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舞台 「オセロー」 観劇レビュー 2024/07/06


写真引用元:文学座 公式X(旧Twitter)


写真引用元:文学座 公式X(旧Twitter)


公演タイトル:「オセロー」
劇場:紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA
劇団・企画:文学座
作:ウィリアム・シェイクスピア
訳:小田島雄志
演出:鵜山仁
出演:石川武、高橋ひろし、若松泰弘、浅野雅博、横田栄司、石橋徹郎、上川路啓志、柳橋朋典、千田美智子、増岡裕子、萩原亮介、sara、河野顕斗
公演期間:6/29〜7/7(東京)、7/12〜7/13(岐阜)、7/15(新潟)
上演時間:約3時間5分(途中休憩15分を含む)
作品キーワード:古典、シェイクスピア、悲劇、ラブストーリー、考えさせられる
個人満足度:★★★★★★★☆☆☆


ウィリアム・シェイクスピアの四大悲劇の一つである『オセロー』を「文学座」が上演するということで観劇。
私は『オセロー』の戯曲自体は新潮社出版を読んだことがあるが舞台作品としては観劇したことなく、また「文学座」の舞台作品も初観劇である。
今回の上演は「文学座」の横田栄司さんが、肝機能障害と慢性疲労症候群およびメンタルヘルスにおける不調の診断を受けて2022年9月から舞台俳優活動を休止していたが、無事に復活されるという公演でもあり注目度も集まっていた。

物語は、近世のイタリアのヴェニス(今のベネチア)と地中海に浮かぶキプロス島(現在のキプロス共和国)を舞台にした悲劇である。
夜のヴェニス、オセローの旗手であるイアーゴー(浅野雅博)とヴェニスの紳士であるロダリーゴー(石橋徹郎)は、議官であるブラバンショー(高橋ひろし)の自宅に向かい、娘のデスデモーナ(sara)がムーア人の貴族のオセロー(横田栄司)の元に嫁いでしまったと告げる。
ブラバンショーは激怒する、自分の愛娘をムーア人の男にやるわけにはいかないと。
ブラバンショー、オセロー、デスデモーナは対面し、ブラバンショーはオセローを激しく責め立てる。
しかし、オセローはデスデモーナを一生幸せにすると誓う上、デスデモーナもオセローと一緒にいたいと言うので、ブラバンショーも呆れてデスデモーナにも愛想を尽かしてしまい去ってしまう。
オセローとデスデモーナたちは、トルコ軍が襲来してきたキプロス島に向かう。
しかし、イアーゴーやロダリーゴーたちも、オセローがあんな美貌のデスデモーナを妻に迎えることができたことに大きな嫉妬心を抱いており...というもの。

新潮社の戯曲を事前に読んでいた私は、割とすんなりとストーリーに没入することが出来た。
というのは、割と今回の「文学座」による上演が『オセロー』の物語に対して忠実に上演されていたからかもしれない。
途中休憩を挟んだ二幕構成で、特に一幕に関しては忠実にストーリーが進んで、二幕の終盤に今作のオリジナリティを感じる上演となっていた。
だからこそ、非常に純粋で王道なシェイクスピアの舞台上演を観ている感じを受けたが、それでも現代人の私たちでもその魅力が存分に伝わってくるような上演でとても素晴らしかった。

驚いたのは演出部分で、想像した以上に客席通路やステージ外の箇所を活かした演出があった。
ブラバンショーが自宅から起きてきてイアーゴーたちを2階から罵るシーンで、客席壁の上部の通路を使って上演していた箇所がとても印象的だった。
客席通路からキプロスに進軍した軍隊が登場したり、オセローが客席からステージ上を観察するという演出も劇場観劇ならではの面白さを追求した演出になっていて驚きだった。
舞台セットも具象的な舞台装置が仕込まれている訳ではなく、中央に回転できる直方体の格子のようなセットがあるのみのシンプルなもので、それを回転させることで登場人物たちの心情を表現していたりなど見事だった。

役者陣も、流石は「文学座」の俳優ということもあって皆演技が素晴らしかった。
無事に復活されたオセロー役の横田栄司さんのチャーミングでもあり、威厳もある反面弱さも感じさせる存在はとても印象に残った。
徐々にデスデモーナを失いたくないという感情によって支配され冷静さを失っていく感じに見応えがあった。
相当の演技力の高さがないとオセローはつとまらないと感じたが、それを見事に演じ切っていたように思えた。
デスデモーナ役のsaraさんも素晴らしかった。
なんといってもミュージカル俳優としてのスキルも活かして歌パートを挿入していたシーンは素敵だったし、ジーンとくるものがあった。
イアーゴーを演じた浅野雅博さんもオセローやデスデモーナとはまた違った存在感を出していて引き込まれる演技だった。

