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舞台 「無駄な抵抗」 観劇レビュー 2023/11/23


写真引用元:舞台「無駄な抵抗」公式X(旧Twitter)


写真引用元:舞台「無駄な抵抗」公式X(旧Twitter)


公演タイトル:「無駄な抵抗」
劇場:世田谷パブリックシアター
企画:世田谷パブリックシアター
作・演出:前川知大
出演:池谷のぶえ、渡邊圭祐、安井順平、浜田信也、穂志もえか、清水葉月、盛隆二、森下創、大窪人衛、松雪泰子
公演期間:11/11〜11/26(東京)、12/9〜12/10(兵庫)
上演時間:約2時間(途中休憩なし)
作品キーワード:ギリシャ悲劇、現代劇、シリアス、会話劇、性加害
個人満足度:★★★★★★★☆☆☆


世田谷パブリックシアターと劇団「イキウメ」の主宰である前川知大さんが5度目のタッグを組み、世田谷パブリックシアター主催公演として前川さんの新作公演を行うため観劇。
前川さんの演劇作品は、「イキウメ」の本公演として『関数ドミノ』(2022年6月)、『天の敵』(2022年9月)、『人魂を届けに』(2023年6月)と3度観劇している。
ただ、世田谷パブリックシアターとタッグを組んでの公演は初めて観劇する。

今作は、ギリシャ悲劇である『オイディプス王』を下敷きに、電車が停車せずに通過するようになってしまった寂れた駅前の広場を舞台として描く現代劇である。
その広場は円形になっており、その地域に暮らす様々な人々がそこで交錯する。
二階堂桜(松雪泰子)は占い師としてテレビ番組に出演していたが、占い師としての仕事に嫌気がさしてカウンセラーになり地元であるこの地にやってきた。
桜はそこで、同級生であった山鳥芽衣(池谷のぶえ)と再会し、彼女をカウンセリングすることになる。
芽衣の育った家庭環境は悪く、父は芽衣が中学生のときに家族の元を離れてしまう。
それから父の兄弟である叔父に可愛がられたが、芽衣は桜に学生時代に言われた「いつか父を殺すことになるだろう」という予言に囚われて家庭を築けずにいた。
一方で、この町に電車が停車しなくなって寂れていくことに我慢出来なくなった島忠(大窪人衛)は、鉄道会社に抗議しようと署名活動を行う。
その署名活動に集まってきた人々を描きながら、やがて芽衣の身の回りで起きていた衝撃的な事実に迫っていくというもの。

普段の前川さんが描く脚本は非常にSF的で脚本も難解で、あまり笑いが起きるシーンはなく、ずっと緊張感の張り詰めた空間によって引き込まれる作品が多かった。
しかし今作は、世田谷パブリックシアター主催公演ということで、普段の「イキウメ」作品よりもコミカルなシーンも多く、「イキウメ」の劇団員よりも客演の俳優にフォーカスされている点からも、いつもと大きく違う印象を受けた。
SNSの感想では賛否両論あったが、個人的には普段の前川さんのテイストとは違う作品を観られたという感じで、非常に楽しめた。

私が今作を楽しめた一番の理由は、役者全員の演技力が抜群に高くて、舞台空間も照明・音響含めて洗練されていて、非常に没入出来たこと。
現代劇なのだけれど、古代ギリシャを想起させる円形の広場は、どこか神聖且つファンタジーの世界のような感じもして、その魅力にずっと引き込まれていた。

脚本に関しては、中盤までは個人的には淡々と進んでいったように感じ、終盤であらゆる伏線が回収されていって、その悲劇と残酷さに自然と涙した。
しかし、これはきっと私が家庭内暴力や性加害といった事象に対して、自分が直接経験したことがなくて知識として知っている程度だからダメージは少なかったのかもしれないと、様々な方の感想を見て感じた。
圧倒的な権力を持った存在に振り回された日々を過ごしたことがある人々だったら、きっとこの作品を観劇してかなりの精神的ダメージを与えるだろうと思って、観る人を選ぶかもしれないと思った。

あとは、電車が通過するようになって町が寂れていくという文脈が、どこか日本の過疎化の進んでいく田舎にも感じられた。
たしかにこの物語は、日本の田舎に住む人々たちが密かに抱えている、中央集権的な国家に対する怒りと、その権力に翻弄される無力さと残酷さをも物語っているように感じて興味深かった。
古代ギリシャの物語をこんな風に日本の現代に置き換えるとは、前川さんの才能が光っていた。

