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ミュージカル 「VIOLET」 観劇レビュー 2024/04/13


写真引用元:ミュージカル『VIOLET』 公式X(旧Twitter)


写真引用元:ミュージカル『VIOLET』 公式X(旧Twitter)


公演タイトル:ミュージカル「VIOLET」
劇場:東京芸術劇場 プレイハウス
企画・制作:梅田芸術劇場
音楽:ジニーン・テソーリ
脚本・歌詞:ブライアン・クロウリー
原作:ドリス・ベッツ
演出:藤田俊太郎
出演:三浦透子、東啓介、立石俊樹、sara、若林星弥、森山大輔、谷口ゆうな、樹里咲穂、原田優一、spi、生田志守葉(観劇回のキャストのみ記載)
公演期間:4/7〜4/21(東京)、4/27〜4/29(大阪)、5/4(福岡)、5/10〜5/11(宮城)
上演時間:約2時間10分(途中休憩なし)
作品キーワード:ミュージカル、人種差別、ルッキズム、旅行、ラブストーリー
個人満足度:★★★★★★☆☆☆☆


今年(2024年)の第31回読売演劇大賞では最優秀演出家賞を受賞している、日本の演劇業界で最も勢いのある演出家の一人である藤田俊太郎さんが、ブロードウェイ・ミュージカルである『VIOLET』を演出するということで観劇。
『VIOLET』は、1997年にオフ・ブロードウェイで上演されてドラマ・クリティクス・サークル・アワードとルシル・ローテル賞で最優秀ミュージカル賞、2014年にブロードウェイで上演されトニー賞4部門にノミネートされている。
2019年には藤田さんが単身渡英して現地のスタッフ・キャストと共にロンドン公演を上演した。
そして、2020年に今作の日本版を藤田さん演出で上演したが、コロナ禍もあり3日間の限定上演となった。
そして、今回満を持して日本人キャスト版を梅田芸術劇場主催で上演することになった。
今作は、主人公のヴァイオレット役を三浦透子さんと屋比久知奈さんのWキャストで上演し、私は三浦透子さんが出演する回を観劇した。
『VIOLET』自体観劇前に情報を一切触れていなかったことに加え、藤田さんの演出自体も初観劇である。

物語は、1964年のアメリカ南部が舞台となっている。
公共施設は白人用と黒人用に分かれていて、それに対して非暴力による抵抗運動を行なったキング牧師が演説を行なった頃、ヴァイオレット(三浦透子)という25歳の女性がいた。
ヴァイオレットは幼い頃に父親(spi)からの不慮な事故によって顔に傷を負っていた。
ヴァイオレットは、その顔の傷がずっとコンプレックスで人前にあまり姿を現さなかったが、意を決して顔の傷をテレビ伝道師に治してもらおうと、西へ1500kmのバス旅に出かけるという物語である。

劇中は、三浦透子さん演じる25歳のヴァイオレットが西へ1500kmのバス旅をするシーンと、私の観劇回では生田志守葉さんが演じていたヤングヴァイオレットと父親とのシーンを交互に描きながら、ヴァイオレットがなぜバスで旅をすることになったのかなど、ヴァイオレットという人物像が徐々に浮かび上がってくるような脚本構成になっている。
脚本自体は、人種差別やベトナム戦争に向かって行こうとする当時のアメリカの情勢、テレビ伝道師の存在など、日本人にはあまりピンと来ない設定も多く、日本人に響きやすいテーマではないかなという印象は受けた。
しかし、観劇している中でヴァイオレットの過去や言動を見ながら、徐々に彼女の人物像が明らかになっていくも、全てが明かされる訳ではないので、そこに演劇としての解釈の余地があって楽しめた。

ヴァイオレットは若いというのもあって、ルッキズムに苦しみ容姿ばかりを気にしてしまう。
だからこそ、この傷ついた顔をなんとしてでも治そうと行動に出る。
テレビ伝道師の神の手によって治してもらえるというのが夢物語だったとしても。
しかし、ヴァイオレットと同じバスに乗った老婦人(樹里咲穂)には、顔が良いことが決して人生豊かになる訳ではないと言っているのに、それがヴァイオレットの耳に入ってこなかったり。
また、ヴァイオレットがバスで知り合う黒人兵士のフリック(東啓介)も黒人差別を受けてきた身で、ヴァイオレットのルッキズムに対して一番の理解者になり得るにも関わらず、白人でノリの良い兵隊のモンティ(立石俊樹)の方に恋心を募らせてしまう辺りが興味深かった。
ヴァイオレットは、若さ故に綺麗なものや憧ればかりを追ってしまって、本当は自分の一番身近な所に彼女が大事にすべき事柄があるのに、そこには目が行っていないように感じられた。

