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「困窮大学を助けることを議論しない」、「募集定員の一斉削減はありえない」…特別部会は私大に手を差し伸べない?しかし、中間まとめには「規模適正化」の文言も

高大接続ラウンドアップマガジン📚
本シリーズでは、主幹研究員の奥村直生が文部科学省中央教育審議会の大学分科会で現在審議進行中の「高等教育の在り方に関する特別部会」を追いかけます。
この特別部会で挙がる数々のテーマや議論の方向性は、日本の高等教育の未来に多大な影響を及ぼすものであり、大学をとりまく全ての関係者にぜひ注目していただきたいのです。
特別部会の核心に迫っていきたいと思いますので、皆さまどうぞシリーズの最後までお付き合いください。

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▶一段と悪化する私立大学の充足率

8 月に入り、各私立大学のHPでは、本年 5 月 1 日時点での入学定員や収容定員の充足率等が徐々に公表されはじめています。
それらを開くと、募集状況は多くの大学で一段と苦境に追い込まれていることが判明しつつあります。

想定通りではありますが、とくに、地方私立大や小規模大学の惨状は目を覆うばかりです・・・
(私立大学の充足率状況については 10 月以降、レポートいたします)


▶大学を助けるか、助けないかの議論ではない

さて、前回、特別部会において、「カンフル剤」を打つ、打たない云々についてのやり取りをご紹介しましたが、ほかにも見逃せない重要な発言があるのです。

「大学を助けるか助けないかという議論ではない」

というものです。

【大森副部会長】 (前略)このままいくと、全体の規模を考えないと、どこかに集中がどんどん進んでいくことで、すぽんと大学がなくなるという現象が、みんなが残るはもう無理で、すぽん、すぽんとなくなっていっているのが。今、実際、なくなっていっていますよね。そこを、いい教育を、何かそこなのですよ。(中略)母数に合わせて全体規模を調整するという考えをしないで、すぽんとなくなるのを助けることができるのかという。

【永田部会長】  助けるというのがまずおかしいと思います。学生を助けるためなら助けますが、大学を助けるか助けないかという議論ではないと申し上げています。学生が、日本中どこにいてもきちんと行きたい、ある程度の大学に行ける状況を我々はつくれるのかという議論なので、ある大学がなくなるとか、なくならないかというのは、結果なので我々としてつくった施策は、学生たちに極めて不便を強いるようなものではいけないだろうということです。(後略)

令和6年4月26日 高等教育の在り方に関する特別部会(第5回) 議事録より 引用①


▶あくまで、2040年の未来像を描くため

永田部会長が発したこのご発言の趣旨は、特別部会では特定の大学、たとえば、経営的に厳しくなった大学を助けたり、救ったりするために議論しているのではない、ということをおっしゃりたかった、と思われます。来年とか再来年といった目先の話ではなく、18 歳人口が現在より 25 %ほど減少するとされる約 15 年先、つまり 2040 年の時点での高等教育や大学の在り方を描くために行っている、ということです。

裏を返せば、
今後、入学者が減り経営的に行き詰った大学が消滅しても、
この会議ではどうしようもない
というふうにも言い換えられるでしょう。

われわれは大所高所から議論をしているのであって、個別の大学云々の些末な話しには与しない、という趣旨は、パブリックな会議という性格上、わからないでもありませんが・・・
そうであるならば、なぜ、この部会が設けられたのか。


▶“救済”のワードは、存在しない

ひょっとすると、私学関係者や卒業生、学生の皆さんの中には、私大の危機が顕在化してからはじまったこの特別部会に、危機的状況を何とかしてくれるのではないかと、一縷の望みを抱いていた方もいらっしゃるのかもしれません。
しかし、この会議のめざすところには、誠に残酷ではありますが、“救済”というワードは存在しない、ということが明らかになったのです。

では、こうした方向性は永田部会長個人のお考えなのか。
会議を視聴していると、こうした考えは、永田氏個人の意見というよりも、ほかの複数の委員の方々も、暗黙の了解事項として共有されているのではないかと感じられるのです。もちろん、出席している文科省の幹部や担当者も同じ認識なのでしょう。
ですから、なおさら愕然とならざるを得ないのです。


▶感覚的には、たしかに、大学は多すぎる・・・しかし

世間では、すでに18歳人口が大きく減少してきているにもかかわらず、いまだに新しい大学の設置が認可され続けているという状況に鑑みれば、明らかに大学が多すぎる、と感じる方も多いことでしょう。
ですから、乱暴な言い方をすれば、多少大学は無くなってもよいのではないか、と思ってしまうのは致し方ないことかもしれません。

現在、学生募集で苦境に立たされている地方の私立大学や小規模大学などは、上の理論で考えれば、それらの大学は消えてもやむなし、ということになってしまうわけです。
しかし、果たして、それでいいのでしょうか。

そもそも、地方に大学がなくなってしまうとマズイ、という発想から、この特別部会が開かれたのではなかったのか・・・

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▶「一斉に減らすという考え方は、ないのか」

さらに、募集定員のあり方についても、気になるやり取りがありました。
少し長くなりますが、見てみましょう。

【大森副部会長】 (前略)えいやと言ってしまいますが、じゃ、10%減らしましょうみたいなことがあり得るのかということです。つまり、県レベルで、高校とかは私学と公立と相談しながら少しずつ定員を調整していますよね。高校というのは、そうではない生徒もいますけれども、大体県内のところに行くので、ベースが見えている。ところが、大学は、例えば我々群馬県が少し規模を考えましょうと、プラットフォームで議論して少しずつ減らしたら、お隣にみんな行って、あれっ、お隣はよかったよねみたいな話になりかねないという話の中で言うと、全国で統一して考えていかなきゃいけない話に結局はなるのだとしたときに、そういうことをする。(後略)