先述した通り、この作品は観る人を選ぶと思うので、そこは配慮しつつ観劇に足を運んで欲しいし、そういった注意喚起はあった方が良いとは思う。
しかし、舞台作品としては非常にクオリティが高くて、観る人によっても感想や捉え方が違うと思うので、多くの人にお勧めしたい作品だった。

写真引用元:ステージナタリー 「無駄な抵抗」より。(撮影:田中亜紀)





【鑑賞動機】

「イキウメ」の前川さんが描く作風は私の好みなので、今作も前川さん作演出ということで観劇した。また、「イキウメ」の劇団員の演技も好きで、安井順平さん、浜田信也さん、盛隆二さんらが出演するというのも観劇の決めてである。

【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

円形の駅前の広場に、大道芸人のダン(浜田信也)がやってくる。そして照明は徐々に暗くなって開演する。ダンは客席に会釈しながら、この町の説明をモノローグで語る。この町は半年前から電車が通過するようになった。それによって町は寂れていき、駅前も活気を失っていった。円形の広場には、時々この町の住民がやってきてたむろしていると。
広場に、色川りさ(清水葉月)がやってくる。りさは、随分とやんちゃで叛逆的な若い女性である。そばを歩いていた警備員の日暮栄(森下創)にりさは注意される。

広場に二階堂桜(松雪泰子)がやってくる。桜は自分についてモノローグで語る。彼女は今まで占い師として活躍していた。テレビ番組に出演して、今日の占いのコーナーを担当していた。しかし、そんな自分の仕事に嫌気がさして地元であるこの地に戻ってきた。そして占い師を辞めてカウンセラーとしてこの町で働くことにしたのだと言う。
広場に、山鳥芽衣(池谷のぶえ)がやってくる。桜は、今日は芽衣をカウンセリングするために、この広場で待ち合わせをしていたのだと言う。芽衣と桜は会話を始める。どうやらこの二人は小学校、中学校時代の同級生らしく、久しぶりに再会したようであった。芽衣は、いつもテレビ番組の占いを楽しみにしていたそうだが、桜はあんなものはたいしたものじゃないと卑下する。芽衣は、今は歯科医の開業医として働いていると言う。
芽衣は少々ピリついた感じで、桜のカウンセリングを受ける。それはなぜかと言うと、芽衣は学生時代に桜に「いつか父を殺すことになるだろう」という予言を言われたことをずっと引きずっていたからだった。芽衣の育った家庭環境は酷いものだった。父と母と兄がいるのだが、なぜか兄は両親から可愛がられているのに、自分は全然可愛がってもらえなかったからだった。特に父との仲はよくなかった。芽衣が小学校6年生(おそらく)だった時、父に向かって「死ね」と暴言を吐いてしまった。そして、芽衣が中学2年生のときに父は家を出て行ってしまった。そして芽衣が中学3年生になってから、父の兄である叔父が芽衣の面倒を見てくれた。
芽衣は父をずっと恨んでいた。しかし、桜が予言した言葉がずっと芽衣に呪いのようにつきまとっていた。自分はいつか父を本当に殺してしまうのかもしれない。芽衣はそう思って、このことに他人を巻き込みたくなくて、今までずっと結婚も出来なかったのだと言う。桜のせいだと。
芽衣の兄である山鳥潤(盛隆二)が現れる。潤は、駅前に子供を連れて買い物に来ていた。そして子供と一緒にこちらに来たのだと言う。潤と芽衣とカウンセラーの桜は広場を去る。

そこへ今度は広場に、鈴木理人(渡邊圭祐)がやってくる。理人はこの町でホストをやっている。どうやら先ほどの芽衣も理人がホストをやるクラブの客であるようだった。
理人は、会社で働く人々が自分たちに大金を支払い、そこで得た大金を自分は生活のために使ってという形で循環していると述べる。
広場には、佐久間一郎(安井順平)という探偵が現れる。その探偵の元へ手紙を届けにくる若い女性が現れる。彼女の名前を山鳥文(穂志もえか)と言う。文は自分の祖父である山鳥吾郎が書いた手書きの手紙をまるで伝書鳩のように佐久間に届けていた。
佐久間は、今の郵政は郵便を全てデータ化して記録に残すので信用ならないと、吾郎と佐久間との間で郵便に出さずに文に届けさせていた。文はその理由について佐久間に尋ねるが、佐久間は答えてはくれない。しかし絶対に中身を見るなと言われていた手紙を文は開けて読んでしまったらしい。けれど、文はそこに書かれていた内容について特に衝撃を受けたようではなかったみたいだった。