ミュージカルとしては、思った以上に音楽のないシーンも多く、さらに音楽自体もグランドミュージカルのように壮大な楽曲が多い訳ではなく、軽快でポップな楽曲も多かったので非常に観やすかった。
そして、ステージ上の下手側、上手側にも客席が設置されていて、オンステージシートと呼ばれるそうだが、キャストも近くまでやってきて一緒に座ったり観客と接したりする席なので、非常に観客参加型のミュージカルにも感じられた。

ミュージカル俳優ばかりで全員歌が非常に上手かった。
ヴァイオレット役を演じた三浦透子さんの歌声は、今作のような軽快でポップな楽曲と非常にマッチしていて聞きやすかった。
一方で、フリック役を演じた東啓介さんのソロパートは非常に歌声が力強くて魅了されたし、ミュージックホール・シンガーの役を演じたsaraさんの非常に力強く甲高い歌声には圧倒された。

1960年代の当時のアメリカの歴史を知っておいた方が楽しめると思うが、夢を追い続ける人に響くミュージカルだと感じた。
多くの人にお勧めしたいミュージカル作品だった。

写真引用元:ステージナタリー ミュージカル「VIOLET」より。(撮影:岡千里)


↓ダイジェスト動画





【鑑賞動機】

藤田俊太郎さんは、第31回読売演劇大賞で最優秀演出家賞を受賞するなど、勢いに乗る演出家で一度は舞台を拝見したいと思っていたから。ミュージカル『VIOLET』は、ブロードウェイでも高く評価されている作品でもあり、内容を含めて気になっていたから。キャストも三浦透子さんは勿論、アナログスイッチ『信長の野暮』(2023年5月)で織田信長役として出演されていたのを観ていてミュージカルではどんな感じなのかと興味を持ったのと、saraさんもゆうめい『ハートランド』(2023年4月)で演技を拝見していて、ミュージカルでも観てみたいと感じていたから。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

ルーラ(谷口ゆうな)、黒人の兵士のフリック(東啓介)、ミュージックホール・シンガー(sara)の三人が現れる。背景には、アメリカ人兵士と黒人たちの映像が映し出される。「WHITE ONLY」と映像で大きく投影される。その後、ルーラ、フリック、シンガー含めて黒人たちはホースか何かで水をかけられ追い出される。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが非暴力による抵抗運動の演説をする映像が映し出される。

音楽が流れ始め、ヴァイオレット(三浦透子)が旅行鞄を持って登場する。ここはヴァイオレットが生まれ育ったブルースパイン。ヴァイオレットは、自分の顔にある傷を治すテレビ伝道師に出会うために、西へ1500kmの旅に出るためにバスに乗り込む。バスには様々な人が乗り込んでいる。一緒に乗っていた老婦人(樹里咲穂)には、顔が良いことは決して人生を豊かにするものではないと言われる。自分も若い頃はルックスに憧れたけれど、決して良いものではなかったと。しかしヴァイオレットは、それでも顔の傷を治すために旅に出る。
ヴァイオレットはバスを降りて、お店に立ち寄る。そこには、黒人兵士のフリックと白人兵士のモンティ(立石俊樹)がいて二人はヴァイオレットに話しかける。そして三人ともバスに乗り込んで旅に出発する。

ヴァイオレットはバスの中で、フリックとモンティとポーカーで勝負することになる。
ここで、ヤングヴァイオレット(生田志守葉)と父親(spi)が登場し過去の回想シーンが始まる。ヤングヴァイオレットは、父親から数学の成績が悪くて叱られる。本当なら学校のどの先生よりもヴァイオレットは賢いはずなのに、どうしてこんな成績を取ってくるのかと。ヴァイオレットは父親に質問する、自分の母親について。ヴァイオレットは父親の部屋にあった日記を持ち出していた。しかし、その日記のどこを読んでも母親のことについて書かれておらず疑問だった。父親は、その日記はまだヴァイオレットは読んではいけないから返しなさいと言う。しかしヴァイオレットは、その日記を返さない。ヴァイオレットは、自分も綺麗になりたいと言う。きっと母親も綺麗だったのだろうなと想像する。
ヴァイオレットと父親はポーカーを始める。コインを賭けてゲームする。ヴァイオレットは父親にポーカーのやり方を教えてもらう。しかし、半分はポーカーは運だと。
それと同時に、25歳のヴァイオレットはフリックとモンティともポーカーをする。そして二人にポーカーで勝つ。