数ヶ月前にPARCO PRODUCEの舞台『リア王』(2024年3月)を観劇した時にも感じたが、30歳にもなるとようやくシェイクスピアの作品がなぜ400年経った今でもこうやって上演され続けるのか分かった気がした。
男性は、一度栄冠を手にすると、それを死守しようとして冷静さを失うものである。
オセローもデスデモーナという美しい妻の存在のあまり、彼女を失うこと裏切られることにずっと怯えていて、それが次第に自分自身を蝕んでいった。
その人間の弱い心に漬け込むイアーゴーの存在が圧巻なのだが、それは今の私たちの人間心理にも通じることでハッとさせられた。
終盤でデスデモーナとエミリア(増岡裕子)が語っていた、妻に裏切られるのも夫のせいといったのような言葉があって、夫婦関係、相手が悪いと思ってしまう時にも自分に原因がないか考えることも大事だと突きつけられているように感じた。

非常に王道でシンプルな『オセロー』なのだけれど、こんなにもシェイクスピアの作品は面白いのかと気づかせてくれる素晴らしい上演だった。
戯曲まで読まなくても、ある程度のストーリー概要と登場人物の対応関係を知っていた方が理解はしやすいかもしれないが、難解な物語では決してないので老若男女全ての人に上演、配信、放送がある機会にお勧めしたい。

写真引用元:ステージナタリー 文学座公演「オセロー」より。(撮影:宮川舞子)




【鑑賞動機】

「文学座」がシェイクスピアの四大悲劇を上演するから。『オセロー』はストーリーは知っていたけれど舞台は観たことがなかったから。
事前に再度『オセロー』の戯曲を読んだが、非常に物語としても面白くて舞台になったらどうなるだろうと期待値も高かった。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

中世のヴェニス(現在のイタリア共和国ベネチア)の夜、オセローの旗手であるイアーゴー(浅野雅博)とヴェニスの紳士であるロダリーゴー(石橋徹郎)は二人でガヤガヤ話しながら、ヴェニスの議官であるブラバンショー(高橋ひろし)の自宅の前にたどり着く。そしてイアーゴーたちは大声で、ブラバンショーの娘がオセローと結ばれて彼の元に向かっていったと告げる。ブラバンショーは飛び起きて2階のベランダに出てくる。そして取り乱した様子で発狂し、自分の娘がオセローというムーア人の貴族に奪われたことに激怒する。そして、夜であるというにも関わらず外出して娘を探し出そうとする。
ブラバンショーは外を散策していると、やがてオセロー(横田栄司)と出会う。ブラバンショーは自分の娘を奪ったオセローを激しく責める。早く娘を返せと。しかしオセローはヴェニス公に呼び出されていると言って、そのままヴェニス公の元に向かう。ブラバンショーもヴェニス公の元に向かう。

ヴェニスの城内では、ヴェニスの公爵(石川武)がキプロス島の戦況の様子を心配していた。キプロス島にトルコ軍が襲来してきていて、このままではヴェニス側の軍は危ないので救援を向かわせないといけないと。
ヴェニスの公爵の前にブラバンショー、オセローが現れる。ヴェニスの公爵は、早速オセローにキプロス島に向かってトルコ軍と戦って撃退して欲しいと依頼する。それに対してブラバンショーはわめく。自分の娘がオセローに奪われてしまって一大事なんだと。しかしオセローは、一生ブラバンショーの娘であるデスデモーナを愛し続けると誓っている。
デスデモーナ(sara)もやってくる。デスデモーナも今の気持ちとしては、オセローと共にしたいと言っている。その言葉にブラバンショーは大激怒し、デスデモーナは、自分の娘ではない、養子を貰えば良かったと嘆いた。
オセローはヴェニスの公爵に、キプロス島に向かってトルコ軍を撃退することは問題ないが、デスデモーナも一緒に連れて行きたいと申し出る。最初ヴェニスの公爵は躊躇していたが、オセローとデスデモーナの強い要望だったので認める。オセローとオセローの従者たち、そしてデスデモーナはキプロス島に出発する。
イアーゴーとロダリーゴーも共にキプロス島に出発するが、デスデモーナを妻にしたオセローに対して二人で語り出す。デスデモーナは絶世の美女でそんな彼女を妃に出来るオセローが羨ましいと、特にイアーゴーはオセローに対して強い嫉妬心を抱いていた。

