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【随筆】ソマティックなメンタルヘルスのすゝめ

 実はひっそりとメンタル関係の職種なのだが、近年、フィジカルな要素に注目した理論や心理療法が増えてきたな、と感じている。健康な生活を送っている、特にメンタル需要のない人でも、「マインドフルネス」「ヨガ」などの言葉は聞いたことがあるだろう。要は、「心」と「身体」を切り離して考えることはできないのではないか、という考え方だ。

 個人的にも、そういう方向性には賛同しているし、社会的にも世界的にもそうなのだろうと思う。殆どの学問にはずぶの素人でしかないが、漠然と、いろいろな学問で同じ方向を向いているな、と感じている。例えば、哲学では現在は「ポスト構造主義」の時代で、世の中に何か本質的な絶対的なものがあるのではなく、それぞれがそれぞれに影響し合って世界全体という存在が現象していると考え方(注:かなり大雑把すぎる説明。以下同)は最早当たり前になってきている。福祉や社会学でも、「システム論」的な考え…例えば、家族というのは各々が影響し合って一つのシステムを作っているのだという家族システム論のような考え方は、今やスタンダードだ。医学でも、各機能の局在論ではなく、腸内環境を「第二の脳」と呼ぶような、身体全体が一つのシステムを構築しているという考えがずっとメジャーになってきている。世間では、ネットが当たり前の世界になり、絶対的で一方向のメディアではなく、互いに発信し合っていくつもの発信が一つの世界観を作るような不思議な現象が日々起きている。

 きっとそんな世界の流れの中で、心理学においても、精神と社会、精神と身体の相互性に注目しているのは自然なことなのだろう。尤も、東洋医学や仏教では昔から云われてきていることで、ある意味過去に回帰しているのかもしれない(東洋医学では、「気血水論」に代表されるように、メンタルとフィジカルを同じ要素で説明している)。

 神秘的に感じるのは、角度の違う学問が、何故かゆるりと同じような方向を向いているという側面だ。それは僕がそういう側面にばかり注目しているだけかもしれないし(現に、ロシアには独裁者がまだ存在している)、単なる気のせいかもしれないけど、この奇妙なシンクロニティのようなものに思い当たった時は、何というか、宗教的というか、神秘的としか云えないような気持ちになった。物語の伏線が回収されたり、スポーツ観戦で会場が一体になった時のゾクッとする感じに似ている。

 僕と同じようなことを感じている人っているのだろうか。尤も、画像コンテンツみたいなワンカットで表現できていないこんな文章を、しかも禄に推敲されていない素人の、なんの情報的有益性のない文章を、こんなところまで読んでいる人自体、いないと思う。これは僕の自己満足。誰も読まないことを想定済みの、数多くある文章のうちの一つ。我慢できなくなったから発信したというだけ。

 こういう現象がしかし、世界全体を形造っているのだろう。しばらくは、この大きな流れに身を任せてみるのも良いかもしれない。

2022-10-10

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