ステージ上には、テレビ伝道師(原田優一)が登場し、周囲には紫色のローブのような衣装を着たスタッフたちが4人ほど歌って踊っている。そこへヴァイオレットがやってくる。伝道師はヴァイオレットに巨大なテレビカメラを向けて、今から神の手によって顔の傷を治すと言って治してしまう。ヴァイオレットは大喜びする。
しかし、それはヴァイオレットの夢であり現実ではなかった。

ヴァイオレットとフリックは部屋で二人きりになる。フリックはヴァイオレットに気があるようである。フリックは、孤児院で生まれ育ち、自分は黒人であるが故に兵隊として偉くなることが出来ないと言う。ヴァイオレットは、フリックのことを黒人だと思って見ていたと発言して彼を傷つける。そしてヴァイオレットは撤回して男性として見ていると言う。
その後、ヴァイオレットはモンティと良い感じになって一緒にベッドで眠る。モンティはノリの良い白人でヴァイオレットは一緒にいて楽しそうである。
ヴァイオレットとモンティが二人で寝たりしている姿を見て、フリックはモンティに対して酷く怒る。そしてヴァイレットに言う、モンティはただヴァイオレットと遊んでいるだけだと。

バス旅行で一向は、メンフィスに到着する。メンフィスでは、看板がカラフルな蛍光色で煌々と輝き、ミュージックホール・シンガーが熱唱していた。
その後ヴァイオレットたちは、タルサに到着した。そしてテレビ伝道師に会いにいく。伝道師とその周囲の紫の衣装を着た人たちは愉快に踊っている。ヴァイオレットは、伝道師に話しかける。伝道師はヴァイオレットに見覚えがなく、冷たく追い払おうする。君は照明スタッフかととっとと立ち去れと。ヴァイオレットは必死で、自分の顔の傷を治すために遥々この地にやってきて、神の手で治して欲しいのだと言う。伝道師は、自分がやっている宗教の教会へ案内する。その時、アシスタントのヴァージル(若林星弥)がヴァイオレットを案内する。
幼い頃のヴァイオレットと父親が出てくる。父親は、幼いヴァイオレットの顔に傷をつけてしまう。ヴァイオレットは泣きながら顔に手を当てる。

ヴァイオレットは、伝道師に自分の顔の傷を治してもらえたと思い込んで、自分の顔を見ずにモンティに挨拶しに行く。バスを降りたあたりで、ヴァイオレットは自分の顔が決して元には戻っていなかったことに気がつき絶望する。そして大声で泣き始める。
モンティは、自分はベトナム戦争に行かなければならず、しばらくヴァイオレットと会えなくなってしまうと言う。そこで婚約指輪をヴァイオレットに渡した。モンティは遊びなんかではなく、本当にヴァイオレットのことが好きなんだとプロポーズして去る。
そこへフリックがやってくる。フリックはベトナム戦争へは行かず、アメリカに留まるようである。フリックは、今のままのヴァイオレットが好きだと言って一緒になろうと告げる。ここで上演は終了する。

キング牧師が非暴力で抵抗運動を行い、黒人たちの人権を求める運動が起きていた時代だからこそ、まだまだ黒人差別が強い時代の中で、人種差別ではないけれどルッキズムに悩まされるヴァイオレットが印象深かった。
ヴァイオレットは若いからこそ、自分の容姿に対して凄く気にしてしまうのだろうし、老婦人が顔が良くても人生豊かになるわけでもないと言っていたけれど、そこには気づけずに叶わない夢を追ってしまうのだと思った。きっとヴァイオレットにとっては、自分の顔に傷があることが自分の肌が黒いことと同じくらいに、周囲から受け入れ難いと感じられていて辛く感じていたのだと思うし、女性の気持ちを少し理解出来たような気がした。
そんなヴァイオレットだけれど、フリックに対しては黒人だと認識して相手を傷つけてしまう。そこに差別の恐ろしさがあると思った。差別というのは、その人が意識的に差別をしようと思ってする訳ではない。自ずと無意識的に相手を傷つけてしまうから差別は無くならないのだと思う。そんな描写が何気なくミュージカルの中に描かれていてゾッとした。
あとは、ヴァイオレットの家族について詳しくは描かれていない所にも解釈の余地は大きいなと感じた。特に母親はどうしていなくなってしまったのかについては言及されていなかった。そこに関して、何か劇中で描かれない演出的意図などあるのか気になった。