キプロス島、雷などが鳴り響き酷い悪天候である。しかし、その雷もやんでモンターノー(若林泰弘)はトルコ軍とオセローたちの軍勢の海戦の様子を窺うと、どうやらオセローの軍勢が勝利した様子でラッパの音も聞こえている。
オセローの副官であるキャシオー(上川路啓志)とデスデモーナが勝利してキプロス島に上陸する。二人ともトルコ軍を壊滅させて我が軍が勝利したことに喜びを感じている様子である。あのもう一つの軍艦にオセローが乗っているのかとお互いオセローの身を案じながら思う。
やはりその通りで、その船にはオセローが乗っていて、オセローも無事勝利してキプロス島に上陸する。オセローはデスデモーナを見つけるとすぐに、「かわいいー」と叫んでお互い愛を確かめ合って姿を消す。
イアーゴーとロダリーゴーは、その一部始終を見て二人で話し出す。キャシオーという副官は、実はデスデモーナに惚れていると感じたようである。デスデモーナ自身がキャシオーに惚れているかはわからないが、オセローのことは好きで、オセローもデスデモーナへの愛は変わらず。キャシオーはオセローからも信頼されている凄腕の副官だが、酒癖は悪いのでそこを狙ってまずはキャシオーの名誉を失墜させようとイアーゴーは思いロダリーゴーに行動させる。

キプロス島での夜、イアーゴーに誘われてキャシオーやモンターノーたちは早い時間から酒を飲んでいた。キャシオーは上機嫌でどんどん酒を飲み酔いが回っていく。キャシオー自身は全然酔ってないと言うが。
キャシオーがそんな様子で酔った矢先にロダリーゴーは彼に対して喧嘩を売ってくる。キャシオーはそれに乗ってしまって大暴れしてしまう。
深夜のお大騒ぎを心配してオセローが現れる。キャシオーともある者が、こんな騒ぎをするなんてと意外そうである。そこへデスデモーナも起きてくる。こうしてデスデモーナまで起きてきてしまったではないかと。一旦、オセローが喧嘩の仲裁をしたことで騒ぎは収まるが、キャシオーの泥酔と大暴れしてしまったことはキプロス島中に轟いてしまった。
イアーゴーとロダリーゴーは、次の企みを考える。オセローのデスデモーナへの溺愛とキャシオーへの不信を利用した策である。ロダリーゴーは、イアーゴーの妻であるエミリアを介してキャシオーとデスデモーナを会わせる。その間にイアーゴーはオセローと会う。キャシオーとデスデモーナが二人で会話する所を見計らって、偶然オセローをその場所に通りがからせると。

ロダリーゴーは早速エミリア(増岡裕子)を介して、キャシオーとデスデモーナを会わせる。その時、デスデモーナはうっかり白いハンカチを落としてしまう。それは、デスデモーナがオセローから最初にもらったプレゼントのハンカチだった。そのハンカチをそっとエミリアが拾い上げる。
一方で、イアーゴーはオセローと会っていた。イアーゴーとオセローは移動しながら二人で会話している。そして徐々にエミリア、デスデモーナ、キャシオーたちがいる所へ向かっていく。キャシおーとデスデモーナは凄く親しく話し込んでいる。その様子をオセローはイアーゴーの誘導で目撃してしまう。キャシオーは去っていく。
オセローはデスデモーナに話しかける。先ほど話していたのは、キャシオーではなかったかと。デスデモーナはそれを認め、大事な用事だったと話し、決して彼に浮気している訳ではないことを告げる。

エミリアは、デスデモーナが落とした白いハンカチを握っていた。そこへキャシオーがやってくる。キャシオーは以前から、デスデモーナの持っている白いハンカチを欲していた。そのため、エミリアは何の悪気もなくキャシオーに白いハンカチを与えてしまう。
オセローとデスデモーナの二人がいる。デスデモーナは今オセローからもらった白いハンカチが無くなっていることに気が付く。オセローはあの白いハンカチは?とデスデモーナに問うと少し誤魔化したような言い訳をする。オセローはあの最初に与えた白いハンカチを誰かに渡したりなくしたりするようなら、私はどんな美しい妻でも許さないと言う。
オセローとイアーゴーは二人で会っている。オセローはどうやらキャシオーのことを疑っているようである。自分の妻に手を出そうとしているのではないかと。イアーゴーはキャシオーは忠実な人間だからそんなことするはずがないと言う。しかし、色々過去の事実をイアーゴーは話していて、その内容でますますオセローは混乱していく。やはりキャシオーはデスデモーナを狙っているのではと。
オセローは中央の四角い格子型の装置の中に入り、グルグルと回転させられる。照明も様々に切り替わる。そして赤くなる。

