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舞台 「人魂を届けに」 観劇レビュー 2023/06/02


写真引用元:イキウメ 公式Twitter
写真引用元:イキウメ 公式Twitter


公演タイトル:「人魂を届けに」
劇場:シアタートラム
劇団・企画:イキウメ
作・演出:前川知大
出演:安井順平、盛隆二、浜田信也、森下創、大窪人衛、藤原季節、篠井英介
公演期間:5/16〜6/11(東京)、6/15〜6/18(大阪)
上演時間:約1時間50分(途中休憩なし)
作品キーワード:ファンタジー、スピリチュアル、社会問題、会話劇、難解、考えさせられる
個人満足度:★★★★★☆☆☆☆☆


前川知大さんが主宰し作演出を務める劇団「イキウメ」の新作公演を観劇。「イキウメ」の作品は、2022年5〜6月に再演された『関数ドミノ』、2022年9月に再演された『天の敵』を観劇しており、今回は3度目の観劇となる。
『関数ドミノ』も『天の敵』も現代の日本を舞台にした物語なのだけれど、どこかファンタジー的でそのメッセージ性が強く心に焼きついて好みの作風だったので、今回の新作公演も楽しみにしながら観劇することにした。

物語は、森の奥深くの隠れ家のような場所を中心として描かれる。
この隠れ家には、山鳥(篠井英介)という母親的存在のような中心人物がいて、葵(浜田信也)、鹿子(森下創)、清武(大窪人衛)、棗(藤原季節)という男たちもどこからか逃げてきたかのようにこの隠れ家に暮らしていた。
ある日、八雲(安井順平)という刑務官がこの隠れ家を訪れる。
八雲は先日、絞首刑に処した男性から落ちてきた黒い塊が、彼の人魂なのではないかと思い、彼の母親とされている山鳥の元にその人魂を届けに来たのだと言う。
八雲はそこで、この隠れ家は何なのか、そしてそこで暮らしている人々が、一体どうしてここに逃れてきたのか、その理由が徐々に明らかになっていくという話である。

私が過去観てきた2作品はどちらも、かなり難解な作品のように一見感じられるが、実はメッセージ性は分かりやすくて面白さを十分堪能出来たのだが、今回の作品は極めて難解で、というのは物語の核心を突くような描写はなく、ただただ婉曲的に今作で主張したいテーマがボンヤリと浮き上がってくる感じの作風だったので、個人的にはかなり咀嚼仕切れていない部分が沢山残る観劇となった。
シーンが途中で劇的に変化するようなこともなく、ただただ静かに隠れ家に住む人々たちによって過去の回想がシームレスに描かれるので、過去の「イキウメ」の作品と比較してしまうと作品への没入感が弱かったと感じた。
各々のシーンであまり衝撃的なエピソードがなくて、かつ抽象度が高かったのでついていくのが大変だった。

そして最終的には、こういうことを描きたかったのかなという一つの主張にたどり着いた。
それは「法治国家の暴力性」。
例えばある人が誰かを殺してしまう。もちろん直接的には殺したその人が悪いのだが、そうさせてしまったのは法治国家という見えない力なのではないか、その支配的圧力によってはみ出した人々というのは一体どこへ向かったら良いのか、そんなメッセージ性に感じられた。
ただ、この類がテーマの作品というのは既にありふれているし、特に意外性がなかったので今日敢えてそのテーマに取り組んだ意図が掴めなくて少々困惑した。
ただ、私が今回の観劇で咀嚼仕切れなかった部分が沢山あるので、きっとその中に今作のオリジナリティや真髄はあるのではないかと思っていて、自分の鑑賞眼が今作に及ばなかったのかもしれないと感じている。
この後詳細にレビューを書いていくことで、咀嚼出来なかった部分に意味が見出されて、満足度は変わるかもしれない。
そんな作品だった。

世界観や演出は、非常に既存の「イキウメ」らしく、ちょっとスピリチュアルな感じとファンタジックな感じ、そして終始舞台中に漂う不気味な感じ。
全てが「イキウメ」らしかった。
また、過去の回想シーンを照明だけを変えて同じ登場人物でシームレスに演じる演出も今作でも健在で面白く観劇していた。
キャスト陣は、篠井英介さんが演じる山鳥の演じ方とオーラが見事ハマっていた。
あの毒々しさを終始オーラだけ漂わせて一体何者なのか観客も興味を掻き立てられる存在感が抜群に良かった。