写真引用元:ステージナタリー ミュージカル「VIOLET」より。(撮影:岡千里)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

流石は凄腕の藤田さんの演出というだけあって、アメリカ南部のクラシカルでサブカルらしい世界観が非常に今作のミュージカルとの親和性が高くて素晴らしかった。
舞台装置、映像、衣装、舞台照明、舞台音響、その他演出について見ていく。

まずは舞台装置から。
舞台セットは、下手側と上手側にそれぞれオンステージシートがあり、ステージを横から挟むように客席が設置されている。役者たちは自由にオンステージシートの客席に働きかけたり(話しかける訳ではないけれど、近くまで来て目をあわせながら歌ったりする)、一緒に手拍子するシーンは手拍子を求められたりする。もちろん、観客の中にはなかなか手拍子などに乗れない方もいらっしゃったが、大半の観客がノリが良くて一緒に手拍子したりと楽しんでいた。
舞台中央には円形の回転する床がセットされていて、そこにバスの座席に該当する2列になった椅子が置かれていた。劇中では、キャストが一人ずつ椅子に乗って、その円形の床が回転することによってバスが長旅をしているという演出を再現していた。
ステージ背後には巨大なパネルが一枚セットされており、装飾はレンガの壁と所々窓のように四角く穴が開けられていた。アメリカ南部の街といった古風な装飾で、少しディズニーシーのアメリカンウォーターフロントにあるブロードウェイの街っぽさがあった。そのパネルの背後に奏者たちが並んで演奏をしていて、終演後にパネルが少し上に引き上げられて、奏者が見え観客の方に向かってやってきて挨拶をしていた。
また、ヴァイオレットとモンティの二人のシーンでは、ステージ中央にベッドが一つ用意されたり、テレビ伝道師の登場シーンでは、バスの椅子が片されて広々とした空間でパフォーマンスが置かれたりと、ステージ背後の巨大パネル以外は、何か舞台装置が固定されていた訳ではなく、流動的に舞台セットが切り替わっていた。
また、天井に円形の巨大な輪が設置されていて、舞台照明に合わせてカラフルに色づいていた。
全体的にステージを広々と使った舞台の使い方だったが、背後のパネルの装飾からアメリカ南部の世界観が十分伝わってきて凄く好きな世界観だった。

次に映像について。今作では、ステージ背後の巨大なパネルに映像を投影させることで一つの演出として映像を多用していた。
まず、冒頭のシーンでは、無音で三人の黒人(フリック、ルーラ、ミュージックホール・シンガー)が登場して、黒人差別とキング牧師によるスピーチの映像が投影されるオープニング演出があった。この演出は凄く効果的で良いなと感じた。まず、この作品の設定が1964年のアメリカ南部であるという説明になっている。キング牧師が非暴力抵抗運動のスピーチを行ったのが1963年なので、その後の出来事だろうと。そして、その時代というのがまだまだ黒人差別が根強い時代で、それに対する反対運動は起こっているが、まだまだ差別が存在する時代という設定の説明にもなっていて、一気にその時代へタイムスリップした感覚になって良い導入だった。「WHITE ONLY」と書かれた映像もインパクトがあった。その演出で初めて、登場している三人が黒人であるというのも明確に分かったので上手い演出だった、そして人種差別の恐ろしさをも体感できるインパクトがあった。
水面が映像として表現されるのも良かった。フリックがステージ中央の円形の部分に足を踏み入れた時に、ピシャッと水に足を入れたような音と共に映像で水面が表現されていて凄く好きだった。その後も、パネルの中央上部の四角い窓を中心に水面が広がっていく映像が凄く綺麗だった。
あとは、テレビ伝道師が登場するシーンで、彼の肖像画がドアップで映像で投影されていて、凄くインパクトがあった。当時はテレビが普及して力を持った時代であったので、テレビ出演者が絶大な権威を持っていた時代なのかなと思った。それを象徴するような映像演出だった。

