが、どの方も皆素晴らしかった。
特に印象に残った役者について見ていこうと思う。

まずは、主人公の雑誌記者である浅野悠一郎役を演じた中山祐一朗さん。中山さんは長塚圭史さんが主宰する劇団「阿佐ヶ谷スパイダース」に所属しており、また「ゴーチ・ブラザーズ」にも所属している。私は、ワタナベ・エンターテイメントの『物理学者たち』(2021年9月)や阿佐ヶ谷スパイダース『ジャイアンツ』(2023年11月)で演技を拝見している。
初演では文学座の亀田佳明さんが演じた浅野という雑誌記者の役だが、ちょっと弱々しい男性で1964年の手記に翻弄される様が非常に上手いと感じた。それはまるで自分自身や私たち観客の投影でもあると思う。今までずっと沖縄の事情について無関心でいた自分たちが、いざこうやって沖縄人がずっと抱えてきた問題に直面した時、いかに自分たちが彼らに辛い思いをさせてきたのかを感じるとそれは動揺してしまう。
そして物語終盤で娘のちなみを奪われた時に、この沖縄人が置かれている立場がいかに理不尽なものなのかを突きつけられる。それはまるで、沖縄に今でも存在する不条理で異質な世界に迷い込んでしまったかのようである。そんな存在を上手く演じていて中山さんは素晴らしかった。
中山さんは、そういう弱った男性を演じるのが上手くて、阿佐ヶ谷スパイダースの『ジャイアンツ』を観劇している時もそう思った。逆に初演時の亀田さんはそんなイメージがないので、亀田さんが演じた初演のバージョンも観てみたかった。

次に、悠一郎の妻である浅野知華役を演じた魏涼子さん。魏さんは、2021年12月に上演された『彼女を笑う人がいても』で演技を拝見している。
知華も沖縄出身であるが、祖父のことは何も知らずに育った女性で、今では横浜出身の悠一郎と結婚している。米軍基地から米軍の軍用機が絶え間なく沖縄の上空を飛んでいることは知っているかもしれないが、1964年の事件に関してはよく知らない。これはきっと、今の沖縄出身で本土に住んでいる人々も沖縄がそういう環境下に置かれていることを忘れ始めているということなのだろうか。
劇を観ていると、知華も悠一郎側の人間であるような気がして、沖縄出身の若者でさえも沖縄がどういう経緯を辿ってきたのか、沖縄が置かれた立場とはなんだったのかを忘れがちだというのを暗示しているのかもしれない。歴史は人々の記憶からデータになっていく。データになっていくと文字や情報でしか汲み取ることが出来なくなる。そうならないためにも、今作が演劇として必要であったことを感じさせてくれた。

今作で特に良かったキャストは、佐久本寛二役とタクシーの運転手役を演じた佐久本宝さん。佐久本さんの演技は、映画『怒り』で観たことがある他、2019年4月に紀伊國屋ホールで上演された『銀幕の果てに』で観たことがある。
佐久本という同じ苗字の役を演じた佐久本宝さんだが、本人も調べたら沖縄県出身の俳優のようである。佐久本という苗字は沖縄に多いのだろうか。
まずタクシーの運転手の沖縄弁で陽気に語りかけてくる感じがとても素晴らしい演技だった。こんな感じのタクシー運転手、沖縄にいそうだなと思う。あの訛り方とかどこか温かい南国的な陽気さも感じられてそれだけで沖縄に行ってみたくなる。
そして、一番印象的だったのは、終盤のシーンで佐久本さん自身が涙を流しながら沖縄の現状を訴えるシーン。1995年の沖縄米兵少女暴行事件のことは私は知らなかったので、ここ20〜30年でもそういった事件が起きていることに驚愕した。沖縄県民の中でも、軍事基地を移設するしないで対立が起こっていて、沖縄に生まれてくるとそんな渦中に立たされなくなってしまうというのが凄く佐久本さんの演技から伝わってきて心動かされた。
また、佐久本寛二役のあの陽気な沖縄の若者感も好きだった。あの元気が良くて威勢の良い感じがとても好きだった。昨今は、騒々しいものを気嫌う傾向にあるが、ステージ自体もそこまで小さくないし、生であの熱量とどんちゃん騒ぎを体感できて良かった。