広場に人々が集まってくる。そしてその中には、カフェ店長の島忠(大窪人衛)もいて、彼は電車がこの町に停車しなくなって寂れてしまったことについて憤りを感じ、この町に再び電車を停車させるよう鉄道会社に署名活動をして抗議しようとしていた。島忠は署名活動のため、色んな人に声をかける。
この町の駅には駅員はいない。しかし、自動改札は動いていて電光掲示板もある。システム的には機能しているようだと。だから、再びこの駅に電車を停車させることは可能だと。
ここで、舞台音響と舞台照明が入り、この街の人々が輪をなしてパフォーマンスを披露し暗転する。

明転すると、広場には鈴木理人と色川りさがいた。二人はどうやら同級生同士のようだった。二人の会話から、理人は両親の顔を知らなくて小さい頃からずっと孤児院で育ったことを告げる。そして、実名でずっとホストをやっていて、りさにはそれは実は本当の両親に自分の元へ迎えに来てもらいたいからではと言われる。その後、二人は随分と意気投合していく。
理人とりさが捌けて、佐久間と文がやってくる。佐久間はいかに吾郎が凄い人かを語る。大きな功績を残して、この町の役所の偉い立場に就任した(役名は忘れた)。とても優しくおおらかで自信に満ち溢れた人物だと言う。佐久間は自分とは大違いだと吐き捨てる。
しかし、今はそんな吾郎も病気で弱っているのだと言う。せん妄に悩まされていた。かつてはあんなに自信に満ち溢れていた吾郎も、今では何かに怯えていると。
佐久間は文に質問する。もし、おじいさんが完璧な人間ではなく、何か悪いことをしていたと知った時、その事実を受け入れられるかと。文は受け入れられると即答だった。佐久間は、その反応じゃ無理だなと言う。文は受け入れられると強く言う。

広場に人々が集まり始める。島忠は署名活動を続けている。電車が駅を通過していく。しかし、電車が通る線路には石が置いてあったらしく、電車はその石の上を通過していく。幸い電車に別状はなかったようだった。
警備員の日暮は、誰が線路に石なんか置いたんだと犯人探しをする。どうやら、りさが石を置いたらしく注意をする。
そんな光景をさぞおかしそうに傍観するダン。ダンは周囲の人間から、何がおかしいのだ、お前はこの町のために何かしたのかと追及される。ダンはたじたじと後退りする。

場転して、広場にはカウンセラーの桜と芽衣がいる。芽衣は、桜のカウンセリングを受けながら自分の過去について語る。中学2年生の時に父が家を去り、中学3年生の時に叔父が自分の元に頻繁にやってきて優しくしてくれた。
しかし、ある日芽衣が布団で眠っていると、その布団に叔父が入ってきたのだと言う。桜はそのことを聞いて衝撃を受ける。布団に入ってきた叔父は芽衣の体を触ってくる。芽衣はなんかおかしいと感じたが、いつも優しくしてくれる叔父だったので、それを告発すべきとこととは捉えずなされるがままだったと言う。桜は顔色を変える。
そして芽衣が高校生だった時、叔父との間に子供が授かってしまう。最初は中絶を考えたが、なんとか中絶することだけは避けて出産することになった。しかし、叔父も結婚している身で隠し子がいることがバレてしまうとまずいので、その生まれた子供をすぐに孤児院に預けてしまったのだと言う。芽衣は、これで子供を頑張って一人で育てる苦労もなく、一人で伸び伸び生活出来ると思ったそう。
そして、芽衣がその後知ったことは、叔父は自分の母親とも不倫をしていたということ。そして、叔父と母親との間に出来てしまった子供が自分で芽衣自身であったことも知る。つまり、兄の潤とは異父兄妹で、父親だと思っていた人物とは血が繋がっていなかったということである。
桜は、芽衣が語った過去を真摯に聞いていた。そして芽衣は決断する。桜から「いつか父を殺すことになるだろう」という予言を受けていたが、まさに芽衣はその予言を知っていながら意図的に実施することになりそうだと言う。その芽衣の本当の父親であった山鳥吾郎を告発すると言う。
そんな一連の話を横で聞いていた文、そして芽衣は彼女にこれから祖父を告発してめちゃくちゃなことになってしまうけれど許してくれと言う。文は呆然としている。

再び電車がこの駅を通過しようとする。しかし、電車は大きな物音を立てて線路から脱線して止まってしまう。広場にいた人々は大騒ぎする。警備員の日暮は、電車を脱線させたのは誰の仕業だと叫ぶ。島は自分がやったと名乗り出る。線路のポインターをいじったのだと言う。
日暮は、電車の中には人がいるから助けないとと叫ぶ。しかし島は、助ける必要なんてないと言う。
さらに駅に電車がやってくる。まだやってくるぞと。そして、前の電車が脱線しているのを見て同じくそれに続いて脱線していく。