ここで幕間に入る。

オセローは、自分がデスデモーナに与えた白いハンカチをキャシオーが使っているのを目撃してしまい激怒する。キャシオーはこのハンカチはエミリアから貰ったものだと言うが、どう見てもデスデモーナにあげた白いハンカチと同じものだったので、デスデモーナがキャシオーに与えたに違いないと決めつける。
オセローはデスデモーナに白いハンカチのことで追及する。デスデモーナは、たしかにそのハンカチはデスデモーナのもので以前無くしてしまっていたが、決してキャシオーに渡したりはしていないと強く否定する。
一方キャシオーは、情婦のビアンカ(千田美智子)に会っていた。ビアンカはキャシオーにずっと会っていたかったが、キャシオー自身は自分のオセローからの信用もあるのでしばらくは会うことを控えたいとのことだった。

イアーゴーとロダリーゴーは二人で話していた。最近のイアーゴーの様子を見ていると自分を利用している様にしか思えないとイアーゴーに言い寄ってくる。そこでイアーゴーは、この約束だけは聞いて欲しいと最後の計画を立てる。それは、キャシオーを殺してこいとの命令だった。ロダリーゴーは驚くが、この約束を聞いたらロダリーゴーの望みを聞いてくれるとのことだったので命に従う。
夜、キャシオーは再び酔っ払っていた。酒を飲んでいたらしい。そこをロダリーゴーに襲われ斬りつけられる。しかし、キャシオーの軍服の中には防護服があり傷を負わせることは出来なかった。キャシオーは我に返り、自分を襲ってきたロダリーゴーを斬りつける。ロダリーゴーは死んではいないものの、大怪我を負ってそのまま倒れてしまう。
そこへイアーゴーが駆けつける。キャシオーはロダリーゴーが自分に襲いかかってきたと言うので、イアーゴーはそのままロダリーゴーを殺してしまう。
エミリアがやってきて、騒ぎに驚く。キャシオーは一部始終を語る。そこへビアンカもやってくる。キャシオーは、それまでビアンカと会って二人で飲んでいた事実が発覚し、エミリアも呆れる。

場面転換して、デスデモーナの寝室。デスデモーナとエミリアがいる。デスデモーナは衣装を脱いで結われた髪を解いて寝室に向かう。デスデモーナは妙な胸騒ぎがする様である。自分はこの後死んでしまうのではないかという胸騒ぎ。そして柳の歌を歌い始める。柳の歌は、自分自身の死に際の時に歌われる歌である。
デスデモーナとエミリアは二人で会話する。妻が夫に対して何か悪いことをした場合、それはきっと夫がどこかで妻にそうさせているんだと二人で語り合う。夫と妻の夫婦関係について語り合う。エミリアは去る。
扉をノックする音が聞こえる。するとオセローが姿を現す。オセローはデスデモーナを殺しに来たと言う。デスデモーナはオセローに落ち着く様に言う。しかし間に合わず、そのままオセローはデスデモーナを取り押さえ首を締める。そのままデスデモーナは死んでしまう。

その時、エミリアが戻ってきて扉を仕切りにノックする。オセローはどうしようか考える。この現状をエミリアに言ったら大変なことになると。
しかしオセローはエミリアを案内する。エミリアは、外で大変なことが起きたと言う。キャシオーがロダリーゴーに襲われ怪我をしたと。しかし、エミリアはベッドでデスデモーナが死んでいるのを発見して悲鳴を上げる。誰か早く来てと叫ぶ。みんな駆けつけてくる。
オセローは自分がデスデモーナを殺したことを認める。周囲の人たちはどうしてそんなことをとびっくりしている。エミリアは最近のオセローの様子が変だったと言う。
その時、イアーゴーがオセローの従者たちによって捉えられ連れてこられた。イアーゴーが影で色々な人間を動かしていたことが明らかになったと。そこから白いハンカチの話になり、エミリアが拾った白いハンカチをキャシオーに渡したことによってオセローが狂ってしまったということになり、エミリアは自分のせいでそうなってしまったと嘆き崩れる。
ひとまず、イアーゴーのやったことは罪深いと言うことで死罪では軽すぎるので、このまま刑を受けながら生かすことになる。
しかしオセローはそのまま自害し、その姿を死んだデスデモーナはそっと優しく抱きしめるのであった。ここで上演は終了する。

