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思考する文化 挫けない文化 受動的で騙される文化 ギリシャ哲学の三分説

現代社会よりも更なる自由と平等を達成させ、仮にそれが完全なものになったたとしても、階級というものは自由な選択から発生することになる。
それは、必要性や義務に応じてではなくて、己がどんな余暇に時間を消費するかによって決定される。
つまりは文化というものによって決められるわけだ。

ブルデューは、個々人を決定する文化は親や社会に強制され、それが身分を形成していると「ディスタンクシオン」で述べた。
だが、それらを親や社会が強制しなくなって自らが選んだとしても、どんな社会であっても自らが選択した文化によって身分が形成されることには何ら変わりは起こらない。
それこそが自由意思による本質的な選択である。

A思考する文化について

観察と思考、判断を重んじる価値観
科学技術者や政治家に絶対に必要な精神
これはハイカルチャーと呼ばれることも多い

B挫けない文化

目標をやり遂げるまで諦めない価値観
何であれ、活動することにおいて必要となる精神
実は日本はこの文化に関しては本質的に秀でている

万能の天才は特別であるなどという発言も巷ではよく聞くが、万能の秀才が居るとすれば、万能の天才とどのような差異があるのだろうか?
少なくとも、それは社会的な効力としては、現代においてはそうは大きくない。
AとBは相互に関わりを持ち、どちらが完全に上位ということはない。往々にして、A文化はB文化を内包している。B文化単体で存在する場合は、それはC文化に堕落することも有る。

C受動的で騙される文化

単なる快楽的な妄想だけを求める文化
思考しないこと、足掻かないこと、を求める酩酊
「もののあはれ」と「あらみたま」を否定するヘロイン中毒のゾンビ
本質的に文化と呼べるものではなく、サブカルチャーと呼ぶべきもの
その実において、C文化は社会から消滅しても何ら問題はない。

筆者は文化大革命の問題を、C文化だけではなくてA文化とB文化を殺してしまったことであると考えている。
脳外科の手術においては、切除する部分を最低限にしておく必要がある。
最近では、バイオ薬品もあるので、外科的な浸入を徹底的に小さくすることも出来るかも知れない。

社会の現状

言うまでもなく現代のマスメディアが蔓延されているのはCである。
学校にしてもマスゴミにしても、人間を受動的にさせることを強制する装置なので、現代権威主義社会ではCが増えることには必然性がある。
これはコロナウィルスなどよりも遥かに恐ろしいものだ。

社会にはCばかりが広告されているが、A、B、Cの全てが存在していて、我々はそれを自由意思によって選択することが出来る。
とはいえ、子供達に与える教育がCであることが由々しき問題で、Cを強制していると言っても過言ではない。
オタクアニメやらVtuberで育った子供とは、カップ麺とサプリメントだけの食事で育った化学調味料中毒者以外の何物でもなく、これが資本主義的な自由の帰結というものだ。

日本が馬鹿になったのは、単純に文化教育が徹底的なまでに劣化したが故にであって、アメリカの資本主義カルト集団に日本の文化が制圧されているが故にである。
子供の劣化は大人の劣化から始まっているというわけだ。

教育においては、分かりやすさが存在するB文化から最初に導入するというのは、かなり有効なことであるかも知れないが、その際にはA文化の欠片を混ぜておくことが必要だろう。

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