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幻の珍作ドラマ「ピーマン白書」を観たことがありますか? 岸田森が大活躍しますよ。

あまりにも視聴率が悪くて、早々打ち切りになり、最終回は深夜枠で放送される憂き目にあった幻の学園ドラマ。フジテレビが「恥部」だと隠そうとする名作(迷作)テレビドラマ、それが「ピーマン白書」であります。私の大好きな「岸田森」さまが大活躍なさいます。

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「恥部」ですから、DVDなど、ソフト化はされていません。ザンネンな限りで観れず、Daillymotionやユーチューブで、その一部を見ることが出来ますが。正規のルートのDVDかブルーレイで、きれいな映像、良い音質で、もう一度観たいものです。


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「ピーマン白書」は1980年10月4日から同年11月22日の毎週土曜日20:00 - 20:54にフジテレビ系(ただし一部系列局除く)で放送されたテレビドラマである。(Wikipediaより引用)

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校長の口癖である「お前たち、小学校からやり直せ!」という言葉を本気にした杉並八中3年3組の生徒25人が集団で中学校を脱走して、生徒たちの説得に失敗して一緒に行動することとなってしまった担任らと共に、自分たちを受け入れてくれる小学校を求めて旅に出て、その旅先におけるさまざまな葛藤や人々との出会いを描いた内容の学園ドラマである。番組名にある「ピーマン」は「頭の中身が空っぽ」であることを比喩する当時の流行語から取られている。当時は『熱中時代』(日本テレビ系)や『3年B組金八先生』(TBS系)などといった学園ドラマがブームとなっていて、本作もそういった潮流の中で制作された。
しかし、同じ放送時間帯に『8時だョ!全員集合』(TBS系)という強力な裏番組があったことも影響して、初回の視聴率が5%台、第2回からは同じ裏番組である『国際プロレスアワー』(東京12チャンネル)の視聴率をも下回る2%台という極端な低視聴率を記録し続けたために、放送開始からわずか1ヶ月で番組の打ち切りが決定し[1]、当初は全26回放送の予定が最終的には全9回にまで大幅に短縮された。
本放送時には第5回の翌週に最終回となる第9回を放送し、計6回を放送したのみで終了し、第6 - 8回は未放映となった。なお、本放送中に臨時の特別番組を2本放送したために、計6回を放送するのに8週間の期間を要している。初回から最終回までの日数はわずか50日という短さは、当時はキー局製作レギュラー番組としての史上最短記録で、同じフジテレビ系列の『自信回復TV 胸はって行こう!』(2002年10月 - 11月)まで22年間破られなかった。
放送終了から4ヶ月後となる1981年3月9 - 13日の各日深夜に、第1話の再放送および、本放送時に未放映となった第6 - 8回の初放送、最終回(第9回)の再放送が行われた。
Wikipediaより引用

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脚本としてあの「桃尻娘」の橋本治が参加しています。橋本治は、番組の決まり事を無視して、前回のエピソードの続きからドラマをスタートさせ、プロデューサーを激怒させたりします。

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そのエピソード、第四話「先生も生徒がいなけりゃタダの人」で、大活躍するのが、我らが岸田森! 教頭先生役でレギュラー出演していた岸田森ですが。この第四話では、多羅尾判内のごとく、さまざまなすがたに変装し、私たちを楽しませてくれます。とくに冒頭で角川映画「復活の日」のパロディーを演じているのがおおいに笑わせてくれます。

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橋本治は岸田森が大変お気に入りだったとか。作家では他に、中島梓さんなんかも岸田森さんが「恐竜戦隊コセイドン」に出演したときに雑誌で誉めておられます。

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嗚呼、なんとかソフト化してもらえないでしょうか。幻の「ピーマン白書」。。。








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