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そもそも「読む」ってなんだろう?【代ゼミと考える読解力#1】

新マガジン始動!
その名も【代ゼミと考える読解力】

教育業界でも一般社会でも低下が懸念されている「読解力」。その力の正体や伸ばし方を突き詰めて考えたことはありますか?

本マガジンでは、「読解力」について代ゼミ教育総研の研究員や職員がリレー形式で語ります。一緒に色々な視点から考えていきましょう。

まずは、トップバッターのHさん。

長年にわたり読解力の部門を担当しており、代ゼミきっての読書家でもあるHさんに、「そもそも『読む』って何でしょう?」と難しい質問を投げかけてみました。答えはいかに・・・?

(前置きしておくと、さすがHさん、語彙力が豊富で耳慣れない言葉もいくつかあったので、辞書リンクを貼ってあります😊)



◆ はじめまして。この広場では新参者の筆者です。

この度、昨今何かと話題の「読解力」を俎上に載せてみようということでお声がかかりデビューとなりました(一発屋かもしれません)。よろしくお願いします。

とはいえ、私は読解力の権威でも研究者でもないので、ここで大上段に構えて「読解力とはぁ!」と一刀両断にしたり、アカデミックな定義づけを試みたりするつもりはありません。

今回は「読む」ということについて、とりとめない想いを綴っていこうかと思います。このテーマの導入部に寄せるエッセイとして、肩の力を抜いて、珈琲を満たしたマグカップ片手にチョコレートでもつまみながら(緑茶とようかんでも結構です)お読みいただけたら幸いです。


◆ さて、「読む」とはどういうことか? 考えてみたこと、あります?

あまり意識したことはありませんでしたが、「読む」とは他者を理解することであり、そしてもうひとつ、(予め断っておきます。駄洒落ではありません)時代を次代に継ぐことではないかと思い至りました。

日常には様々な「読む」場面がありますよね。本をはじめ、新聞、手紙、説明書、ネット記事、メール、SNS……。どれも書いた人の意思や心情、伝えたい事実などが綴られていて、私たちはそこから何かを読み取っています。


まずは文学・文芸を見てみましょう。

平安絵巻として知られる「源氏物語」は千年以上前に書かれた文学作品です。……千年。地球が太陽の周りを千回以上回っているんですよ。気が遠くなります。

そんな昔むかし、平安貴族は豪華な衣装を身にまとい、和歌を嗜み、草食男子とは何ぞやという恋愛模様を繰り広げていました。紫式部はリアルタイムの読者を念頭に物語を紡いでいたと思われますが、後世に生きる私たちが彼ら彼女らの生き様を窺い知ることができるのはなぜか。

文献を「読む」という行為があって、その当時の生活や風俗流行、思想に触れることができるからです。平安時代の人々はこんなことを考えていたのかと理解し、現代ではまずありえないような疑似体験をも可能にしてくれます。

そして読み継ぐことが、想像の翼を拡げ、新たな地平(時代)へと、新たな担い手による創造へと導く鍵ではないでしょうか。

「源氏物語」が読み継がれなければその後の文学作品は生まれなかったかもしれないし、夏目漱石や芥川龍之介の傑作も世に現れなかったかもしれませんね。

◆ 古典は難しいよ、そもそも読む気がしないという人もいるでしょう。

現代エンタメだっていいんです。

本を買っても、積読(つんどく)だけでは作者の頭の中を覗くことはできません。

読んではじめて、その作家がどのような興味をひくプロローグを用意していたのか、後に思わず膝を叩きたくなる伏線を仕掛けていたのか、見ていた景色をいっぺんに覆す意外な真相とは、勇者の鋼のような強さ、ヒロインのけなげさ、なぜか悪運が味方する悪党の理不尽さ、左遷をも恐れず巨大組織に挑む勇敢さ、何度追い込まれても立ち上がろうとする町工場のしぶとさ、人知を超越したもののけの怖さ、すべてのピースがきれいにはまった時の爽快さ等々、その作家の世界観を堪能することができるのです。

お気に入りの作家がいれば、作品そのものはもちろん、シリーズ構成の妙味を楽しむこともできますよね。

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私の読書傾向は偏りがあって、主に逍遥するフィールドは推理小説です。

冒頭に提示される神秘的な謎、次のページを早くめくりたくなる展開、崩しても崩しても立ちはだかる壁、ちりばめられたヒントを拾い集めていく興奮、すべてが解き明かされるまでにどれだけ真相に肉薄できるかの勝負感。

推理小説を「読む」のは、作者が構築した世界観を理解し、挑戦状に応える楽しさがあります。明智小五郎が、金田一耕助が、十津川警部が、御手洗潔が、加賀恭一郎が、そして掟上今日子が(名探偵と謳われるキャラクターには、姓か名のどちらかが3文字の人物が多いのはなぜでしょうか)、鮮やかな推理で事件を解決に導く過程を満喫できるのも、作者の意図を理解してこそだと思います。「読む」行為があってこその醍醐味です。


◆ あなたは楽曲の歌詞に癒されたり励まされたりした経験がありますか?