今作は非常に難解で全てを理解して観劇するのは至難の業かもしれない。
しかし、観劇し終わってから自分の頭の中で咀嚼したり、ネット上の感想などを読んで理解を深めることによって、徐々に面白さを見出していける、そんな作品なのではないかと思った。

写真引用元:ステージナタリー イキウメ「人魂を届けに」より(撮影:田中亜紀)。



【鑑賞動機】

前川知大さんが創る演劇は、まだ『関数ドミノ』と『天の敵』の二作品しか観劇していないが、どちらも強く印象に残っていて心を強く動かされる観劇体験を与えてくれるので、今回の新作公演も絶対観劇しようと思っていた。
また、今作では劇団た組の『ドードーが落下する』で好演だった藤原季節さんを客演に迎えての新作公演ということで、藤原さんが「イキウメ」ではどんな感じの演技をされるのか楽しみにしながら観劇した。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

森の中の隠れ家、そこには山鳥(篠井英介)と、棗(藤原季節)、清武(大窪人衛)、鹿子(森下創)、葵(浜田信也)がいる。棗は一人で語っている。人を殺そうとしている瞬間を見てしまったと、細い隙間から。そしてそれがバレてしまう。人殺しを行った人間から、棗に1万円札が渡されたと言う。棗は人殺しを行った人間から、この人殺しを他言しないようにと1万円を渡されて去っていく。棗は当然、この1万円を渡されても何も嬉しくない。なぜなら、1万円という価値で自分の人殺しを目撃したという出来事に対して口止めをされているから。それはまるで、自分の魂が1万円という値段で奪い取られたようだったと。
清武は、魂の入った瓶を取り出して、その魂を飲み干してしまう。

暗転。

森の中の隠れ家、そこへ入り口から一人の男性がやってくる。彼は八雲(安井順平)と言う。八雲は、街で拘置所の刑務官を勤めているようである。八雲は、以前この隠れ家に郵便物を届けようとしたが受け取っているかと隠れ家にいた鹿子に尋ねる。しかし、鹿子はここでは郵便物を受け取っていないと返答する。
八雲を隠れ家のオーナーと思われる山鳥が迎え入れる。八雲は山鳥に、山鳥の子息が事件を起こして絞首刑に処せられたことを知っているかと尋ねる。山鳥は薄い反応を示す。それはまるで、山鳥がその一連の出来事を知らなかったか、関心がないかのようだった。
八雲は語り始める。八雲は先日、拘置所で一人の男性を絞首刑に処したという。その男性は、とある広場で銃でその場に集まっていた人々を殺そうとした。その男性を絞首刑に処するとき、その男性からボタッと黒いものが落ちてきたのだと言う。八雲はそれを拾い上げて、これはこの絞首刑に処せられた男性の魂に違いないと感じた。そしてこの人魂をその刑に処せられた男性の元へ届けようと、つまり人魂を届けにこの森の奥の隠れ家にやってきたのだと言う。
八雲は、手に持っていた紙袋の中に飲みかけの飲み物の液体を入れ、そして紙袋からまるでマジックでもするような感じで、中から両手で持つ大きさほどの黒い塊を取り出した。そこからは、魂の叫び声が聞こえたり聞こえなかったりする。

八雲は、この森の奥深くの隠れ家で、公安警察を勤めていた陣(盛隆二)に出会う。陣は八雲より後に拘置所を後にして、八雲を追いかけていたのに先にこの隠れ家にたどり着いていたとはと驚く。
陣はここにたどり着いた経緯を語る。陣は八雲を追いかけて拘置所を出ると、森の中で迷子になってしまい途中で倒れてしまう。そして山鳥に助けられてこの隠れ家で療養する。陣は次第に回復してくると、この隠れ家を後にして森の中へと姿を消す。しかし、陣は再び森の中で倒れてしまい、山鳥に助けられる。そのときは、陣はへび(だったかは記憶が曖昧だが何かしらの獣だった)に襲われそうになったと、ありもしない出来事にうなされていたと言う。そして陣は、再び山鳥の元で療養した後この隠れ家を旅立って行ったと。
そこで八雲は、そして今も陣はここにいるということは、また森の中で倒れて山鳥に助けられたのだなと言い、その通りだと答える。

