「真面目だね」って、それ褒めてんの?

他人と比べて自己肯定感が低いと思う。常に自信がないし、自分が嫌いだ。平凡で幸せな家庭に生まれて、友達も多くはないけど恵まれて。一人暮らしで大学にも通わせてもらえて、好きなことをやらせてもらえている。私は何が不満なんだろう。

自分語りが不得意だと最近気づいた。アルバイトの面接で就活かってくらい質問攻めをされて、言葉に詰まってしまった。自分の長所や、アピールポイントというようなものが思い浮かばないのだ。悪いところはすぐに出てくるのに。

昔から人と話すことが得意ではないと思う。お母さんの陰に隠れるような内気な子供だった。それでも小学校の頃は学級委員とか、人前に出る役割を積極的にやっていたが、どうして平気でできていたのか今となっては謎だ。人前で話したくないし、目立ちたくない。

人とうまく話せないから愛想笑いばかりしていた。集団になると聞き役に徹して、無難な相槌を考えていた。人といる時間は楽しいのに、すごく疲れるのはなんでだろう。常に一緒に行動する学生時代の女子特有の風潮が嫌だった。友達と話す時間も大事だけれど一人の時間も欲しかった。

いつも一人でいる子は友達がいない子、みたいな空気があった。周りからの目を死ぬほど気にしてしまう私が、高校受験に本気になったのを機に学校で一人でいる時間を増やした15歳の頃は、私が一番精神的に強かった時期だったかもしれない。同じクラスの子が卒業アルバムに「芯があってかっこいい」と書いてくれたことを思い出した。

いつからだろうか、「真面目だね」と人生で何度も言われてきた。それはもう何度も。真面目って、褒め言葉なの?昔の私はそうは受け取れなくて、自分がつまんない人間だと言われているような気がしていた。真面目だって言われる度に距離を置かれたような気がしていた。そしてそんな些細な言葉を何日も、何年も覚えているぐらいネガティブだった。これは今も変わらないな。

私も、自分はつまんない人間だとつくづく思う。愛想笑いばっかりで、決定を他人に委ねて、同調してるだけの空気みたいな存在。自分の意見を言わないYESマン。なんて芯のない人間になってしまったのだろう。

常にたくさんの友達に囲まれていて、自分の意見がはっきり言えて、人に頼るのが上手くて、愛嬌があるかわいい子に憧れていた。私と正反対。変わりたいとずっと思っていたけれど、このひん曲がった性格は変わるどころか余計にこじれている気がする。

たくさん書いたけれど、20歳になった私は変わることを諦めた。というより、私が私自身を受け入れて愛せるようになりたいと思うようになった。人見知りで、口下手で、集団が苦手で、ネガティブで。それが私。まだ今は自己嫌悪で毎日ひとり反省会を開くぐらいには余裕がないけれど、いつかは真面目は私の取り柄だって言えるようになりたい。そんな日を目指してnoteを書きます。長い戦いになりそうだ。


#自己紹介

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?