好きなアーティスト(昨今は“推し”というべきなのでしょうかね)の曲の歌詞は全部覚えているという猛者もいるかもしれません。歌詞はメロディーに乗せた時により聴く者の心に響いてくるでしょう。

私が10代を駆け抜けた1980年代に街を歩けば耳に入ってきたヒット曲や、血気盛んな若手であった90年代を盛り上げたドラマ主題歌の歌詞は、そっくり脳裡に再現できるものがいっぱいあります。100曲程度では済まないかもしれませんよ。

一方、まごうかたなきオジサンである私は、令和の音楽事情には全くといっていいほど明るくありません。ヒゲダン、マカロニえんぴつ、JO1……。名前は知っていても、悲しいかなリリースしている曲と結びつきません。

ただ、ちょっと気になったのが視聴の仕方です。タイパが悪いということで、サビ部分だけを拾い上げて聴く人が多いとか。お店の棚に並んだサプリを選ぶように、疲れた心にそっと寄り添ってくれる歌詞や、何かに挑戦する際に勇を鼓してくれる歌詞を数多ある楽曲の中からチョイスしているように見えてしまうオジサンの私です。

曲そのものについてもイントロが極端に短くなっているそうですね。一曲の歌詞の中にもストーリーがあると思うんです。しずしずと流れるイントロからドラマが始まり、サビで一気に盛り上げ、水面に広がる波紋のように余韻を残して終わる――。
切り取られたスナップでは伝えきれない作詞家の想いが込められているのではないでしょうか。そして、その世界観に感銘を受けた人が今度は創作者となって、次の世代に新たな楽曲(歌詞による世界観)を提示するようになるのではないかと思うのです。

30年以上たった現在も、ストーリーの生み出す世界観が細部にわたるフレーズを忘れさせず、弱気になりそうな時、明日への活力を与えてくれることもしばしばあります。全編を通して歌詞を「読む」ことで、その情緒を味わってみてはいかがでしょうか。


牽強付会と揶揄されるのを恐れずに言うならば、絵画にも「読む」という行為が当てはまるのではないでしょうか。

革新的な描写を生み出したマネも、伝統的なオールドマイスターの作品を「読む」ことで現代的(当時)な解釈を自身の作品に与えました。そして後に続く印象派の画家たちは、そのマネの作品を模倣したり、再解釈したりといった「読む」行為をもって多大な影響を受けています。

また、幕末から明治にかけて日本の浮世絵が海外に流出しました。ゴッホは「タンギー爺さん」の背景に浮世絵を描いたり、歌川広重の作品を模写したりしています。浮世絵を「読む」ゴッホの姿が目に浮かぶようです。

先達の作品に触れ、新しい感覚が芽生えたり、気づきがあったり、刺激を受けた心の深奥をじっくり見つめたり、天啓に打たれるように閃きがあったり、それらによって固定観念の殻を打ち破って己の中に新たな地平を切り拓いていく。画家の中に生じるこうした変化は、作品を「読む」ことによって起こるものだと思います。そして、こうした影響は次の世代へと連綿と受け継がれ、フィールドを拡大していくのだと思います。


◆ 入学試験の問題はどうでしょうか。

中学、高校、大学、いずれの場合もそうですが、入試問題はその学校からのメッセージだといわれています。どのような生徒・学生に来てもらいたいか、そんな出題者の意図が根底に横たわっているようです。

これくらいの小問は全問正解する基礎学力を備えておいてもらいたいな、計算する前にこの条件を見落とさない注意深さがあってほしいな、検算することで矛盾に気づく慎重さがあってほしいな、人と違った視点でアプローチできるユニークさを持っていてもらいたいな、身近な問題から社会的な課題に敷衍できる広い視野を持っていてほしいな。このような想いが込められているのかもしれませんね。

大学入試に限っていえば、一般選抜の問題よりも、入試全体に占める割合を増やしている総合型選抜や学校推薦型選抜で課される小論文などにその色彩は濃く表れているように感じます。入試問題の行間に潜む出題者からのメッセージを「読む」ことが、合格へのカギかもしれません。

ただ機械的に設問に答えるのではなく、志望する学校がどのような生徒・学生を求めているのか、受験生にはしっかりとそのメッセージを読み取ってもらい、入試を突破してほしいですね。


◆ 社会人の方なら、業務上のマニュアルを「読む」機会も多いのではないでしょうか。

仕事の進め方、書類の書き方、クレーム対応、ツールの操作方法など、様々なマニュアルがあるでしょう。手順を確認するのが本来の使用目的ですから、順番に字面を追っていけばいいと無機的に考えがちですが、ここにも作成者の想いを見出すことができるように思います。

項目のまとめ方、簡潔な説明、反対に微に入り細を穿つ説明、役立つ具体例、視覚に訴える図や写真、便利なFAQ。初心者や分からない人に向けて書かれるものですから、作成者は分かりやすさを旨とした工夫を随所に施しているはずです。