【永田部会長】  そうなってはいけないから申し上げています。

【大森副部会長】 いや、だけど、そうすると、全体でそこをやらないと、結局、どこかに集中すればなくなるところが出ますよね。

【永田部会長】  そうなる可能性もあると思います。経営体側からは減らしたくないという意見は当然だと思います。私が申し上げているのは、行きたい大学がないのは困ります。その大学は残さなければいけないと申し上げているのです。定員を 10 %一律減らせばいいという問題ではないだろうし、どこかの大学がなくなるという問題でないのをどのように解釈するかという問題なのです。その地域で、大学がなくなったら、もう地元の大学に行ける子がいなくなってしまいますから駄目だと申し上げています。一律に 10 %減らすというような考え方というのは、ある意味では、全くよくない施策だと思うのです。ですから難しいのは、選ばれる大学にならなければいけませんと先ほど私は申し上げましたが、学生が行きたくない大学を残してもしようがないということだと思うのです。

(中略)

【大森副部会長】  だから、選んでもらう大学になるために、教育を充実させる。あるいは研究というところもあるかもしれない。教育研究を充実させてというところに、もちろん集まってもらう。でも、現場感覚としては、それでも追いつかなくなってきているという。

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このあと、上で取り上げた引用①に続く

令和6年4月26日 高等教育の在り方に関する特別部会(第5回) 議事録より 引用②



▶学生が行きたくない大学は、残せない

大森副部会長は、地方の私立大学を運営するお立場の代表として、大学全体としての募集定員の削減という考え方はないのかと、かなり頑張られて、執拗に確認をされている様子がこのやりとりで浮かび上がってきます。
 
それに対し、永田部会長は、「学生が行きたくない大学を残してもしょうがない」と発言されているように、退場してもらうべき大学には退場してもらう、という大原則は曲げられない、というご見解です。
つまり、“淘汰、やむなし”、とのお考えなのです。
その真意は、一律に定員削減をしてしまうと不適格な大学までも延命させることにつながってしまうので、それだけは避けたい、ということのようですが。


▶“不適格”な大学とは

そもそも、大学というのは、端的に申し上げれば、創立者からの申し出・申請に基づき、文科省の設置認可により誕生し、その後も毎年のようにさまざまな審査や評価を受け、いわゆる大学としての適格性や質の保証が継続的になされている学校なのです。

とくに、最近は、以前触れましたように「グランドデザイン答申」などもあり、内部質保証など、一段と厳しい条件やハードルも加わり、各大学ではさらに良質な教育を施す努力が日々なされているのです。

それでは、ここの議論で出てきた“不適格”とはどういう大学を指すのでしょうか。

今申し上げた審査や評価における不適格を意味するのでしょうか・・・
それは、明らかに違いますね。

ここでの不適格とは、敢えて申し上げるまでもありませんが、入学を希望する受験生が受けに来ない、つまり定員割れを起こしてしまった状態を指すのでしょう。
永田部会長がおっしゃる“選ばれる大学”でなくなった大学とは、誰も受けに来なくなった“不人気大学”ということです。


▶実績・歴史にかかわらず、定員割れ=不適格に

18 歳人口の減少により、そもそも、その地域に受験生自体がいなくなり、定員割れを起こす・・・
上の論理でいけば、こういったケースも“不適格”との烙印が押される可能性があるということです。

それぞれの地域で、長年地道に良い教育・研究をしてきて、立派な卒業生を輩出してきた大学であっても、人口減少には抗えず定員割れを起こしてしまう・・・
そうすると、実績や歴史にかかわらず、不適格になってしまう可能性が十分にあるのです。

というよりも、すでにそういう状態に陥り始めている大学が少なからず存在する、という事実は繰り返すまでもありません。
大森副部会長が、会議でおっしゃりたかったことには、おそらくこういう趣旨が含まれていたはずです。


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▶中間まとめに「規模の適正化」が登場

ところが、大学の定員に関して、新たな動きが出てきました。

8 月 8 日、特別部会は、「急速な少子化が進行する中での将来社会を見据えた高等教育の在り方について(中間まとめ)」と題されたレポートを公表しました。

そこには、再編・統合の推進、縮小・撤退への支援について、「質」「規模」「アクセス」等の観点から、今後の方向性&具体策のポイントが示されていますが、今回、「規模の適正化」という文言が登場したのです( 43 頁以降)。

規模の適正化とは。

まだ具体的内容は明らかになっていませんが、端的に申し上げれば、大学の定員の見直し、もっと申し上げれば 18 歳人口の減少を踏まえた定員の抑制や削減となるでしょう。

全体の定員規模のコントロールという点では、医学や薬学などの医療系学部は、毎年のように盛んに議論し、決まった方針は厳格に運用されています。
しかし、大学全体、つまり国レベルでの定員をどうするのか、という議論はおそらくなされてこなかった・・・
明確に文言として、登場するのははじめてのことではないでしょうか。


▶規模の適正化、これまでの方針と矛盾しないか

しかし、先ほどご紹介したように、特別部会でのやり取りから、規模の適正化という文言が盛り込まれたのは意外な感じもします。どうして持ち込まれたのか、その経緯は定かではありませんが、特別部会のもともとの方針とは矛盾しないのか、疑問が湧きますね。

一律に 10 %削減はよろしくない、とされていた方針と、全体として定員を抑制・削減する、という方向性は 180 度異なるように感じられるのですが。


次回は、中間まとめで出てきた、この「規模の適正化」について、
さらに考えてまいりたいと思います。




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