栄麻美子役と伊礼ちえ役を演じた蔵下穂波さんも素晴らしかった。蔵下さんの演技は初めて拝見する。
まず、栄の役も伊礼の役も結構な頻度で登場するのに、そこの早着替えを卒なくこなして登場していて驚いた。
個人的には伊礼の役が好きだった。祖父から授かった大事な手記といえど、時間が経ってしまえば部屋の面積を占める荷物になってしまう。しかしそれを風化させないために、あの膨大な文章量で祖父は残してきた。
それを誰かに託そうとする姿勢が好きだった。後世に残された身だったりすると、それを捨て去ってしまおうとまで考えてもおかしくないから。

藤井秀太役と佐久本雄信役を演じた前田一世さんの演技も素晴らしかった。
特に印象に残ったのが、佐久本雄信の役で弟の寛二に沖縄の平和を守るためにもこれ以上米兵に手を出してはいけないと叱ったり、アメリカ側に尋問されても決して流されず弟たちを守る姿勢を貫いていた姿が格好良かった。

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「ライカムで待っとく」より。左から佐久本宝、前田一世、神田青、中山祐一朗、あめくみちこ、蔵下穂波、小川ゲン、魏涼子。(撮影:引地信彦)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ここでは今作全体に関して考察しながら作品の素晴らしさを見ていこうと思う。

『ライカムで待っとく』は、沖縄在住の劇作家である兼島拓也さんが、1964年に普天間で起きた米軍殺傷事件を題材にして書かれた伊佐千尋さんのノンフィクション小説『逆転』を元にして書いた戯曲である。
米軍殺傷事件というのは、1964年8月16日に宜野湾市普天間の飲食街周辺で、米兵2人と数人の沖縄人が乱闘し、米兵1人が死亡、1人が重傷を負った事件である。この時、沖縄青年4人が普天間地区警察署に逮捕され、傷害致死罪で米国民政府裁判所に起訴された。
まだ、この頃の沖縄には陪審員制度があった。陪審員制度とは、犯罪事実の認定(有罪かどうか)は陪審員のみが行い、裁判官は法律問題(法解釈)と量刑を行う制度である。現在でもアメリカやイギリスがこの陪審員制度を導入している。
この米軍殺傷事件で逮捕された沖縄の4人の青年も陪審に付された。警察の取り調べで沖縄4人の青年は、挑発してきた米兵と喧嘩になった事実は認めたものの、致命傷を負わせた行為は否認した。彼らが死亡した、重傷を負った米兵に暴行したという事実を他の目撃者は誰もおらず、別の人物が関与した可能性もあった。
しかし、米国の陪審員の多くが沖縄人に重罪を課そうとした。陪審員であった沖縄人であり『逆転』の著者にもなる伊佐千尋は、一貫して4人の沖縄青年の無罪を主張した。伊佐の粘り強い訴えによって形勢は逆転し、沖縄人4人の青年は無罪、傷害罪の有罪の判決となった。
だが、同年の11月の判決では3人に懲役3年の実刑という初犯としては重い量刑が下った。このような、沖縄住民に対する強い差別意識が残った陪審員裁判の実態を描こうと伊佐は『逆転』を著したのである。

この事実を見ると、なんとも不公平極まりない裁判が行われていたんだと私は衝撃を受けた。劇中でも、まるでアメリカ側は4人の青年を悪者に仕立て上げるかのような言動が目立った。栄による嘉数が太平洋戦争中に海に身を投げた兄弟の話をしていたという話だけで、嘉数がアメリカに恨みを持っていたと決めつけたり、多江子の「たっくるす」という表現や沖縄弁を敢えて日本語に置き換えさせて、それを無理やり解釈して青年たちがまるでアメリカ米兵に恨みがあって殺したかったかのような証言に仕立てあげた。
そんなアメリカ側の思惑が介入した裁判を見て、私は凄くしんどい思いを感じた。