以前自分はこんな失敗をしたから、二の舞を演じさせないようここは赤文字で(注)を入れておこう。どうしても抽象的な表現になってしまうのでCASE1~3まで具体例を掲げておこう。操作ボタンを間違えやすいので写真を載せておこう。

よくできたマニュアルほど使う側は意識することはないかもしれませんが、作成者の意図をくみ取りながら「読む」ことで、より使いやすいマニュアルになるのではないでしょうか。また、そういう想いがバトンとなって代々受け継がれているならば、あなたがそのマニュアルを更新作成する立場になった時、さらに重宝されるものを作れるのだと思います。


◆ 「読む」とは・・・

「読む」とは能動的な行為です(楽曲の歌詞の点については異論もあるかと思いますが)。そんな面倒なことしなくても、文芸にしろマニュアルにしろ現代では動画があるよという向きもあるでしょう。確かに仰る通り。殊にマニュアルなどは、動画の方が視覚に訴え、受動的に一定の時間で見ることができます。

しかし、昭和の影を引きずった令和のオジサンは杞憂と知りながら考えてしまうのです。停電していたら見られないじゃない。えっ、ビデオテープじゃないって? システム障害が起きたらダメじゃん。スマホに入っているって? バッテリーが切れそうだったらどうするの――。書かれたものであれば、その点は問題なし。

おそらく世界で最も有名な石板、ロゼッタストーンだって、石に刻まれた過去からの声を「読む」ことで、ヒエログリフやデモティックが読み解かれ、失われかけた知見を後世に伝えたんですよ。古代エジプトの文学や文化を理解する手掛かりとなったのです。

動画だって、実は「読む」ことと無関係ではないと思います。例えば、ドラマを観ますよね。作中の設定や仕掛けに、演出家や脚本家の意図を垣間見ることありませんか。時には演者のその役にかける並々ならぬ情熱などが胸に伝わってくること、ありますよね。

文章が行間を「読む」ことならば、ドラマは間を「読む」ことでしょう。沈黙や表情の変化、セリフに生じる一瞬の隙に込められた深い意味に気づくと、より一層ドラマを楽しめるはずです。タイパを気にして1.5倍速にせず、間に隠された情念やそこはかとなく漂う情緒を味わいましょう


◆ 最後に、速読と精読について一家言。

慌ただしい日常では速読が求められる場面も多いでしょう。字面をサッと一瞥してキーワードらしきものをピックアップし、「つまり」などのまとめを示す言葉を見つけて全体を再構築すれば、さあ、これで理解できたなんて思っていません? いやいや、チャットやSNSでフツーに単語でのやり取りをしているけど、充分コミュニケーションが成立しているよ、という声が聞こえてきそうです。しかし、それは共通の経験や価値観があって、流し読みできる短い言葉でも分かり合える仲間内だからではないでしょうか。

世間に溢れる多様で複雑な文章には、言わずもがな、言わなくても分かるでしょという含みで省略がしばしば見受けられます。書き手の狙いまで把握できれば本物の速読力ですが、上述のような読み方では、実は充分な理解ができていないかもしれません。本物の速読を可能にするのは、精読による「読む」基盤ができていてこそではないでしょうか

要点がゴシック体でまとめられた自己啓発書やビジネス書の類はそんな速読も有効でしょう。一方、小説はそうはいきません。文章の森をさまよい、文字には表されないものを読み解き、登場人物の心の揺れを追体験することに深い味わいがあります。

有名な話ですが、関西の某中学・高校のある国語の先生は、中学3年間をかけて一冊の小説だけを読み込む授業をしていました。主人公の気持ちにどこまで近づけるかを追求する徹底した精読だったに違いありません。速読は1日にしてならず、精読の上にも3年ですね。

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◆ 読解力を絡めてひと言。

「読む」とは広義の他者を理解することであり、時代とともにそのフィールドのバトンを継承していくことではないかという私的な観点からつれづれに書き綴ってきました。

そもそものテーマは「読解力」でしたね。では、読解力を絡めてひと言。コミュニケーションの成立に読解力が必要なら、「読む」行為の逆もしかり。「書く」という行為にも読解力は欠かせないと思います。つまり、他者に理解してもらう、ということです。人に何かを伝える=他者が理解できるだろうかと想像しながら「書く」。書く側にも読解力が備わっていることで、想いを他者に伝えることができるのだと思います。さらに濾過して言うと、生きていくうえで必要なスキルを育む土壌となるもの。それが読解力ではないでしょうか。

ああ、冒頭で定義はしないと宣言しておきながら……。抒情的であってアカデミックではないからどうかご容赦ください(やはり一発屋かな)。

この後登場する筆者諸氏に、様々な視座から焦点を絞って読解力について論じていただけると思いますので、そろそろ私も次の走者にバトンを渡すことにします。

拙文におつきあいいただきありがとうございました。


いかがでしたか?

様々な「読む」について、編集チームも思いを巡らせました。
あなたにとっての「読む」を捉え直すきっかけになればとても嬉しいです。

さて、次回は少々刺激的(?)な内容かもしれません。

7月8日(月)の更新をお楽しみに😊



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