思考停止のトライアングル

行革相「完全に僕の失敗」 ワクチン予約殺到巡り
https://news.yahoo.co.jp/articles/efaa6202fc50bf306783ce1f630a4c3aa5d485c4


この記事とそれに対するコメントは、日本において政治、メディア、国民が現在どんな関係にあるかを端的に物語っていると思った。

コロナパンデミックにおいて、諸々の対策が遅々として進まない行政への不満は至る所で噴出している。
この国では『責任は感じても取ならい』ことに対して信任を与える、という状態が安倍政権より顕著になっていた。
無論、その信任を与えているのは国民だ。
改善よりも現状維持を選択してきた結果で、それも経済はこの先も同じように回ることを前提としたような『甘い希望』からだ。
日本の企業が世界の中で衰退していく現実を直視できず、たとえ分かっていても柔軟にシステム変更をすることが出来ない『空気』に支配されるのが日本の特徴だ。

原発震災はそういった社会を変えるだけのインパクトがあったが、持ち前の運の良さを発揮し、局地的な悲劇によって回収され、社会はまた同じ『甘い希望』にすがる方向へ戻っていった。
あの事故から10年、今も原子力緊急事態宣言は発令中だ。

コロナパンデミックは全世界を巻き込み、アジア圏は諸々の事情やファクターXと呼ばれる幸運も重なり、欧米よりも感染者、死者数は圧倒的に少ない。
しかし、曖昧な対策に終始する日本はそのアジアの中では完全に劣等生だ。

日本において政治不信は昔からあったが、国民は経済成長(お金儲け)がうまくいっていれば良しとしてきた。人間性(倫理)よりも生産性(効率)を重んじ、サービス残業を主軸とする国家への奉仕によってまやかしの経済大国として一時期は隆盛を極めた。

政治家に『正直さ』なんて、そもそも求めていなかった。


この記事の内容に戻そう。
河野太郎氏は自民党内でも原発については反対の立場をとっていたはずだが、ある日180度転換し、そして閣僚になった。
つまり、信念のない政治家だ。
あるとすれば、自民党総裁でありながら野党であったために総理大臣になれなかった父、河野洋平の悲願を達成することだろうか。

その彼が”正直”に非を認め、謝罪したとして、ヤフーコメントには賛辞の言葉が並んでいる。
これにはこれまでの失政を追求できないメディア、できないから報道もできずに知らない国民、非を認めない政治家が素直に謝っているという表面だけで”許そう”とする国民、という思考停止のトライアングルが発生している。

社会はどうしたら変えることができるのか、というタイトルで2回投稿したが、3回目はメディアについて書こうと思っている。

とどのつまり、正しい情報が正しく国民に伝わることが著しく阻害された国では、こういった現象が起こる。
為政者が国民を御しやすくするためにメディアを懐柔させることの重大さに対して日本国民はとても鈍感だ。それも歴史的に仕方のない部分はあるが、非常時にはとても困った結果になってしまう。
だから、原発では変われなかったけども、コロナパンデミックではそろそろ変わろうという兆しが出てくれればいいなと思っている。

緊急事態なのは虚構の平和が暴かれてしまった権力者にとってであり、その本質を知ることが阻害されている国民そのもので、尚且つ、そういった現実を知っている知識人が倫理的発言をせず、ポジション確保に勤しむ社会のことなのだと思う。