次に衣装について。
まず、三浦透子さん演じるヴァイオレットの衣装が薄い紫色の衣装だった。ダブルキャストの屋比久知奈さんはオレンジ色の衣装だったので、ヴァイオレットだからと言って紫なのではなく、キャストによって色が違うようだったが、非常に似合っていた。赤毛のアンを想起させるような、麦わら帽子と四角い旅行鞄を持っていて、素敵な衣装だった。
フリックとモンティの軍服も格好良かった。フリックよりモンティの方が出世しているはずだが、衣装にそこまで違いはなかったように思えた。それか私が衣装の違いを見逃しているかもしれない。
テレビ伝道師とその周囲の紫のローブのような格好をした人々の衣装がとてもユニークだった。テレビ伝道師は、銀色のスーツを着ていかにもテレビの司会者っぽさがあるのだが、紫色の肩にかける衣装からどこか宗教的なものも感じて面白かった。周囲の人間からも宗教的なものを感じたが、これはヴァイオレットの夢の中でかなり空想の世界観でもあるので、衣装は自由自在に演出できて上演ごとに異なるスタイルを取れる点が今作の演出の醍醐味でもあると思った。

次に舞台照明について。
舞台照明は基本的に紫色の照明が多いように感じた。特にヴァイオレットが歌を披露するシーンでは、彼女のメインカラーが紫というのもあって全体的にステージが紫だった。屋比久さんが演じるヴァイオレットは衣装がオレンジ色なので、屋比久さんバージョンで舞台照明がどう違うのかは気になる所だった(屋比久さんバージョンを観劇された方に聞いてみたい所)。
あとは、メンフィスのシーンでの舞台照明が印象的だった。天井からネオンのようなカラフルに輝いた看板が複数降りてきて、アメリカ南部の夜の街らしさを感じさせる照明演出だった。
また、テレビ伝道師との終盤のシーンで、ステージ背後のパネルに十字架になるように白く照明が当てられていたのも印象に残った。何か宗教的な演出をするときに十字架になるようにパネルに照明を当てるのを何度か見たことがあったので、今作でも見られたと思った。

次に舞台音響について。
ミュージカルだったが、私が想像していたよりは歌パートはそこまで多くなく、半分くらいストレートプレイだった。特に序盤のシーンは物凄く静かなのでこんなに静かに始まるミュージカルもあるんだと思うくらいだった。
楽曲の曲調も軽快でポップなものが多く、グランドミュージカルのように音楽で圧倒するような感じのミュージカルでなかったので、それがまた好感持てて良かった。ヴァイオレット演じる三浦透子さんの歌声も、どちらかというと昆夏美さんなどのようにソロパートで歌声の迫力で圧倒する感じのミュージカル女優ではないので、ライトな感じの歌声が今作にもハマっていた。だからこそ、ヤングヴァイオレットの生田志守葉さんでも歌い上げられる軽快さもあって良かった。
フリックを演じる東啓介さんの圧巻のソロパートも素晴らしかった。フリックのシーンでは凄くミュージカルっぽさを感じた。それは東さんの歌声に迫力があったからかもしれない。
また、ミュージックホール・シンガーのsaraさんの歌唱力も圧倒的だった。1960年代のアメリカ南部にはこんな熱量の黒人歌手は沢山いそうだなと感じた。黒人ではないけれど、どこかジャニス・ジョプリンを想起させられた。1960年代の女性ロックシンガーということで近いのかなと感じた。