暗転。

広場には理人がいる。理人は、再び自分は両親の顔を知らないと言う。でも、意外と両親の顔を知らないことの方が幸せだったりするのかもとも言う。芽衣の様子をみて、そんな酷い家庭状況を知ってしまった方が辛いのかもしれないと。
ここで上演は終了する。

公演パンフレットを読んで知ってしまったのだが、この理人自身が吾郎と芽衣の間に授かって孤児院に預けられた子供である。とてもとても家庭環境がドロドロし過ぎていて、ストーリーを書き起こしながら鳥肌が立っている自分がいた。というか、理人は本名でホストをやっていると言っていたから、芽衣はホストにいた理人が自分の子供のが大人になった姿だと気づいていたのだろうか。気づいていても、もう孤児院に預けた自分の子供を引き取ろうと思っていなかったから、あえて彼に何も言わなかったのだろうか。凄く考えさせられたし残酷に感じた。
山鳥吾郎という町ではかなり崇拝されていた大物人物がキーマンで、彼によって周囲の人間たちはめちゃくちゃにされている。個人的には、冒頭ではものすごくこの吾郎という人物は人格者で、才能もあって話で聞いただけでも魅力的な人物に思えていた。だからこそ、終盤でそれを覆すかのような様々な性加害が描写されていて、胸糞悪かった。私でさえショッキングに感じた(けれど普通に観られてはいた)のだから、おそらくそれに近い経験があったり、そんな事象に触れたことがある人が観劇したら震えが止まらないのではないのだろうか。
駅に停車せずに通過していく電車のメタファーや、『オイディプス王』とどう関連するかについては考察パートで深く触れていきたいと思う。

写真引用元:ステージナタリー 「無駄な抵抗」より。(撮影:田中亜紀)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

世界観・演出は、いつものイキウメのスピリチュアルっぽさ、神秘的な舞台空間に加えて、円形の広場に代表されるギリシャ神話っぽさも含まれていて素晴らしかった。そのおかげで2時間ずっと引き込まれていた。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。
世田谷パブリックシアターの劇場は客席が少し半円形状にカーブしながら並べられている。その半円に対応するかのようにステージ上に半円形の広場(というか円形劇場)が広がっていた。いかにもギリシャ神話に登場しそうな円形劇場で、「イキウメ」の作風との親和性の高さに驚いた。
円形の広場は、焦茶色の石造によって作られているように見えた。段々になったその半円形の広場の最上段には所々街灯のようなものが立っていた。この街灯も、どこか競技場の周辺にありそうなモダンな感じの街灯に思えた。
円形の広場の上手側には、コロッセオとかでよく戦士たちが登場するための通路のようなものがあると思うが、それに似た段上になっている一部をくり抜いてデハケになっている部分があった。
ステージの一番手前の円形の広場の中央の窪地部分には、円筒形の小さな椅子が沢山置かれていた。整列されている訳ではなく、バラバラに配置されていた。
舞台セットの転換はなく、これらの舞台装置が上演中ずっとその場に仕込まれているのだが、もうそれだけで私たち観客はギリシャ神話の世界に迷い込んだような感覚にさせられて凄く没入感のある舞台空間に思えた。上演開始も暗転して始まるでもなく客入れ時と地続きになって始まる演出と、この客席の半円の構造も活かしきって、まるで観客である私たちもこの町の住人として、その広場で繰り広げられる会話を盗み聞きしているかのような感覚にさせられる効果があって良かった。

次に舞台照明について。
通常のシーンでは、背景は青空を表す水色になっていて晴れた日中と思わせる舞台照明だった。しかし、島が署名活動を行うシーンや、通過する電車が脱線してしまうシーンでは、この町は夕方になっていて全体的にオレンジ色の照明で照らされている印象を受けた。
あとは、場転シーンの舞台照明が印象的だった。劇中での印象に残る場転は2箇所ある。1箇所目は、島が広場で署名活動を始める件のすぐ後と、2箇所目はダンが周囲の人間たちに「お前は何もしていない」と詰め寄られるシーンの直後。どちらも場転は、どこかシリアスで恐ろしい感じの演出になっていて、紫色(というか深い青色)の背景に白色の照明が当てられていた印象だった。
また、その場転中にステージ奥側に白い煙のようなモヤのようなものが投影されていた。あれは何を意味するのだろうか。そのモヤのようなものは、ずっと蠢いている感じで割と大きさもあった。そしてそのモヤを中心に人々が輪になってパフォーマンスをする。何か神様のような運命のような神聖なもののように思えた。