山鳥が仕切るこの森の奥深くの隠れ家は、社会からはみ出した者たちの逃げ場所として機能しており、ここから隠れ家に暮らす人々の身の上話が語られる。
棗は、ずっと青い蝶々を追いかけていたが、そのときに誰かに殴られて倒れた。
葵は、夫と別れた妻。葵は詩を書くことが好きだけれど、その詩を誰にも公表せずに自分の中で大切にしていた。あるとき、夫がその詩を葵には内緒で公開してしまい、その詩の素晴らしさが世に広まって賞を受賞した。葵は、勝手に自分の詩を公表したことに怒り、夫と離れ離れとなった。

清武は音楽ライブのパフォーマーだった。広場でその音楽ライブを行っていた。八雲もそのライブ会場に足を運んでいた。
清武はステージ上に立った。片手には銃を持っていて、観客はその銃を清武が放つまでは何かのパフォーマンスか何かだと思っていた。息子は空に向かって一発、観客に向かって一発、そして自分に向けて一発銃を放った。二発目の観客に向けての銃で観客は、一目散に出口へと逃げて行ったが、そこで雪崩が起きて9人が圧死した。

陣は再び、街へ戻りたいとこの隠れ家を後にする。

八雲は山鳥を問い詰める。お前は絞首刑に処せられた息子の母親ではないな、というかそもそも女性ではないなと。山鳥は不気味に笑いながらはぐらかす。
八雲は、自分が持ってきた人魂に対しても疑い始める。この人魂は山鳥の息子の魂ではなく自分の魂ではないのかと。八雲は、その魂を鍋の中に入れて煮え立たせて食べようとする。
八雲は、ずっと足を引きずっている。だから、これからもずっと拘置所の刑務官として仕事をしていくことしか出来ないと。ここで上演は終了する。

なかなか明確な答えを与えてくれない、非常に難解で抽象度の高い作品だったので、いまだに上記で書いた内容が果たして捉え方として合っているのか定かではない箇所も沢山ある。
国家という国を支配する勢力があって、その勢力によって八雲のような刑務官や陣のような公安警察たちは忠実に従って職務をこなすが、そういった国家の法律やルールに従うことが出来ない、もしくは従うことが出来ないほど精神が疲弊している人々、つまり国家権力から逃げ出した人々がいて、そういった人々の安住の地が山鳥が主る森の奥深くの隠れ家となっている。隠れ家で療養している森に迷う者たちは、それぞれ理由があるが、その理由にリンクする形で八雲の周囲の人間関係ともシームレスに繋がっていて興味深かった。
八雲が果たして何者だったのか、山鳥も果たして何者だったのかも明確は答えは与えられていない。そして八雲が手にして持ってきた人魂は、果たして本当に山鳥の子息の人魂なのだろうか、そしてこの物語全体がっ指し示すメッセージとは一体なんなのか、考えても考えても繋がらないくらい難解な作品で、そういった意味で見応えのある作品だった。
ここに関しては、しっかりと考察パートで振り返っていこうと思う。

写真引用元:ステージナタリー イキウメ「人魂を届けに」より(撮影:田中亜紀)。


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

世界観は、本当に「イキウメ」らしくてファンタジックでスピリチュアルな感じで、だからこそステージ全体から気味悪いオーラが漂っていて、何か大きな事件が起きる訳じゃないんだけれど終始ゾクゾクさせる感じが本当に好きだった。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番でみていく。