最後にその他演出について。
今作では、ヴァイオレットの幼少期と25歳のヴァイオレットの2つの時間軸を交錯させながら描いていく。ポーカーをやるシーンなどは、明確にヤングヴァイオレットとヴァイオレットが分かれていたが、終盤のシーンになるとヤングヴァイオレットであるはずのシーンで、ヴァイオレットを演じる三浦透子さんが立っていたりと、二人が混在していく。そのシーンは、父親に顔に傷を付けられた時のシーンなのだが、きっとヴァイオレットは顔に傷をつけられてから、そのことを一生忘れられずそこから自分の人生がルッキズムに囚われてしまったことを物語っているようでもあった。
また、顔の傷や黒人、白人といったものが演出上では表現されていない点も面白いポイントだと感じた。そこに関しても観客の想像力に委ねるという演出なのだと思うが、そういった差別たらしめる存在をあえて視覚的に描かないことによって、演出家の差別のない世界という理想郷を表現したかったのかもしれないと捉えた。そして多くの人間は、いかに視覚的な部分によって影響されるのかを演出したようにも捉えられた。
ヴァイオレットがずっと大事にしていた日記をビリビリに破いてしまう演出、天井から紙が降ってくる演出も印象に残った。

写真引用元:ステージナタリー ミュージカル「VIOLET」より。(撮影:岡千里)


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

ミュージカル作品ということもあって、皆役者が歌も上手くて素晴らしかった。特に印象に残ったキャストについて見ていく。

まずは、主人公のヴァイオレット役を演じた三浦透子さん。三浦さんの演技拝見は実は久しぶり(舞台『ロスメルスホルム』も観たかったが予定が合わなかった)で、serial number『Secret War -ひみつせん-』(2022年6月)以来2度目である。
最前列の客席で拝見したので、かなり役者の表情まで間近で見られて良かった。三浦さんの表情が物凄く豊かだった。特にヴァイオレットは顔に傷があるというコンプレックスを抱えた存在で、それに対して非常に悲しむ表情が印象的だった。若き女性にとって、顔が醜いというコンプレックスはかなりの精神的ストレスだと思う。顔の傷が舞台上で視覚的に演出されていないがために、彼女の表情によってそのコンプレックスがどれほどのものなのかが伝わってきて苦しかった。
そして言わずもがな歌は凄く上手かった。昆夏美さんみたいに声に太さがあって帝国劇場で響かせることのできるミュージカル女優ではないものの、軽快に歌う姿は非常に印象に残ったし、歌も上手かった。『VIOLET』というミュージカル作品に合ったミュージカル女優だと感じた。

次に、黒人兵士のフリック役を演じた東啓介さん。東さんの演技を拝見するのは初めて。
東さんの歌唱力は、特にフリックのソロパートで強く感じた。黒人として孤児院に生まれてアメリカの兵隊となったが、黒人という理由で白人のようには出世出来ないと悩んでいる。その悩みや苦しみを力強く歌に落とし込んでいて心動かされた。
モンティと対照的で、フリックは非常に誠実な青年に見えた。黒人なのだけれど、黒人という設定を視覚的に与えていないので、差別されている感じはあまり伺えないのだが、ヴァイオレットはどちらかというとモンティに惹かれたりしていて、そこに残酷さを感じる。

白人兵士のモンティ役を演じた立石俊樹さんも素晴らしかった。立石さんは、ミュージカル『ロミオ&ジュリエット』(2021年5月)で一度演技を拝見している。
いかにも調子に乗った勢いのある若き兵隊という感じがあって、立石さんはハマり役だった。遊んでいそうだし、調子が良いからモテそうだし完璧に立石さんのイメージとも重なっていた。
しかし、最後にモンティは婚約指輪を渡してベトナム戦争に行ってしまうが、彼は生きて戻って帰ってくるのかと考えた。生きて帰っては来れないかもしれないし、何か障害を抱えてヴァイオレットの元に帰ってくるかもしれない。その時、ヴァイオレットの本当の生きづらさを感じるのかなとも感じた。

ヴァイオレットの父親役を演じたspiさんも素晴らしかった。spiさんは、『シュレック・ザ・ミュージカル』でシュレック役を演じている俳優で、私はアナログスイッチ『信長の野暮』(2023年5月)で織田信長役を演じているのを拝見したことがある。
spiさんの体格の良さが怖い感じの父親役としてハマっていたのと、終盤にステージ背後の四角い窓からヤングヴァイオレットとステージを眺める姿が凄く好きだった。
ヴァイオレットの父親は、今作の中では随分と謎に包まれたキャラクターだなと感じた。どうして母親と決別してしまったのか、なぜヴァイオレットの顔に傷をつけたのか、多くがわからず謎のキャラクターだった。でもそこに魅力があって好きだった。