次に舞台音響について。
まずは音楽が素晴らしかった。「イキウメ」らしいシリアスな感じ、不気味な感じの音楽が場転中にかかっていて、凄くそれだけでも鳥肌が立った。そこへ、ダンがバイオリンを弾くそぶりをして、BGMとしてバイオリンの「キュイーン」という音が劇場に響き渡る。非常に良い意味でゾクゾクさせる舞台音響で好きだった。
そして、今回の舞台音響で特に素晴らしいなと感じたのは、通過する電車の効果音。優しいメロディと共に駅には電車が通過する旨を伝えるアナウンスが流れる。そのアナウンスもなかなか心地よい感じのアナウンスで好きだったのだが、素晴らしかったのは電車の音。電車は、序盤では何事もなくこの町を通過していき、りさが置いておいた小さな石を蹴散らす電車の音が中盤で、やがて終盤では島が仕掛けたポインター操作によって脱線する電車の音が流れる。電車が脱線する時、最初に音が流れるのでその「ガッシャーン」という音から観客は何が起きたのか想像するしかない。そこをイマジネーションさせるのが、凄く演劇的な演出でもあって舞台音響としての腕の見せ所を発揮させるシーンだと感じた。後述するが、署名活動を行った島によって電車が脱線させられる音というのは、ある種運命によってずっと虐げられて苦しい思いをしてきた弱者たちが、自由意志によって上の立場に反旗を翻す音でもある。その音は、個人的には脱線したという音の意味だけでなく、どこか悲惨で物悲しそうな叫び声にも聞こえて素晴らしい効果音チョイスだと感じた。こうやってスタッフワークにも遊びの余地が与えられる戯曲ってやっぱり素晴らしいと感じた。

最後にその他演出について。
今作が「イキウメ」らしくないと最も感じる要素は、特に前半部分に笑える要素が沢山ある箇所かなと思う。これはきっと「イキウメ」の劇団員でない方がこの物語の割と中心人物を担っているからかなと思う。例えば、今作の主人公とされる山鳥芽衣を演じた池谷のぶえさんは、どちらかというと日常のストレスだったり鬱憤をコミカルに演技として表現することに秀でた方だったので、今回は池谷さんの演技に合わせて特に序盤はコメディよりに作品作りをシフトさせたのかななんて思った。それはそれで前川さん作品として新鮮で良かった。また、それに準じて佐久間一郎役を演じている安井順平さんも、いつもの「イキウメ」作品よりは若干コメディよりに演技をしている感じがあって良かった。安井さんは元々はお笑い芸人なので、コミカルに会話劇を演じることも得意なのは今作で凄く分かった。そんな具合で、前川さん含め「イキウメ」という団体は、客演の方がどのように作品に入り込むかによって、スタイルを変幻自在に変えられる素晴らしさも併せ持っているのだなと感じた。その中で、しっかりと「イキウメ」らしさを保っているのは素晴らしいと感じた。
広場の段上になっている箇所に、ストーリーの中心にいない登場人物が座って紙コップでコーヒーなどを飲んでくつろいでいる演出がある。公演パンフレットにも記載されていたが、この傍観者的立ち位置の人物の存在は「コロス」を表しているらしい。「コロス」とは、ギリシャ劇の中で合唱隊を表し、観客に物語の進行の鑑賞サポートをする存在らしい。まさにダンの存在は、冒頭でこの町の説明を観客にしたいrとコロス的側面を持つキャラクターだった。また、コロスたちも観客と同じように広場の中央で行われているメインの劇を座って傍観することで、たしかに観客もこの作品の一員であるという意識を与えてくれている感じがして上手い演出だと感じた。
そう考えると、やはりこの作品で繰り広げられる上演自体が、観客の日常と地続きになっていることを意図的に演出している気がする。古代ギリシャという空間を現実の世界と結びつける演出に感じられて、それがあったからこその没入感の高い舞台作品に感じられたのかもしれない。

写真引用元:ステージナタリー 「無駄な抵抗」より。(撮影:田中亜紀)


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

「イキウメ」に所属する劇団員も、そうでない俳優の方も含めて、全員演技は上手くて、それだけでも十分楽しめるし没入できる舞台だった。演技に関しては、本当に言うことがなしというくらい素晴らしかった。
特に印象に残った俳優とキャラクターについて記載する。