戯曲を読んだ時から感じていたが、とても素晴らしい悲劇だった。400年前の近世ヨーロッパの話であるにも関わらず、今の私たちの心にもぐさっと刺さる内容が沢山あって、だからこそシェイクスピアの作品は今になってもこうして語り継がれるのだと改めて感じた。
『リア王』『マクベス』と他のシェイクスピアの四大悲劇を観ていると、そこには男性の心の脆さ、弱さというものをこれでもかというくらい的確に描いているから素晴らしいと感じた。『マクベス』は家臣たちへの恐怖、『リア王』は権力を失うことに対する恐怖、そして『オセロー』は妻を失うことに対する恐怖である。
オセローだけでなく、父のブラバンショー、ロダリーゴー、キャシオーとあらゆる男性がデスデモーナの虜になり、翻弄されて破滅に向かっていることの恐怖、絶世の美女が近くにいるが故に振り回されてしまう恐ろしさに怖くなり、でもそれが人間の普遍的な真理でもあると感じて色々と凄みを感じた。
シェイクスピアは歳を取れば取るほど、その作品の良さが分かってくるような気がした。

写真引用元:ステージナタリー 文学座公演「オセロー」より。(撮影:宮川舞子)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

舞台セットは抽象舞台でシンプルなのだが、細かい演出に物凄く趣向が凝らされていて素晴らしかった。王道のシェイクスピアを感じさせるのに、凄く演出が革新的で素晴らしく面白く、不思議な魅力のある舞台作品だった。
舞台装置、衣装、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。
舞台装置はとてもシンプルで、ステージ中央に直方体の格子型の巨大な舞台装置が一つだけあり、そのセットは回転できる仕組みになっている。俳優が格子上の舞台セットの中に入って、セットがグルグルと回転することによって、セットの中の俳優の迷いを表現していて興味深かった。一つの格子の面が扉の様に開けられる形になっていて、そこから俳優は中に入ることができた。
四角い格子型の舞台セットには、ゴム紐のような弾性力のある紐も巻きつけられていて、そこに俳優が蜘蛛の巣にかかった虫のように引っかかる演出を挿入することによって、見えない力によって翻弄される様を表している様に感じた。
また、第二幕では格子型の舞台セットの中に紫色のベッドを仕込んで、格子空間をデスデモーナの寝室にしていた。まるでそれは、デスデモーナという存在が恐怖の中に囚われている様な印象も感じて興味深かった。
ステージ後方には、透明のビニールシートが天井から吊り下げられていた。その感じにはどこか演劇という作り物の感触も受けつつ、近世のヨーロッパという古き欧米の時代らしさも感じて古典の良さをしっかりと感じさせてくれる舞台空間の様にも思えた。
さらに、オセローたちがキプロス島に向かってから、ステージ背後にはキプロス島の形がシルエットとして浮かび上がっていてユニークな演出だった。最初キプロス島の形のシルエットが二つあって、それが雲のようにも感じたし、遠くの海に浮かぶ軍艦の様にも思えた。そしてそのままキプロス島のシルエットが一つになって、ずっと格子状の舞台セットの上部に居座っている光景は、軍艦がずっとキプロス島に滞在している様にも見えるが、オセローのデスデモーナが浮気をしているのではないかという不安がずっと心中にあるという意味も込められているような気がした。キプロス島の形って国旗にもなっているが、どこか悪魔的な存在の形の様にも感じてしまった(ロールシャッハみたいだ、そしてキプロスが好きな方がいたら申し訳ない)。