まずは舞台装置から。
ステージは、山鳥が取り仕切る森の奥深くの隠れ家がセットされている。ステージ中央には八雲が序盤にやってくる入り口がある。この入り口も普通の入り口ではなくて、洞窟の隙間をイメージしたような灰色の岩のような縦に長い装置が二つ置かれていて、その間に隙間がある。
ステージ奥側の下手側から上手側まで全体にかけて、天井から細い木の根っこのようなものが沢山垂れ下がっている。ステージ全体が自然に囲まれているような感じである。
その手前側には、隠れ家というだけあってインテリアが置かれている。下手側には山鳥や陣が横になるようのベッド、中央には食卓があってそこで八雲は来客としてお茶を出されたりしてもてなされる。上手側にはキッチンのようなものが置かれている。また、それ以外には衣服や小物などが散らばっている。八雲が登場した当初は、このステージ上に森に迷う者が眠っているので、まるで小物と人々が混在して見えて、人がいることに気が付かないような仕掛けになっているように感じた。
全体的に自然と同化したような印象を受け、森に迷う人たちはホームレスのように感じられる。社会というシステムの外側に排除されてしまった感じを描いているように思える。

次に舞台照明について。
基本的には、洞窟の中という感じの日光が当たらない世界を表しているような照明なのだけれど、とあるシーンでは中央の入り口から明るい日光のような照明が差し込むかのようにステージ全体が明るくなる照明は印象に残った。
あとは、終盤はずっと雷が鳴っていて、それに合わせた照明が格好良かった。

次に舞台音響について。
まず客入れから引き込まれた。客入れ中はずっと森の中のようなフクロウが時々鳴いたり、鳥の鳴き声や虫の鳴き声がたまに聞こえる感じの音響がステージを取り巻く。まるで観客が森の中に迷い込んでしまったかのような演出が素晴らしかった。それだけで一気に世界観に入り込めた感じがした。
あとは、暗転中に流れる音楽もちょっと思い出すことは出来ないけれど、凄く世界観に合っているファンタジックでちょっと気味の悪い印象を与える感じが良かった。
清武がアーティストとなって、広場でライブの後に銃を発砲するシーンのエピソードが回想のように上演されるが、あのシーンで流れた観客の声援の音響が良かった。回想なので音だけでイマジネーションさせる所が好きだった。何も音がかからないのではイメージもつきにくいが、あそこで絶妙に歓声だけ聞こえてくる感じが回想っぽくて良かった。あとは、その音響からどこか虚しさも感じさせられて良かった。
終盤の落雷の音も好きだった。ちょっとファンタジーっぽく感じられるラストの方のシーン。八雲が山鳥を問い詰めていく感じと落雷が合っていて緊張感漂う感じが好きだった。

最後にその他演出について。
『天の敵』でもそうだったが、「イキウメ」の芝居には食べ物や飲み物が登場することが多いのだが、それらがちょっとスピリチュアルな感じを漂わせるのが好きである。例えば、八雲はお茶を飲んで紙袋から黒い物体を取り出す。山鳥の子息の人魂とされている物体、それを最後のシーンでは食べようとする。そういった得たいの知れないものを食するみたいなシチュエーションは、ちょっとスピリチュアル染みた「イキウメ」らしさが感じられて好きだった。
あとはなんといっても、役者が一人複数役を演じることで今上演されているシーンが一体誰のシーンなのだろうかと観客を良い意味で混乱させる演出が功を奏していた点。こういった演出手法は、たしか『関数ドミノ』でも『天の敵』でも登場して「イキウメ」らしい演劇的演出手法なのだけれども、その手法が今作ではテーマ的に一番ハマっていた。葵役を演じる浜田信也さんが葵と八雲の妻役を演じ、八雲を演じる安井順平さんが八雲と葵の夫を演じるあたりも、このシーンは葵たちの夫婦のシーンなのか、八雲の夫婦のシーンなのかを混同させることで、新たな解釈も生まれてきて、そしてそれがしっかりと今作のテーマとも繋がってくるのが興味深かった。こちらに関しては詳しくは考察パートで触れることにする。

写真引用元:ステージナタリー イキウメ「人魂を届けに」より(撮影:田中亜紀)。


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

安井順平さんや浜田信也さんといった「イキウメ」お馴染みの劇団員に加え、藤原季節さん、篠井英介さんが加わって非常に豪華キャストでハイレベルな芝居が観られて嬉しかった。
印象に残ったキャストについて触れていく。