まずは、主人公の山鳥芽衣役を演じた池谷のぶえさん。池谷さんの芝居は、直近だとEPOCH MANの『我ら宇宙の塵』(2023年8月)で演技を拝見しているので、割とすぐに再びお目にかかれた。
池谷さんのX(旧Twitter)を覗くと、どうやら池谷さん自身も父を亡くされているようで、少し今回の芽衣の役とも被るようである。
芽衣の役は、非常に考えさせられる役だった。序盤で芽衣が登場した時に、私はそこまで芽衣という人物に惹かれなかった。ピリピリしているし、自分の境遇に対して憤っている感じが溢れ出ていた。だから、もし芽衣のような人物に日常で出会ったら私は距離を置いてしまう気がする。
しかし、桜からカウンセリングを受けるにつれて、芽衣がいかに酷い仕打ちを家族や親戚から受けてきたかが分かってきて辛かった。それと同時に、芽衣という人物に対して魅力的にも感じられた。これは、そうやって家族から酷い仕打ちを受けた人が、それによって性格も変わってしまって人々から受け入れられづらい人間になってしまう残酷さをも描いているように感じられて、そこを含めて辛く思えた。
特に、吾郎から性加害を受けていて、吾郎にずっと優しくされていたから、それを訴えようという気持ちも生じなかったこと、そしてそれも吾郎の策略のうちでもあったことが本当に恐ろしく感じた。
そんな過酷な人物像を上手く演じ切ってしまう池谷さんは素晴らしかった。こんなロングラン公演でそんな役をずっと演じられるなんて、やっぱり俳優という仕事は凄いなと感じてしまう。
また、先述した通り、序盤では池谷さんの持つコミカルな感じの演技が、作品全体にしっかり馴染んでいて且つ「イキウメ」らしさも残る形で仕上がっていた点も素晴らしかったと思う。

次に、カウンセラー役の二階堂桜役を演じた松雪泰子さん。松雪さんの演技も、M&Oplays『カモメよ、そこから銀座は見えるか?』(2023年6月)で観劇しているので、割とすぐにお目にかかれた印象。
桜が芽衣に対して、優しく問いかけながら芽衣の育った環境についてヒアリングする感じは、凄くカウンセラーっぽさを感じた。その一方で、占い師をやっていた人がいきなり仕事を辞めてカウンセラーになれるものなのだろうか、もしなれたとしてもカウンセラーとしての腕はどれほどなのだろうかと色々疑問に思うことはあった。また、広場の中心でカウンセリングを始める点に関しても、カウンセリングの行い方として疑問だった。それに、学生時代に桜は芽衣に対して「いつか父を殺すことになるだろう」といった呪いのような予言を言っているので、その時点で芽衣を救う所か苦しめているので、一人前のカウンセラーとは言い難いだろう。
しかし、そんなツッコミ所がこのカウンセラーには多いことも含めて何か意図があるのかもしれないとも思った。カウンセラーとして芽衣の味方であるような素ぶりをして、結局の所人間だから100%芽衣のために何かしてくれる存在にはなれないという残酷さを物語っているのだろうか。
いずれにせよ、この桜というカウンセラーはずっと信用ならなかったが、松雪さんの演技は絶妙にハマっていて引き込まれた。

「イキウメ」の劇団員としては、やはり佐久間一郎役を演じた安井順平さんが素晴らしかった。安井さんは、最近では朝の連続テレビ小説『ブギウギ』にも出演されているそう。
今作での安井さんの演技は、先述した通りどこかコメディアン要素の強い演技で、これまた安井さんの演技の幅を感じさせるものだった。山鳥文に対して、君のお祖父さんが悪人だったらどうする?という投げかけに、文は受け入れられると即答したことに対して、それは無理だなとすぐに返すやり取りなど面白かった。
あとは、吾郎という世間的に立派であった存在に対して、ちょっと妬ましく思う感じで彼の功績を語る感じが凄く良かった。自分にはそんな才能がなく、吐き捨てるかのように語る演技が印象的だった。

また、山鳥文役を演じる穂志もえかさんも凄く印象に残った。穂志さんの演技は、映画『愛がなんだ』(2019年)で観たことがあった。舞台は今作が初めてだそう。
凄く純粋な性格の若い女性というのが凄く魅力的だった。いかにもお祖父さんの吾郎に大切に優しく育てられたんだろうなという感じがあって、お嬢様っぽさと純粋さが個人的にはツボでずっと惹かれていた。
そして、なんとも心動かされたのがラストシーン。芽衣の証言によって、祖父である吾郎は性加害をしてきた罪人であることが明かされる。この後芽衣によって、この吾郎は訴えられるのだが、その後取り残される文のことを考えるととても居た堪れなくなった。吾郎が訴えられることによって初めて、いかにこの出来事が文にとって衝撃的な問題であることを知ることになるのであろう。あんなに優しかった祖父が罪人にさせられてしまう辛さ、そしてそんな罪人の孫であるという十字架を背負って、この残りの人生を生きていかなければならない。これも運命なのか、とても辛く思えるし、それによって彼女の純粋さも失われるのだろうと思うと涙が溢れてきてしまう。