次に衣装について。
とにかくsaraさん演じるデスデモーナの衣装が物凄く美しくて煌びやかだった。全身が白色のドレスに身を包まれていて、saraさんのスラッとした身体がより際立っていた。まるで本物のシンデレラを見ているかのような感覚だった。確かにこれなら、他の男性はデスデモーナに惚れ込んでしまうなと納得してしまうほどの美しさだった。あと、当時の近世のヨーロッパは今と違って街中に美しい女性が沢山歩いている訳ではないと思うので、こういう絶世の美女が一人いてしまうと、男性はみんなそっちに気持ちを持って行かれてしまうのかもしれないと感じた。
オセローの白い衣装も印象的だった。外見では威厳を保っているものの、内面ではデスデモーナに溺愛して狂っていく様がとても対照的で印象的だった。
さらに、ヴェニスの公爵やブラバンショーが赤い衣装を身に纏っているのも印象に残った。あそこで衣装を白と赤に分けているのにはどういった理由があるのだろうか。おそらくオセローがムーア人だというのもあるのかもしれない。よそ者で一つの境界線をある意味引いた演出でもあるのかなと感じた。

次に舞台照明について。
ステージ後方の透明ビニールの向こう側の色をカラフルにさせることによって、シーン中のそれぞれのインパクトを変えているのが凄く印象に残った。
例えば、雷が鳴り響くシーンでは深緑色で全体を照らしていて印象深かったし、キプロスでの戦争に勝利した時に水色に照らしたり、夜のシーンで濃い青色で照らしたり、オセローが窮地に陥ったシーンでは赤く、ラストシーンでは死を想起させて黒く全体的に色で演出していたのが魅力的だった。
また、客席を使った演出も沢山あってびっくりさせられた。序盤では下手側の客席の壁の上部に通路があって、そこからブラバンショーが登場して、そこにスポットライトが当てられたのにはびっくりした。さらに、オセローが客席を色々歩き回って観客に色々と問いかける演出もあったが、その度にその観客にもスポットライトが当てられて、様々な箇所に照明の吊り込みがされていて凝った演出だった。
また、夜のシーンでは実際にランタンみたいなものを役者が持ってステージを照らしていて良かった。

次に舞台音響について。
音響の使い方も凄く空間的になっていたし音質もめちゃめちゃクオリティが高くてびっくりした。落雷の音とか、ラッパの音とか効果音の質も凄く高かった。
そしてなんといってもsaraさん演じるデスデモーナの歌声が素晴らしかった。柳の歌のパートで凄く悲壮な感じを思わせるソロパートの歌がとても良かった。なんの伴奏もなく歌声だけが響いてくる感じに、今後の展開を予想させる不気味さもあった。

最後にその他演出について。
圧倒的に客席を使った演出のインパクトが大きかった。先述したブラバンショーのベランダからの登場や、トルコ軍を撃破してキプロス島に上陸する時の登場も客席通路から歩いてきていた。オセローがデスデモーナとキャシオーが二人で会っているのを目撃してしまうシーンも客席も使って立体的に演出しているのが凄く面白かった。キャシオーが最後捌けていく時も上手側の通路を入り口側へずっと歩いて行ったので、本当に立体的で観客も間近で物語を体感できるので面白かった。
こうして客席をも使って上演するというのは、舞台セットが抽象的だからこそ叶うのかもしれないと思った。今回の『オセロー』は具象的に舞台セットを仕込むのではなく、回転する格子状の舞台セットを一つ用意して抽象舞台として仕上げていた。だからこそ、その回転舞台から様々な解釈を読み取ることもできた。オセローの心理描写だったり、デスデモーナの心理描写だったり。抽象舞台としての良さを活かし切っていた。
あとは格子状の舞台セットを活かして、その格子の扉に体をぶつけるコミカルな演出を入れたり、蜘蛛の巣のようなゴム紐に引っかかる演出も上手かった。
あとは、割と悲劇なのにコミカルなシーンが多かった。役者が観客を笑わせるシーンが多々あった。特にオセロー演じる横田さんのコミカルぶりは観客にも大好評だったし、あの威厳があるからこそのギャップがあって面白かった。だからこそ、あんなに精神的に弱ってしまう姿にも共感できるんだろうなと思った。そのギャップを演出に盛り込んだ喜劇的悲劇が凄く素晴らしかった。

写真引用元:ステージナタリー 文学座公演「オセロー」より。(撮影:宮川舞子)


