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異伝が多すぎる日本神話。度量の広さが試される。

とっても久しぶりの投稿です。とはずがたりの和歌紹介は後日復活させるとして、今回は日頃私が疑問に思い、どうやって消化・紹介すればいいのか悩んでいることについてです。

それは、日本神話に異伝が多いということです。私は神社の神職として、ご参拝の皆さまに御祭神や日本神話についてお話ししています。その時、どの言い伝えを話し、また省略するのかということを考えています。

例えば、神道において日本の総氏神様としてお祀りする天照大御神。この神様は、古事記では伊邪那岐神(いざなぎのかみ)が黄泉の国から戻られた後、左目を洗い清められた際にお生まれになられます。この時、伊邪那美神(いざなみのかみ)はお亡くなりになっています。

一方日本書紀においては、3種類の伝が載っています。まず第5段本文では、伊弉冉尊(いざなみのみこと。神様には様々な表記があるのも困りどころ)から何事もなくお生まれになられています。伊弉冉尊はお亡くなりになっていません。

2伝目は第5段第1の一書で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が左手に白銅鏡(ますみのかがみ)を持った時にお生まれになられます。伊弉冉尊は出てきません。

3伝目は第5段第6の一書で、古事記と同じく伊弉諾尊が黄泉の国から戻られた後、左目を洗い清めた際にお生まれになられます。伊弉冉尊はお亡くなりになられています。

このように、神道において最も大切な神様、天照大御神であっても異伝があります。

はたしてどれが正しいのか。どんなに考えても答えは出ません。

“どれも正しい”。ということではないかと思います。

この曖昧さを楽しむことができるかどうか。
度量が広くなければ、この楽しみ方はできないでしょう。

とはいえ、神社の社頭でお話する時はどうしようか。私は、この楽しみを皆さまに味わっていただきたいなあと思うのですがいかがでしょう。

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