あとは、ホストの鈴木理人役を演じた渡邊圭祐さんも、あのチャラチャラした感じが凄くハマっていて良かった。前回演技を拝見したのが『彼女を笑う人がいても』(2021年12月)で情熱を持って行動する熱い人間を演じていたので、今回また違った側面の演技が観られて良かった。
色川りさ役の清水葉月さんも素晴らしかった。清水さんはKERA・MAP『しびれ雲』(2022年11月)で演技を拝見したことがあるが、その時とは違って反抗心の強い若い女性の役。山鳥文とは対照的。広場にある円筒形の椅子を足で蹴ったり、言葉遣いとかもちょっとヤンキーっぽくて魅力的だった。清水さんってこういう役似合うなと思いながら観ていた。

写真引用元:ステージナタリー 「無駄な抵抗」より。(撮影:田中亜紀)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

前川さんが描く作品は、『関数ドミノ』(2022年6月)『天の敵』(2022年9月)『人魂を届けに』(2023年6月)と観てきたが、このうち『関数ドミノ』と『天の敵』は再演を観劇していて脚本が書かれたのはもっと前なので、作品の性質はだいぶ異なるが、前川さんが直近で書いた『人魂を届けに』とこの『無駄な抵抗』に関しては、どこか社会を逸脱した者の生きづらさと渇きが脚本上に如実に表れている気がした。
おそらく前川さん自身がコロナ禍というものの影響を大きく受けているからだと思われる。これほどまでに自由を奪われ、表現が制限された時代も直近ではなかったので、そういった制約がこうした表現者の強き者に支配される生きにくさとして脚本に表れているのかなと思う。
ここでは、ギリシャ悲劇である『オイディプス王』と今作を踏まえた考察と、通過していく電車がなんのメタファーとなるかについて考えてみる。

『オイディプス王』という作品自体、私はタイトルは知っていたものの内容に関してはこの作品を通じて知ることが出来た。
『オイディプス王』のあらすじを記載しておく。
テーバイにはライオスという王がいた。ライオスはイオカステという女性と結婚する。しかし神からのお告げでは、ライオスはイオカステとの間に子供を産んではならない、その子供がライオスの身を滅ぼすと予言する。しかし、ライオスはそんなお告げを無視してイオカステとの間に子供を産んでしまう。その子供がオイディプスである。
ライオスはオイディプスを恐れて、テーバイから遠く離れた王家へ献上する。オイディプスは、その遠く離れた王家の息子だと勘違いして育つ。
しかし成長したオイディプスは、神からこんなお告げを受ける。「おまえは父を殺し、母と交わって子を産むだろう」と。オイディプスは今一緒に暮らす両親を実の両親だと思い込んでいたので、そのお告げを聞いて怖がり、その王家を離れることになる。
オイディプスは、旅の途中で一人の老人に出会う。その老人が山道を開けてくれないので怒って殺してしまう。しかし、この老人こそがオイディプスの実の父であるライオスだった。オイディプスはそうとは知らず、実の父を殺してしまった。
テーバイに到着したオイディプスは、テーバイが怪物スフィンクスに襲われていたので市民を助ける。丁度王の座も空席だったのでオイディプスはテーバイの王となり、イオカステと結婚する。そして4人の子供を授かる。
テーバイにその後疫病が流行ったことで、オイディプスは占い師に助言を求める。しかしオイディプスはそこで、実の父であるライオスを殺してしまっていることを知る。そして妻であるイオカステも母親であることを知る。イオカステは自殺し、オイディプスもその罪として目を潰し盲目になる。そしてそのまま死を迎える。