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

とにかく「文学座」の俳優さんは演技力が非常に高くて皆素晴らしかった。
特に印象に残った役者さんについて記載する。

まずは、オセロー役を演じた今回の公演で無事に復活を果たした横田栄司さん。横田さんの演技は初めて拝見する。
皆俳優さんは素晴らしかったが、横田さんの存在感は抜群にあって、その存在感によってオセローという中心人物を堂々と演じ切っていた印象があった。
横田さんが演じるオセローは、外見では威厳はありつつも言動は凄くチャーミング。デスデモーナに「可愛いー」と叫んだり、感情を露わにする台詞が沢山あった。これは私が戯曲で『オセロー』を読んだ時の印象とはまるで違って多少混乱した。しかし、そのチャーミングさが後半のストーリー展開に非常に良い味を効かせていた。威厳はあるけどそういうチャーミングな可愛らしさがこのオセローにはあるからこそ、イアーゴーに翻弄されてしまったのだと繋がった。チャーミングさは現代的な演出だなと感じたけれど、どんな威厳のある人にも情というものは存在する。だからこそ、その情に漬け込まれて、弱みに漬け込まれて自分の身を滅ぼされてしまうリスクがあることを教えてくれた様な気がした。
戯曲を読んだ感じだと、もっと風格のある感じのキャラクターかなと思ったが、こうやって情緒を見せるオセローに仕立てることによって、誰もが共感しやすく感情移入しやすい身近な存在に感じられるからこそ、今の時代にも響くオセローになっているのかなとも感じた。

次に、デスデモーナ役を演じたsaraさん。saraさんは文学座以外の公演では度々演技を拝見していて、ゆうめい『ハートランド』(2023年4月)、ミュージカル『VIOLET』(2024年4月)で演技を拝見している。
saraさんの透き通るような存在感に男性である私も釘付けだった。今作のストーリー上そうでないと問題なのだが、やはり登場人物の中で一際輝いていて宝石の様だった。声も凄く透き通る様な感じで、まさに王道の絶世の美女という感じだった。
個人的に胸熱だったのは、なんといっても柳の歌のソロパート。ミュージカル俳優であるというスキルも活かして、あの何もない沈黙で静かな空間で一人寂しそうに歌い出した瞬間にジーンとした。デスデモーナの、どこか胸騒ぎがして自分が死んでしまうのではないかというフィーリングに伴って口づさむ柳の歌。あのなんとも美しい歌声と、あの不気味で静かな夜の空間に言葉では言い表せない素晴らしい世界を味わわせてくれた。
また、デスデモーナが最後死んでからも、ずっと死んだままになっているのではなく、動き回ってオセローの元で抱きしめあったりする演出と演技も見事だった。どこか死んでいるデスデモーナは放心状態の様な感じで、それまでと違って生命感はなかった。でも美しさは残っていて、オセローへの愛は変わらなかった。
オセローを愛するがゆえに、このどうしようもない感情に耐えきれなくなっていく様が凄く繊細で見事だった。

私が特に素晴らしいと感じたのは、イアーゴー役を演じた浅野雅博さん。浅野さんの演技を拝見したのは初めて。
浅野さんは非常にモノローグを語るのが上手いというか、説明的な台詞を観客に分かりやすく届けるのが上手い俳優だなと感じた。基本的にストーリーの進行を導くのはイアーゴーとロダリーゴーの企てた計画なので、そこを分かりやすく語ってくれる浅野さんの演技力が素晴らしかった。
あとは浅野さんがイアーゴーを演じることによって、イアーゴーのずる賢さも非常に際立っていて見事な配役だなと感じた。浅野さんのあの要領の良さを演技で表現するレベルの高さが、イアーゴーのキャラクターとしての解像度を何倍にも上げていたと思う。

あとは、エミリア役を演じた増岡裕子さんも素晴らしかった。増岡さんの演技を拝見するのも初めて。
あの気さくな感じの演技がとてもハマっていた。デスデモーナに話しかけて気遣う感じがとても良くて、二人の会話だけでも何分も見ていられるなと感じた。特にデスデモーナと夫婦関係について哲学的な会話をしていたのは男性の心をぐさっと刺してくるんじゃないかと思う。私も刺された感じを受ける。女性の言動は全て男性の何かの言動に影響してそうさせているのかもしれない。妻が冷たく当たってくるのも、夫がいつも気づかないうちに冷たくしているから。妻が浮気をするのも、夫が浮気をしていると思われているから。
だからこそ、エミリアの白いハンカチを拾ってキャシオーに渡したという行動が、結果的にデスデモーナを死に追いやってしまったと気づいた時はショックで立ち上がれなかったと思う。その最後のエミリアの泣き崩れるシーンは胸が痛かった。

あとは、あまり出演シーンは多くなかったがビアンカ役を演じた千田美智子さんも素晴らしかった。
近世ヴェニスの情婦という立場がどういう感じの人々なのかよくわからないが、きっと風俗嬢の様な感じなのかなと推測する。とても明るくテンションも高く遊んでいる様な感じでその甲高い声がインパクト強くて良かった。