テレビ伝道師役を演じた原田優一さんも素晴らしかった。原田さんの演技も初めて拝見する。
あの胡散臭いマジシャンのような伝道師が良かった。いかにも昔のアメリカテレビに出演していそうな詐欺師まがいのキャラクター性が良かった。ちょっとコメディアンのようで、そして裏には腹黒さがありそうで好きだった。

あとは、ミュージックホール・シンガー役を演じたsaraさんの歌声の迫力は凄まじいものだったし、ヤングヴァイオレット役を演じた生田志守葉さんの幼いのに堂々とソロパートを歌い上げる可愛さと凄さが堪らなかった。

写真引用元:ステージナタリー ミュージカル「VIOLET」より。(撮影:岡千里)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ここでは、1960年代のアメリカ南部の情勢について触れながら、今作を考察してみる。

今作で一つのテーマとして描かれているのは、ルッキズムと人種差別という外見によって人を差別するという行為である。日本では、肌の色によって人を差別するという意識はアメリカのようにはないが、昔の日本だって朝鮮人を差別してきた歴史はあるわけで決して無関係なことではない。そして人種差別は、今のアメリカでも無くなった訳ではなく今でも存在する差別である。
アメリカ南部には当時多くの黒人たちが住んでいた。劇中に登場するフリック、ルーラ、ミュージックホール・シンガーも黒人である。そして1963年にはマーティン・ルーサー・キング・ジュニアがワシントン大行進で非暴力抵抗運動の一環として大規模演説を行ったことは有名であり、劇中序盤でも映像で物語られる。
私も中学時代の英語の教科書にキング牧師の演説が題材として取り上げられていてよく知っていた。公共施設には「WHITE ONLY」と書かれて黒人は使用出来ない施設も沢山あったりと酷い仕打ちがされていたことは、歴史的事実としてよく知っていた。だからこそ、黒人たちが差別されていたという当時の想像も絶する日常があったのだろうと色々想像しながら観劇していた。
私は実際に黒人差別を目の当たりにしていないので想像でしか語れないが、ミュージックホール・シンガーの熱唱などからも、彼らの叫び声のようなものを多少なりとも感じられたように思う。

個人的に驚いたのは、黒人と白人という分かりやすい差別だけでなく、白人の中でも階級というものがあったということ。公演パンフレットによれば、モンティは白人の中でも最下層の階級のようで、だからモンティはフリックと途中までは仲が良かったんだなと思った。
考えてみれば、モンティはベトナム戦争に行かされてしまう立場である。きっと白人の中でも階級の高い兵隊ならきっとベトナム戦争には向かわされなかったのかもしれない。こういう所にも小さな差別があるのかと思うと考えさせられた。

あとは、テレビ伝道師だが、この人はモデルとなった人がどうやらいたらしく、公演パンフレットに記載されていた。
それは、西へ1500kmの旅の終着地点であるタルサにいたオーラル・ロバーツである。彼は、伝道集会で肺結核と吃音が治ったことをきっかけに自身も伝道師になることを決意したのだそう。そして伝道集会を開き、ラジオ放送を開始したり、テレビの時代になると自身のテレビ番組を持ち始めて、「聖なる力の宿ったハンカチ」を販売したのだそう。
非常にインチキ極まりないと私は感じたが、当時のアメリカは人種差別など生きにくい社会で疲弊していた人々が多く殺到して救いを求めたのかもしれない。ヴァイオレットもそのうちの一人で、自分の顔の傷を治したいと、インチキな伝道師にすがる他なかったのかもしれないなと感じた。

ルッキズムは、男性の私はあまりピンと来ないのだけれど、モデルをやっている方だったり芸能や美容に携わる方、女性の方にはかなり深刻な問題なのかもしれない。
ヴァイオレットもまだ若かったから、自分の綺麗な顔を取り戻そうとアリとあらゆるものにすがる思いだったのだろうと感じた。しかし、その西へ1500km移動する旅に足を踏み出したことによって、様々な出会いをした。自分の夢を叶えたいと必死で見えていないことも沢山あったかもしれないが、きっとこの旅はヴァイオレットの今後の人生において間違いなくプラスの働きになる気づきと出会いになったに違いないと思う。
多くの人に勇気を与えてくれる、元気づけてくれるミュージカル。そんな風に思えた。

写真引用元:ステージナタリー ミュージカル「VIOLET」より。(撮影:岡千里)


↓三浦透子さん過去出演作品


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