このギリシャ悲劇である『オイディプス王』と今作を照らし合わせてみると、山鳥芽衣が女性でこそあるがオイディプス王に対応する。そしてライオスが山鳥吾郎と対応し、イオカステが芽衣の実の母であり吾郎の不倫相手ということになる。また占い師や神は、カウンセラーの二階堂桜ということになる。
若干今作と『オイディプス王』で対応しない箇所があるが、オイディプス王が言われたように「いつか父を殺すことになるだろう」というのは、芽衣も結局運命に逆らえず実父の山鳥吾郎を恨み、その方向へと行動を進めることになる。ギリシャ悲劇では意図的ではなかったが、今作では意図的である。
また、芽衣がその予言を恐れて実家を飛び出したというのも『オイディプス王』と類似する。オイディプスは、父を殺すことになるという神託を受けて育った国を離れたのだから。
さらに、『オイディプス王』ではイオカステが息子のオイディプスとも結婚し子供を産むという母子相姦となっているが、今作では吾郎が娘との間に子供を産んでいる(鈴木理人を産んでいる)ので、父子相姦である。

ギリシャ悲劇でも現代劇である『無駄な抵抗』でも共通していることは、神や占い師からの予言には逆らえないということである。自分では、その運命から逃れようとしても、結果的にその占いや予言通りに物事が運んでしまっていることである。
ライオスは、息子に殺されることを恐れて遠い国の王家へ献上したにも関わらず殺されてしまうし、オイディプスもテーバイの妃がまさか自分の母親だと知らず結婚して、母子相姦を達成してしまった。芽衣も自分の父と勘違いしていた人間は家を去り、彼を殺すことだけはしないようにそんな運命だけは避けるようにして生きてきたにも関わらず、実の父は吾郎で、それを分かって殺さざるを得ないと思うほどの憤りを露わにした。

絶対的なものには逆らえない。それが運命である。それが今作のテーマであると思う。しかし、そんな運命に抗おうと行動を起こすことは可能である。それが今作のもう一つのテーマの自由意志である。
この町に電車が停車せずに通過するようになった。それは、この町に人がやってこなくなって寂れていく運命を辿ることになることを意味する。島忠は、そんな運命に逆らおうと自由意志を持って署名活動を行い、再びこの町にも電車が停まって活気が戻ってくるように抗った。
しかし島は、電車が通過するポインターをいじって脱線させることしか運命に抗う術はなかった。どんなに抗っても次から次へと電車はやってくる。しかし、その電車を脱線させて中にいる乗客を負傷、死傷させるしか抗う術はなかった。
ここで、中の乗客が負傷、死傷するも助けにいかないというのが凄く重要かと思う。運命に逆らう自由意志によって、何かしらの犠牲が生じてしまうということ。これは、芽衣が吾郎の性加害を告発することによって、吾郎の孫の文がそういった罪人の孫として一生生き続けなければならなくなるという犠牲ともリンクするかもしれない。運命に打ちひしがれた者は、その運命に抗う自由意志によってさらに犠牲が生じてしまうという運命である。

この町に停車せず通過する電車はなんのメタファーだろうか。この電車は、山鳥吾郎とも対応して圧倒的な権力の象徴であると思う。逆らおうにも抗おうにも打ち勝てない存在。
また、この電車の通過する町とこの電車は日本社会の縮図でもあると思う。日本は地方で過疎化が進んでいる。電車が通ることがなくなってしまい寂れていく地方の町というのは増える気がする。たしか、JR北海道の地方の駅では過疎化によって廃駅になっていく駅も増えているというニュースを見たことがある。だから、今作のこの町の設定は、実際の日本の町のどこかであってもおかしくない。
そんな町に住む人々は、日本の中央集権型の政治や権力に従って生活しなければならない。駅が廃駅になると決まったら、その町は廃れるしかない運命なのである。
だから、この通過する電車は日本の国家であって、この町の住人は、そんな日本国家に抗おうとする人々、つまり権力を持たない市民たちに思える。

それだけではない。この圧倒的な権力とそれに従わざるを得ない人々という構図は、現代の日本の至る所にある組織で存在しているのではないだろうか。
今年(2023年)は、ジャニーズ事務所が事実上なくなった。これだってジャニー喜多川という圧倒的な強い権力によって、その下にいた人々が苦しんでいたのではないだろうか。劇団のハラスメント問題の告発だって、主宰という強い権力によって劇団員がずっと虐げられ、それがまるで電車のポインターをいじって電車を脱線させるかのごとく訴訟を起こしたのではないかと思う。

この物語は、ギリシャ悲劇を下敷きにして、まさに日本社会全体が今直面している大きな問題を構造化していると感じた。そういった意味でも前川さんの脚本は凄いものだし、そんなセンシティブなテーマをよくぞ演劇作品に落とし込んだと思う。賛否両論はあると思うが、私はその姿勢を凄く尊敬しているし素晴らしいと感じている。

写真引用元:ステージナタリー 「無駄な抵抗」より。(撮影:田中亜紀)


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