写真引用元:ステージナタリー 文学座公演「オセロー」より。(撮影:宮川舞子)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ここではシェイクスピアの四大悲劇の一つである『オセロー』という戯曲そのものについて考察していこうと思う。

オセローのことを度々登場人物たちは「ムーア」と呼んでいたことが耳に残っている。ムーアとはアフリカ出身の黒人のことを指す。つまりオセローはアフリカ系の黒人なのである。だからこそヴェニスの間では黒人に対する人種差別があったのである。
オセローは軍人としては実力があり、とても偉大な存在でもあった。しかしムーア出身という黒人であったため、人々からは虐げられる存在でもあった。だからこそブラバンショーは自分の娘をそんな黒人のオセローに渡すわけにはいかなかったのである。だから激怒した。
人種差別とは、差別される相手が親戚になったりするなど、身近になった時に作用するものである。別に仕事を一緒にするなどという関係では人種差別はあまりしないだろう(アメリカの人種差別は激しいものだったが)。しかし、血縁関係を結ぶとなるとそれが一気に露呈してくる。日本でも、私の親戚がかつて(といっても私の生まれる前)に同和地区に住む人と結婚することになった時に大揉めしたという話を聞いたことがある。同じクラスメイトで仲良くしているくらいだったら同和地区に住んでいようが構わないと思う。しかし、結婚などの血縁関係となると話が変わってきてしまうものである。
今作もブラバンショーが大激怒したのも、オセローがムーアという黒人だからであって、きっと白人であったらこんなに激怒することはなかったと思う。この時代でもそういった人種差別はあったのだなと勉強になった。

ヴェニスの公爵が、オセローをキプロスに向かわせたのも彼が黒人で遠ざけたかったからという心理もあったのかもしれない。もちろん、オセローが軍人として凄腕で優秀だからトルコとの対戦を任せたというのもあるかもしれないが、キプロスはトルコとも接していて度々トルコ軍の侵略に遭いそうな立地、そしていざオセローが裏切ってきても海を隔てているのですぐに危険なことにはならないとヴェニスの公爵も考えたのかもしれないと思った。
オセローもきっと、自分の肌の色が違うことをコンプレックスに思っていたのかもしれない。だからこそヴェニスの公爵の言うことは忠実に聞こうとしたのかもしれない。ヴェニスの公爵だけでなく、このオセローの周りの人間関係において、皆白人であるので一歩でも過ちが犯せないからこそ忠実に生きてきたのかもしれない。

そんなムーアという黒人のオセローが、絶世の美女デスデモーナを妻にしたものだから、それは多くの白人が嫉妬するに違いない。白人のイアーゴーもその一人だった。だから彼を陥れようとした。
オセロー自身も、きっと自分は黒人だからこの絶世の美女であるデスデモーナを妻に迎えられたことにとてつもない喜びを抱くと同時に、とてつもなく恐怖も抱いていたのかもしれない。だから、そんな彼女を守ろうと余計に神経質になり精神的不安定に陥りやすかったのかもしれない。
結果オセローは自らの手で無罪の罪でデスデモーナを殺してしまった。それはオセローの自分自身の中の恐怖心に打ち勝てなかったとも捉えられる。

こう考えると、この『オセロー』には昨今のマイノリティ的な立場の人の生き方に関する解釈と、上の立場に立ったからこそ恐れてしまう男性心理について考えさせられる。
社会的にマイノリティな存在であればあるほど、自分が少数派な存在なので精神的に不安定になりがちと言うのもある気がした。そして、人々を従う立場になればなるほど孤独にもなるので、そこにも精神的不安定に陥る要素はあるのかもしれないと感じた。
そういった二つの側面が、イアーゴーの策によって徐々に彼を蝕んでいったのだと思った。

そして最後に、この黒人のオセローと白人のイアーゴーの対立は、まさに黒と白の対立で、ボードゲーム「リバーシ」を思わせる。だから「リバーシ」は「オセロ」と呼ばれるのだなと納得した。

こうしてシェイクスピアの作品について詳しくなっていき、その作品の素晴らしさにも触れられるようになっていって観られて良かった。四大悲劇でまだ観劇したことないのは『ハムレット』のみ。絶対どこかで観にいきたいなと思う。

写真引用元:ステージナタリー 文学座公演「オセロー」より。(撮影:宮川舞子)


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