黒子から表舞台に!
小さい頃から目立つのが嫌いだった。評価されるのも苦手。結果、自己表現をすることをやめてしまった。
おそらく僕ら世代がハーフでいじめられる最後の世代ではないだろうか?
もちろん、今もいじめや差別はあるが結構露骨にいじめられたのは僕らぐらいまででそれ以降は市民権を得ているように思う。
もちろん、人種と国籍が関係ないと多くの人が気がつくにはまだ時間を要すると思うが、それは長くなるので別の機会で。
そんなこともあって、目立つのは苦手だった。目立つ=いじめられるとすり込まれたのかもしれない。思春期は特に”普通”に憧れた。
普段は自分の外見をみることはない、そして自分のことを日本人だと思っているのに
ー日本語うまいね〜
ーお箸使うの上手ですね
ー彼、こう見えて日本人なんですよ
などなど、言われ続けるとアイデンティティ・クライシスを起こすのも理解できる。幸い僕は自分の存在を消す/自己表現をしないことで、どうにかやり過ごしてきた。
大人になっても比較的、発言は控えていたし、自分か思う事があっても発言せずにやり過ごしていた。
ワクワクワークショップでオセロ大逆転!
そんな自分が大きく変わるきっかけがあった。30才は過ぎていたと思う。
いろいろと偶然が重なり縁あってフィリピンの児童養護施設を支援する団体に所属する事になって。今やライフワークになっている活動で支援先の児童養護施設の役員をやったりもしている。
入ったまもない頃にその団体が企画したコーチング体験イベントで知り合ったコーチに誘われて、その人が企画しているワクワクワークショップに参加。
どんなイベントかと簡単に説明すると
二日間、いろんな状況で自分がワクワクしてきたことやなどを共有する。その中でキーワードをいくつあげて最後にそれとあるチャートに記入することで自分を動かすエンジンであるワクワクが何なのかを導き出す。ワクワクすることでやっていれば、その波長が伝わり人を引き寄せさらにワクワクが増えていく。
ざっくり言ったららこんな感じです。(説明が下手ですみません)
僕が参加した時は6人いたかな。みんなで与えられたお題”小さい頃の好きだった匂い”とかでワクワクしたことを共有したりした覚えがある。
最終日の最後にその自分の原動力となるキーワードを発表する時にみんなは”笑顔”、”家族”など結構ポジティブなキーワードを言っていた時に僕は
”コンプレックス”だった。
正直、二日間でいろいろ発表した中で”コンプレックス”って単語は一度も頭をよぎっていない。でも、チャートにいくつかのキーワードを記入する時にどうしても”コンプレックス”ってワードいれたかった。
-みんなとは違う
-やばい目立つ
-ポジティブな単語に変えようか
といろいろと考えたが、なぜか普段なら選びそうなそれらの選択肢は選ばず、いやその選択肢もよぎらないほど”コンプレックス”って言葉がそのチャートに鎮座していた。
そこから、なぜコンプレックスが自分の原動力なのかを考えた。
晴天の霹靂?
ちょっとオーバーでがそんな感じがした。それまで”普通”に憧れた。”ハーフいいな〜”とか”へ〜英語もできるんだ”って言われても僕には普通の方がよっぽど羨ましかった。
僕には手に入らないものだったからだ。
隣の芝生は的なこどだろうか。
でも、逆を言えばみんな僕の芝生を羨ましいと思っている。それもマイノリティーである自分はその貴重価値は高いのではないかと思った。
そうなった瞬間、今まで自分の中でコンプレックスだった生い立ちや、それまでのそれを理由に経験してきた事が自分の武器だと気づく。
まさにオセロで形勢逆転した感じだ。
なんなら、すこしニヤついたかもしれない。
その経験後、逆に普通じゃない自分を楽しめるようになった。評価されるのはいまだに苦手だが、自分にしか言えないこと、自分にしかできない事があると思っている。
そこから、人生が楽しい。もちろん、それまでも楽しかったが何か肩の荷が下りたきがする。
本当に些細なきかけで、僕は誰でもない自分になる事ができた。病は気からではないが、自分の気持ちの持ちようでこんなにも視野が広がり、見えなかったものが見えてくる。
それまで裏方で目立たない自分だったが、表舞台にたち自分の経験を共有しようと思った。支援先の児童養護施設の子供達にもよく自分の経験を話す事ができるようになって。
そんな僕だからこそ伝えらる事、支えられる人がいると思う。
今年、いろいろとチャレンジをするがいい意味で勘違いして進んで行けたらと思っています。
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