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大学のリベラルアーツ教育は世界の難局を乗り越える切り札になるのか
“自由人”であるための学問
21世紀に入り23年目——地球上では様々な問題や試練が渦巻いています。
こうした世界の現状に対し、大学は、何らかの解決への道筋を示しうるのか。
まさに高等教育機関として、その存在意義や真価が問われている、と言っても過言ではないでしょう。
そうしたなか、現在、中世以来、伝統的な大学教育として受け継がれてきた「リベラルアーツ」に、改めて脚光が当たりはじめています。
リベラルアーツ——その淵源は古代ギリシャにまでさかのぼるとされ、
古代ローマで概念化されたアルテス・リベラレスには、
人間が奴隷でない存在、つまり、“自由人”であるための学問という意味が託されていました。
大学は、世界を覆う難局から人類・地球を解放し、社会からの期待や負託に応えることができるのか。
リベラルアーツは、そのための切り札となるのか。
このシリーズでは、期待を集めるリベラルアーツ教育の現状を探索してみたいと思います。
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ハーバード大・新黒人学長に漲る決意
米国ハーバード大学は、このほど、次期学長にクローディン・ゲイ(Claudine Gay)教授を指名しました。同大学が学長に黒人を起用するのは初めてで、女性では2人目となります。
ゲイ氏は、HPにおけるメッセージのなかで、
“There is an urgency for Harvard to be engaged with the world and to bring bold, brave, pioneering thinking to our greatest challenges.”
Claudine Gay
(ハーバード大は世界に関わり、そして最も大きな数ある困難に対し大胆かつ勇敢な先駆的考え方ももたらすことが急務である)
と述べ、今後同大の果たすべき使命と決意を表明しています。
まさに、世界を先導しようとするハーバード大学、ここにありという感じですね。
数ある困難に大胆かつ勇敢なパイオニアとしての考え方を示す——
この言葉には、米国最古であり、かつ米国におけるリベラルアーツ発祥の大学としての矜持が強く感じられます。
米国ではリーダーシップ教育と不可分
リベラルアーツは、日本国内では「教養」や「一般教養」と訳されることが多いようです。
いわゆる“教養のある人”というと、いろいろな知識を持っている人とか、物知りというようなニュアンスになりますが、ハーバード大学を含めた欧米でのリベラルアーツが持つニュアンスはかなり趣が異なるようです。
実は、米国におけるリベラルアーツは初期の段階よりリーダーシップ教育と密接につながっているのです。
○牧師養成からリーダー養成へ
…しかし、本国を離れ、新大陸を開拓していく入植者たちにとって、神学といった精神世界よりもひっ迫した課題がありました。これからの村、町、国をどのように作っていくのか、そして、それを牽引するリーダーをどのように育成するのか、という新大陸ならではの課題です。
このような背景もあり、アメリカの教育が徐々に「リーダー育成」という観点に切り替わっていったのです。
そして、この時、Dunsterのリベラルアーツコースが「リーダー育成」という新しい命題と遭遇することになります。結果、リベラルアーツという名の下で「リーダー育成」を課題とした教育が進められることになったのです。
ハーバード大学のHPのミッションを見ると、その冒頭に次のメッセージが挙げられています。
The mission of Harvard College is to educate the citizens and citizen-leaders for our society. We do this through our commitment to the transformative power of a liberal arts and sciences education.
(ハーバード・カレッジのミッションは我々の社会のために市民、市民のリーダーを教育することである。我々はこれを、リベラルアーツと諸学問教育の変革力に対する我々のコミットメントを通じて実行するのである)
前身はハーバード・カレッジと呼ばれていたハーバード大学は、当初からこのような高邁なミッションを掲げ、リベラルアーツを中心とした教育こそが社会を変革するという信念を貫いてきたことがわかります。
まさにハーバード大の精神は、
“The Transformative Power of a Liberal Arts and Sciences Education”
にある、と言っても過言ではないでしょう。
日本では「パンキョウ」と貶され
ところで、日本の大学では、リベラルアーツ教育はどのようにおこなわれてきたのでしょうか。
戦後、全国の大学で、人文科学、社会科学、自然科学を満遍なく学ぶという「一般教養」教育が取り入れられ、1~2年次に中心に行われてきました。
ところが、高校の延長のような内容の授業が多かったこともあり、当時の大学生たちからは「パンキョウ」と散々と叩かれたのでした。
そして、1991年の「大学設置基準の大綱化」が施行されると、急速に下火になり、一般教養は廃れていったのです。
それから30年余り。
最近になって国内では、リベラルアーツ的な教育の重要性がしきりに言われるようになってきています。
文科省の検討会議でも、そうした文言を容易に見つけることができます。
○大学卒業者に期待される資質・能力・知識として、特に期待する資質は「主体性」、特に期待する能力は「課題設定・解決能力」、特に期待する知識は「文系・理系の枠を超えた知識・教養」と回答した企業が最多であり、探究的な学びや文理横断型のリベラルアーツ教育が求められている。
資料5、37頁より
こうしたリベラルアーツ回帰の動きの背景にはどのような事情があるのか。
単に復活するのではなく、今の時代に求められるリベラルアーツや
教養教育を追い求める事例を、次回以降見てまいりましょう。
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