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専門家は責任転嫁のためにいるのではない

東京都で新型コロナウイルス の新規感染者数が増えているそうです。

緊急事態宣言を再び行うのか否か、みたいなテーマが出てくるでしょうね。

たしか、専門家会議は解散?廃止?していましたよね???新たなメンバーで検討されるのでしょう。


この「専門」または「専門家」がつくと、人は無条件に発言を信用してしまいます。

無条件じゃないにしても、かなりの割合で「自分の意思決定」の参考にされるのではないでしょうか?

ちなみに、私は大いに参考にします。

参考にしますが、自分の頭で考えて意思決定します。

最近まとめたマスクの話題もそうです。



政府の方針に納得できない部分がある。
だから調べる。
その上で、行動を決める。

これは私が専門家でなくてもできることです。

むしろ、専門家じゃない人にお勧めしたいことです。


ところが、世の中には私と真逆の意見もあります。

・素人判断をしない。
・公表されているデータや論文を素人が解釈するとミスリードになる。
・現場の専門家の意見をクロスチェックする。

という意見です。


素人と専門家の違いは何でしょうかね。。。

一次情報にタッチできる割合とかスピードでしょうかね。

あとは、解釈のための知識なのかな?


では、素人と専門家の共通部分は何でしょう?

「考える」ことだと思います。


[決めるのは専門家、素人は黙って専門家の言うことを聞く]

これでいいのか?と普通に疑問が湧きます。


先ほどの『現場の専門家の意見をクロスチェックする。』のを素人が行ってもいいだろうと思っていました。そのために専門家の存在は重要です。

だから私は、「自分で考えよう」といったメッセージを発信していました。


『公表されているデータや論文を素人が解釈するとミスリードになる。』
これもわかります。

ミスリードに付き纏う危険は理解しています。


だから、学ぶし、考えることを避けちゃいけないと私は思っていました。

それが素人であっても。学者じゃなくても。


たとえば今回の新型コロナウイルス の騒ぎを例に見てみると、医療現場にいる人でも感染症の専門家じゃない人はいます。

その人たちは「自分の頭で考えて判断して実行に移す」ことを求められました。専門家のメッセージはマクロなものでしたから。

専門家や組織のリーダーは「抽象度の高い」メッセージを発信します。

それを受ける人は、様々な立場、環境にいます。


抽象度の高いメッセージを、自分の状況に合わせて具体化していかないと、行動に移せません。

具体化する時は「考える作業」が必要なのです。


たしかに、素人判断がミスリードにつながることはあるでしょう。

その予防策が「素人は判断しない」では、まずいと思うんです。


そうではなく「素人でも考え尽くす」のが予防策だろうと思うんです。


「専門家が言っているので」という意思決定は、行動や判断の責任を専門家に丸投げしてることになってはいませんか??


素人でも個人でもGoogleを使えば、大抵のことは調べられます。

その情報の信憑性に関しては、学ばないといけませんが(情報リテラシー)。だから、学ぶコミュニティの価値は高いと言えます。


賢い素人が増えれば、国は適した方向に進んでいくと信じていますが、最近は「そんなことないのかも・・・」と気持ちが弱くなってきているのも事実です。。

学ぶ、勉強するのが嫌、という人は一定数いますものね。


そこを踏みとどまって、私は素人の力を信じます。








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