まずは、八雲役を演じた安井順平さん。
安井さんの芝居はイキウメの公演で毎度拝見しているけれど、やはりちょっと訳ありな真面目な男性を演じるのが上手い。そしてモノローグがとてもよくお似合いでずっと聞いていられる。
人魂を届けにきたという刑務官であるが、設定としては法治国家に従いし役人という感じで、たしかに今回出演するキャストの中で一番ポーカーフェイスな感じというかある種魂の抜けたキャラクターという印象を感じた。自分を持っているという感じでなく、論理的でルールに従って動く感じのキャラクターに見えて、そしてそれが凄くそう見えるという感じでなくて、相対的にそう感じるなくらいの自然な役作りだから上手くいっているのだと思う。
そしてなぜか安井さんのモノローグは聞き入ってしまう。「イキウメ」の作品自体モノローグが多い特徴があるが、とりわけ安井さんのモノローグはただ聞き取りやすいというだけではなく、話し方とか抑揚が完璧で、そして台詞も良いというのもあって非常に情景が思い浮かんでそこに引き込まれていく感じがある。今作でも人魂を手にするあたりのエピソードに魅了された。

次に、陣役を演じた盛隆二さん。盛さんも「イキウメ」の作品で欠かさず演技を拝見していて、安井さんと肩を並べるくらい「イキウメ」に必須の俳優だと思っている。
盛さんは、いつも正義感みなぎる若い男性役をそつなくこなす印象があるが、今作でもそのキャラクター性を活かした配役で、今作で個人的には一番好きな役だった。
陣というのは公安警察であるが、森の中へ入るといつも倒れてしまって山鳥に助けられてばかりいる。そして、陣は必死でこの隠れ家を抜け出して街へ戻ろうとするのだけれど、一向に街に戻ることは出来なくてこの隠れ家に戻ってきてしまう。これはきっと、陣というキャラクターが社会のシステムに順応しようともがくのだが、なかなか魂がそうはさせてはくれない。陣には魂があって本当に居心地の良い場所はこの森の隠れ家だからなんじゃないかと思う。けれど、陣という男の性格上社会に染まって社会の役に立ちたいという奉仕の気持ちもあるのだろう。しかし、そこはあまりにも純粋な彼にとっては居心地が悪すぎて隠れ家へ戻ってきてしまう。そんなキャラクターなのかなと思っていて凄く好感のもてる役だった。

そして今作で一番強い印象を受けたのが、山鳥役を演じた篠井英介さん。篠井さんの演技は映画では何度か拝見しているが、舞台では初めてお目にかかる。
あの男性とも女性ともいえないような独特なオーラの存在感が良かった。ちょっと美輪明宏さん的なスピリチュアル感を抱いた。『ハウルの動く城』の荒地の魔女のような毒々しい感じが抜群にハマっていた。
八雲が山鳥の子息が罪を犯して処刑されたことに言及しても、山鳥はさして驚かず軽く受け流したり、終盤で八雲が山鳥の正体を暴こうと問い詰めた時も穏やかな感じで、その不気味さとおおらかな存在感が舞台全体を気味の悪いものにしていたように感じる。
そして最終的に、この山鳥という存在が一体悪者なのかそうでないかもはっきりしないまま終わる感じも良かった。それはまるで、社会に縛られない共同体やコミュニティそのものの存在が、善でも悪でもないことをやんわり指し示しているようにも思えた。

あとは、棗役を演じた藤原季節さんも素晴らしかった。藤原さんは映画の他に劇団た組の『ドードーが落下する』で演技を拝見している。
個人的にはもう少し藤原さんの出番を増やして欲しかったかなと思った。棗のエピソードをもう少しインパクトの強い、藤原さんらしさをもっと活かした脚本にしても良かったのかなと思う。あとは、森を迷う者でちょっと藤原さんだけ浮いて見えてしまったのも違和感だった。藤原さんは主役級の俳優のオーラを感じるので、浜田さんや森下さんや大窪さんたちと並ぶとちょっと目立ちすぎかなと思った。
藤原さんの今作での芝居は、目の力強さが印象に残った。あの睨みつけた表情からは色々な感情を読み取ることができる。あの目つきが格好良かった。そして藤原竜也さんに改めて似ているなと感じた。