そしてそれ以上に問題なのは、そんな米兵殺傷事件があってアメリカ側によって不公平な陪審員裁判で沖縄人が有罪判決が決まっているにも関わらず、日本本土の人間がそれをあまり取り上げてこなかったことである。少なくとも私はこの事件を、今作を観劇するまで知らなかった。
2010年に民主党政権が普天間基地を沖縄の辺野古に移設すると政権公約しておきながら実施しなかった。それが社会的に大きなニュースとなったことで、私は初めて「普天間基地」という言葉や「辺野古」という言葉を知った。そして今でも米軍基地が沖縄に置かれている事実を知った。
「沖縄は日本のバックヤード」という言葉が登場するが、その言葉は的を得ていて日本本土の人々はそういった沖縄事情に無関心なのである。それは、直接的に日本本土に住む私たちの生活に何か支障を来たす訳ではないから興味を持たないのである。
しかし、劇中で登場するように、沖縄に米軍基地があることによって、日本全体の平和は保たれている。終戦してから日本が平和になったのは、ただ太平洋戦争が終わったからではなく、沖縄に米軍の基地が置かれたからこそ、敗戦国である日本は今まで変わらない生活をして豊かになれたのである。本来敗戦によって日本全国が受けなければならない代償は、無くて済んだのではなく、沖縄全体が背負っているということを忘れてはいけないのである。

先述した通り、1995年9月4日に沖縄米兵少女暴行事件が起きた。沖縄が日本に返還されて20年以上経過してからのことである。沖縄本島北部の商店街で買い物をしていた女子小学生がアメリカ海軍水兵によって拉致された。小学生は粘着テープで顔を覆われ、手足を縛られた上で車に押し込まれた、その後近くの海岸に連れて行かれた小学生は強姦され、負傷した。
沖縄県警察はこの事件を受けて、海兵隊員の事件への関与は明らかであるとして逮捕状を出したが、日米地位協定によれば、被疑者がアメリカ兵の場合、その身柄がアメリカ側の手中にあるとき、起訴されるまでは、アメリカが被疑者の拘禁を引き続き行うこととされていた。したがって、日本側捜査当局は起訴前には被疑者の身柄を拘束して取調べるという実効的な捜査手段を採ることもできなかった。
こういった事実があり、沖縄県民たちの反基地感情は爆発し、沖縄県内の自治体において、アメリカ軍への抗議決議が相次いで採択されたのである。
劇中でも、沖縄の中で境界線か引かれているという描写があった。それは、この1995年の事件を経て基地を移設するように求める沖縄県民たちの動きと、警察で対立が起きたからである。
その後も、2002年に沖縄米兵強制わいせつ未遂事件が起きている。

現在でも普天間基地移設に関する問題は残っていてこれからもずっと続いていく問題であろう。しかし、時間が経つと共に風化してしまう側面もある。問題は残り続けても、1964年にそんな米兵殺傷事件があったり、1995年の沖縄米兵少女暴行事件は世間から忘れ去られてしまう。
人々が生きている間には記憶として止まり続け生きたものだが、死んでしまうと手記などは全てデータとなって風化してしまう。それを風化させないためにも『ライカムで待っとく』がこういう形で演劇で上演され世間に評価されたことは素晴らしいことだと感じた。
地方がバックヤードとしか扱われていない事象は、沖縄の米軍基地問題だけでなく、福島の原発問題もそうであるし、石川県の能登半島地震もそうである。そういった地方が直面している現実を、私たち都心部で生きる人間もしっかりと知っておくべきだと感じた。

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「ライカムで待っとく」より。左から佐久本宝、前田一世、神田青、中山祐一朗、あめくみちこ、蔵下穂波、小川ゲン、魏涼子。(撮影:引地信彦)


↓中山祐一朗さん過去出演作品


↓魏涼子さん過去出演作品


↓小川ゲンさん過去出演作品


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