過去を振り返れば、ソフト開発者が魔女狩りの被害に遭う悲劇も。そして現在、発達したAIは歓迎すべき存在か、恐るべき存在か――識者たちがどうとらえているのかを探る
教育とAIの話に移る前に、ここで一度、AIや生成AIが現在、世界でどのように見られているのか、考えられているのかを識者の方々の見解を中心に探ってみたいと思います。
まずは、ちょっと過去を遡り・・・
技術の進歩が“悪魔”だったころ
途轍もない技術の進歩は、しばしば悪魔の襲来のように恐れられることがあります。
国内でも、あるコンピュータ・ソフトの誕生が、厄介なものとして見なされ、社会全体を巻き込む騒動となりました。
そのソフトの名前は“Winny”。
当時としては、革新的なソフトを創り出してしまった一人の天才開発者は、やがて濡れ衣を着せられ、不当逮捕、そして起訴されてしまう・・・
この悲話は2022年に映画化されましたので、ご覧になられた方もいらっしゃることでしょう。
この開発者は、ある意味、人々やメディアのIT技術やAIに対する無知、理解不足が引き起こした騒動に巻き込まれてしまったと言ってよいでしょう。
その後、非難の矛先が自分の方に向かってきて、魔女狩りのごとくつるし上げられ、犠牲者となってしまったのです。
それから20年余り経過した現在、Winnyが登場した当時とでは、人々のITやAIに対する姿勢や態度もだいぶ変化したのかもしれません。
新しく技術が誕生したからといって闇雲に拒絶したり、短絡的にその開発者を排斥したりするというような極端な行動をとるケースはあまり目にしなくなりました。
これはこれで、世の中が少し進歩した証といってよいでしょうか。
人々は過去の悲劇から学び、理不尽な態度・行動を慎むようになってきたとすれば、慶賀すべきことかもしれません。
AIが人間に追いつき、追い越す日
しかしここへきて、新たに、巨大な恐怖の足音が聞こえてくるのです。
そのひとつがシンギュラリティ(技術的特異点)。
AIの能力が人間の能力に追いつき、追い越す日のこと。
シンギュラリティが到達すれば、AIが人間から多くの仕事を奪ってしまうかもしれない、とも言われています。
シンギュラリティはいつやってくるのか。いや、もう到達してしまっているのか――。
こうしてみると、AIの知能が人間の知能を凌駕してしまうというシンギュラリティの到来は、喜ばしいことというよりも、どうやら不安と恐怖をもって語られることが多いようですね。
前回、京都大学での柳瀬先生の取り組みを紹介しましたが、すでに生成AIが学生に対して満足の出来る回答やサジェスチョンを与え、英語力増強に大いに役立っている、とすれば・・・
もしかすると、部分的ではありますが、シンギュラリティはすでに到来しているのかもしれません。
ちなみに柳瀬先生は、英作文や英会話では経験が重視されるので、生成AIは「バッティング・マシーン」のようにつかうべき、とも唱えていらっしゃいました。
そういえば、日本人初のメジャーリーグでホームラン王になった大谷翔平選手も、かつては、地元のバッティングセンターに通っていたとか。
バッティング・マシーン、侮るなかれ!
人間の知性はAIに宿るのか
さらに、最近、あちこちでまことしやかにささやかれている、もっと恐ろしい話もあります。
それは、“AIに知性が宿る日がくるかもしれない”、という話。
これについては、情報学の大御所、東京大学名誉教授・西垣 通氏が、
機械に知性は「宿るはずがない」と明確に否定されています。
西垣先生がそのようにおっしゃってくださいますので、われわれ人間は少しホッとする気もします。
真ん中が「空洞」
知性が宿らないだけならいいですが、もっと鋭い意見もあります。
桜美林大学リベラルアーツ学群教授の平 和博氏は著書のなかで、ChatGPTには“知性の欠落”があり “悪の凡庸さ”を引き起こす、と指摘したマサチューセッツ工科大(MIT)名誉教授で著名な言語学者であるノーム・チョムスキー氏の言説に注目しています。
“悪の凡庸さ(陳腐さ、banality of the evil)”という言葉は、政治哲学者・ハンナ・アーレント氏が、ユダヤ人大虐殺に関与したアドルフ・アイヒマンの裁判傍聴記録をまとめた著書のタイトルにも使われた言葉ですね(『エルサレムのアイヒマンー悪の陳腐さについての報告』)。
そのうえで、平氏は、次のように警鐘を鳴らしています。
空洞、凡庸な悪——とても意味深で、怖いですね。
世界中で沸き起こるAIの脅威に対する議論
知性が宿るはずがなく、中身が空洞であるはずのAI。
でも、何かの拍子に間違いが起きたりしないのか。
犯罪やテロに悪用されることはないのか。
この意味で、何をしでかすかわからないものとしてのAIを警戒する声は、世界各地で高まっています。
現在、日本をはじめEUや英国、米国など世界各国が競い合うように、AIがもたらすこうしたリスクに対応すべく、新たなルールや基準づくりを大急ぎでおこなっています。
ChatGPTを生み出した米オープンAI社でも社内に、AIの壊滅的なリスクを分析して人類を保護するためのチームを結成したと、リリースがなされています。
哲学者のスティーブン・ケイブ氏は次のように説いています。
私たちは、AIの危険性を巡って世界各地で行われているこうした議論の行方については、これからもしっかりウォッチしてまいりたいと思います。
「学んだことがある」は3割 ⇔ 「すでに使ったことがある」4割
さて、一方、若者たちの日常における生成AIは、どのようになっているのか。
先日その状況についてのアンケート結果が発表されましたので、見てみましょう。
日本財団 2023年9月1日 18歳意識調査「第57回 –生成AI–」報告書
日本財団がこのほど行った調査結果によると、ChatGPTをはじめとする生成AIを大学や高校で学んだという学生・生徒は約3割にとどまることが、報告されています。
すでにご紹介お伝えしましたとおり、大学では、多くの大学が学長名や大学全体として生成AIについての方針を公にしていますが、こと、学生たちは、教室や研究室などの現場ではあまりそうした方針について知らされていない、という現実が浮かび上がってきます。
ChatGPTが世に登場してから急な展開でしたので、大学も高校も、現場の教員や学生にまでは行き届かなかった、ということでしょうか。
一方、使ったことのある学生・生徒は38.1%と、すでに4割近くに上っています。底辺では、生成AIがじわじわと浸透してきていることがうかがえます。
AIの怖さを危惧し、慎重を期してほしいと願う人たちとは裏腹に、若者は“無防備”と言われても仕方ないほど、その怖さを気にすることもなく、日常生活で生成AIをどんどん使い始めている。
若い人たちは幼いころからIT技術に囲まれ育ってきていますから、
はじめから耐性ができているのでしょうか。
それとも単にその怖さを知らないだけでしょうか。
AIに対する心構えは、どうあるべきか
では、生成AIが言わばなし崩し的に日常生活に溶け込みはじめてしまっている現在、われわれは、生成AIの持つリスクやシンギュラリティへの不安を踏まえながら、この先どのような心構えで臨むべきなのでしょうか。
次回は、AIに対する心構えを改めて見つめ直し、いよいよ教育現場や入試における生成AIの在り方について探ってみたいと思います。
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