写真引用元:ステージナタリー イキウメ「人魂を届けに」より(撮影:田中亜紀)。


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

過去観劇してきた「イキウメ」の『関数ドミノ』や『天の敵』に比べて、今作は圧倒的に抽象度の高い作品で難解で解釈仕切れない箇所も沢山あった。考察をしたい私にとってはそういった解釈の余地のある作品の方が好きなので有難い限りである。
ここでは、前川さんがおそらく今作で主張したかったテーマについての考察を、劇中に登場する人物やものについての個人的解釈を踏まえながら読み解いていき、その上で私個人としてこの作品から受け取ったメッセージを記載していこうと思う。

冒頭で記述した通り、今作のテーマは「法治国家の暴力性」だと思う。いや、法治国家に限った話ではないかもしれない。自分たちの生活を支配する上の存在という概念かもしれない。
私たちは、国家だけでなくありとあらゆるルールに従って生きている。生を受けたからには、そういったルールから逸脱することは出来ない。しかし、そういったルールによって自分自身が苦しめられ耐えきれなくなる時がくる人もいる。今作はそういった人々の安住の地を描いた作品であると思っている。
例えば葵は、夫に自分が書いた詩を無断で公に公表されてしまった。そしてまたたくまに人気が出てきてしまって賞を取るまでになってしまう。葵はそういった存在になることを酷く嫌った。これは物凄く共感できる。詩というのは自分らしさを出してこそ価値が発揮できるもの、公に公表してしまったら、今度は世間に受けるような詩を書かないといけなくなるし、そうするとそこには自分という存在はいなくなってしまう。だからきっと葵は自分の詩を公表したくなかったのだと思う。大切にしていた詩というものが奪われてしまったことが魂の居場所がなくなって、きっとこの森の奥深くの隠れ家に来たのだろう。
清武もそうかもしれない。彼はアーティストで多くの観客に慕われていた。それが苦痛だったのかもしれない。だからこそ自由になりたくて、銃を客席と自分に向けて撃ったのかもしれない。そうすることで縛られた魂を解放させたかったのかもしれない。
また、国家という存在は直接的に犯罪を犯した人間に罰する権利はあっても、間接的に犯罪を犯した者に罰する権利を与えていない点についても言及されていて興味深かった。山鳥も子息が大量殺人事件を起こしてしまったのも、きっと背後には国家権力による生き苦しさがあったかもしれない。しかし罰せられるのは殺害を犯した張本人だけである。
清武が銃を放ったエピソードでも、観客を殺したのは清武の銃ではなく、それによって大勢の観客が出口に殺到して生じた雪崩による圧死だったとしている。国家だってそういった間接的な殺人をしているのではないだろうかという点について婉曲的に触れている点が面白い。

この作品では、八雲は法治国家のような社会や世間のルールに従う象徴として描かれ、逆に山鳥は社会や世間のルールに縛られた人々を解放し居場所を与える象徴として描かれ、真逆である。
棗、葵、清武のエピソードには、それぞれ八雲が登場するようにして過去の回想が描かれる。まるで彼らの身近に八雲がいたかのように、そして八雲はあたかも多くの人々から魂を奪ってきた存在でもあるように。これは非常に「イキウメ」的な演出手法で非常に功を奏しているということを先述した。棗、葵、清武のエピソードを、まるで八雲の周囲の人間関係でも起きた出来事のように解釈させることで、八雲という人物自体が一般化されて彼らから魂を奪ったかのような描写にすることで、八雲を人々から自由を奪った社会や世間の象徴として描いている所に今作のエッセンスがあると感じられるからである。
さらにこの演出手法によって、今目の前で起きている出来事の時空が歪んで見えてくることも面白い所である。そしてそれは、山鳥が主人を務めるこの森の奥の隠れ家という場所が、時空に囚われない自由な空間であることを暗示していて興味深いところである。
この森の奥の隠れ家で繰り広げられていることは、今起きていることなのか昔起きたことなのかをはっきりさせない。それは、八雲がやってきたときに後から出発したはずだった陣がもう既にいたりと時系列に沿っていないことからも明らかである。また、ライブによって自殺したとされる清武もこの隠れ家に住んでいて生死の境をはっきりさせていない点も大きな特徴である。
山鳥は、そんな時空を超越した魂の拠り所を支配する存在である。だから性別も男性なのだか女性なのだか分からないような存在なのかもしれない。もしかしたら性別ってものすらないのかもしれない。

人々は日々色々な制約やルールによって縛られながら生活している。もちろん、国家の定めた憲法や法律に従って生きるということもあるだろうが、学校や会社に勤めていればそのコミュニティのルールに縛られて生きていかないといけない。それだけではなく、資本主義経済というお金のルールにも従わないといけないし、アーティストやインフルエンサーであればファンのいうことを聞かないといけないという、ある種集団が形成した圧力によって縛られることもあると思う。グループを解散したいけれどファンが悲しんでしまうとか、そういう圧力である。
劇中の序盤で、棗が1万円を手渡されるエピソードがある。あのエピソードは、おそらく今作の主張を端的に表すメッセージではないかと思われる。人間は何か対価を渡されることによって、その人の行動に制約をかけられる。この作品の冒頭のシーンの場合だと、1万円という対価によって、暴力をふるったことを黙っていなければいけないという制約である。それはまるで、1万円という額で魂が買われたかのようだと描写している。
世間もこれと全く同じようなことで成り立っている。納税することによって国民としての権利が与えられる。労働することによって給料が与えられる。私たちの生活は、社会によって縛られているのかもしれない。

しかし、この序盤のエピソードは物語全体のメッセージ性を表すと考えた時、しっくりこない箇所がある。
棗に1万円を手渡し、暴力をふるったことを黙認させるという行為は、劇中でいうと何に対応するのだろうか。八雲が山鳥に人魂を届けに来たことが1万円を手渡すことを意味するのだとしたら、八雲は山鳥に何を求めているのだろうか。社会や世間から逃れた人々の安住の地を退散させたかったのだろうか。国家の権力が及ばない領域を侵略しに来たのだろうか。ちょっと釈然としなかった。
また、八雲が足を引きずっているというのは、彼には他の人間たちと同じように永遠に自由にはなれないことを意味するメタファーだと考えていたが、それが一体どういうことを指すのかもよく分からなかった。
そして結局八雲が届けに来た人魂というのが、果たしてどういう意味を持つのかについてもやっぱり分からなかった。きっと私が劇中で捉えそびれた描写があったのかもしれないが、全てを咀嚼することは難しかったようである。

ここからは、私が今作を観劇して分からないなりに、自分ごとについて思ったことがあったので記載しておこうと思う。
葵のシーンで、詩を書いている葵は他の人に見られたくないという思いでいた。それは、他の人の意見や感想が入ってくるとそちらに左右されてしまうから。その時、ふと今書いている観劇レビューのことが頭によぎった。
自分の思ったことを誰にも見せずに自分の言葉で書くというのは凄く重要なことだということに気付かされた。今の観劇レビューは、多くの人が読むことを意識して書いている箇所が多い。だから描き続けていくうちに、次第に自分が本当に感じたものなのかという部分が分からなくなってしまっていることが多々ある。
誰にも見られなかった初期の頃の観劇レビューは、最近読み返すと自分が本当に感じたことを端的に書いていた。しかし、観劇レビューはいつの間にか多くの人々が読みやすいものに置き換えられて、ときにはこう感たけれど恥ずかしくて書けないから書かないみたいな内容も増えて、次第に自分が本当に感じたこととこうやって観劇レビューに書いていることに乖離が生じてきているなということを改めて思い知らされた。
これはまさしく、私の魂がnoteのフォロワーさんや普段読みにきてくださる方々に縛られてしまっているということなのかもしれない。もちろん、読者のみなさまは何も悪くないが、私たちはそうやって知らず知らずのうちに自分の魂が外的要因によって縛られ黒くなっていき苦しくなるのかもしれない。

おそらく、今作を観劇した方々の多くは、そうやって普段私たちが生活していることに対して自分が束縛されているとふと感じたんじゃないかと思う。私はそれがたまたま観劇レビューだったけれど、そういう要素って生きていればきっとどこかに存在すると思う。
そういうことに気がつけただけでも、なぜか気持ちが軽くなったし、全て作品の内容を理解しなくても、この作品を観劇してしっかりと持ち帰るものがあったということで、十分満足度のいく観劇体験だったのではないかと思えた。
そして前川さんもきっと、そういう気づきを観客に与えることを意図しているのかもしれない。たとえ物語を十分に理解出来なかったとしても。


↓イキウメ過去作品


↓藤原季節さん過去出演作品


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