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河合隼雄先生のこと

臨床心理学といえば…

河合先生の本がない…

先日、久しぶりに臨床心理士の友達に会ったとき、なにかの話のついでに、「今の心理職の中には、河合先生を知らない人もいるんだからね…」と彼女がいいました。

一瞬、虚を突かれたような感じで、私は黙り込んでしまいました。

彼女はもちろん、全く信じられないことに…というニュアンスでの発言だったのですが、私自身、自院の患者さんとの会話のなかで、心理学に興味があるという方と、どんな著書をよんでいるかというような話をしたり、誰の影響を受けているかというおはなしをしたときに、河合隼雄というワードを聴かなくなったなぁという実感がありました。

ここは、奈良です。
奈良といえば、西大寺にご自宅があることも、奈良育英高校で高校教師をされていたことも、天理大学に奉職されていたこともあって、京都と並ぶかいやそれ以上に河合先生とは非常にゆかりの深い土地です。

なんとなく確かめるような気持ちで、大きな書店を何軒かまわってみました。

私自身、心理学の棚を永らくちゃんと見ていなかったのでしょう。
見知らぬ著者の本は、とても興味を引くタイトルでたくさん並んでいましたが、なんと、河合先生の著書は一冊も並んでいませんでした。

そんなバカな…と思い、検索機にかけて、一冊だけ教育関係のところにあったり、文庫のところにあったり。

河合先生が亡くなられたあとも、続々と講演録や、再編した高著が出版されていて、私はセットで購入したりしていたのですが、それはネットでみつけて、ネットで購入していたのですね。

リアルの書店で、ちゃんとさがしてちゃんと買うことの大切さを学びましたが、結局この本もネットで購入してしまいました。

ご子息の河合俊雄先生の編著によるもので、今年の夏に発売されたばかりの、河合先生のお仕事の総集編というようなものです。

表紙の河合先生が深く思索に入っておられるようなお写真で、今までなら人懐っこい笑顔が表紙になることが多かったのに、なにかを問いかけられているようで、どきりとしてしまいました。

深い交遊関係にあられた方々がそれぞれに文章を寄せておられ、それを拝読するうち、また年譜をたどっているうちに、私自身の河合先生のささやかな思い出を書き綴りたくなりました。

河合先生の思い出

私は高校時代にスクールカウンセラーの先生に憧れ、大学は心理学専攻のゼミに属し、卒業後は心理職につくつもりでいました。

もうなんと、30年も昔の話です。まだ臨床心理士という資格はなく…と思っていましたが、今回河合先生の略年譜を見ていると

「1988年に日本臨床心理士資格認定協会設立に、設立準備委員長として携わる」

と掲載されているので、私の大学入学の頃には、資格制度が勃興していたのですね。

指導教官は、京大の先生であり、河合先生とも同期だったということで、交流が深く、京大の院生が卒論の指導のお手伝いに来て下さっていたり、ゼミ合宿に参加されたりということがあったので、その頃の京大教育学部の先生方のお話は、いつも憧れの気持ちで聴いていました。

ましてや河合隼雄先生のことは、臨床心理学界のスーパースターとして、既にレジェンド、仰ぎ見る存在でした。

ただ当時の学生の気分としては、バブル末期のまだ華やいだ雰囲気の中、心理学ゼミといえど、大学院に進学するのも一人か二人、公務員の心理職を目指すのも同じくらい、大多数は一般企業のOLになるという時代で、臨床心理士になる未来像をしっかりと結べるものは少なかったように思います。

私自身は卒業した次の年には結婚し、その結婚する相手が京都の料亭旅館の長男で、家業を継ぐということで、あっさりと心理職への憧れは捨て、若女将としてのキャリアが始まりました。

はじめて河合先生にお会いしたのは、門下の先生方が河合先生のなにかのお祝いの会を開いて下さったときです。

河合先生は、若女将としてご挨拶にあがった私に、指導教官のことを色々と質問され、面白がり、私自身のキャリアも面白がってくださいました。

そして、それから対談のお席や、いろいろなお接待ごとにお使いくださるようになったのです。

年譜に従うと、日文研(国際日本文化研究センター)所長に就任されたのが1995年で2001年まで務めていらっしゃいますから、その間が一番旺盛にお目にかかった時期でした。

日文研の初代の所長は梅原猛先生で、梅原先生から河合先生に所長をバトンタッチされるときの会というのが、今でもあの場に自分がいたことが信じられないくらい凄い時間でした。

もう老賢人2トップというような、融通無碍な教養の頂点にいらっしゃる方々なのに、おそろしくお話のおもしろい、もう私ごときの筆では、そのすごさかげんがとても描写できませんが、席のはしっこで聞きかじっているだけでも、陶然とするようなぜいたくな時間でした。

だいたいが、河合先生はお集りになる方々の長という立場でお席の中心にいらっしゃいます。

でも、まったくその席があたたまることがない。

腰軽く、ビールや徳利をもって、お弟子さんであろうと、目下のかたであろうと、ご自分が招待されている立場であっても、出向いて行ってビールやお酒を注ぎ、お話を伺いに行かれるのです。

色々なお偉い方をお迎えし、色々なご宴席を担当してきましたが、そのような方は本当に稀有なことです。

たいてい主賓は中央に座ったまま、前に行列をつくる人々の盃をうけるだけで、時間切れになるものです。

誰に対しても、ご自分からお身体を運んで行かれて、その方にしっかりと関心を示し、おひとりおひとりを個体認識してお話されているという印象でした。

私ごときに対しても同じです。
必ず、前回ちょっと話題になったことを覚えていて下さって、「あれはどうなりましたか?」などと一言聴いて下さる。
こちらは、お忙しい先生が、そんなとるに足りないことを覚えて下さると感動する…そんなことの繰り返しでした。

当時の河合先生は、常に何本も連載を抱え、定期、不定期の対談も毎月のようにあるベストセラー作家でもありました。

どれだけご多忙か、想像するだけでもおそろしいくらいでしたが、うちで対談された掲載本は必ずお送りくださっていました。

編集者からではありません。
必ず自筆で奈良のご自宅住所からお送りくださっていたのです。

河合先生は、おそろしくお氣遣いの方でした。

この場合の氣遣いは、魔法使いと同じような意味での氣の使い手という意味を含みます。

その場の空気を自由自在に動かし、冗談でかきまわすようにみえて、真実を悟らせ…というような、もうとても人間技とは思えないすごいお氣遣いでした。

そして、その場にいる人に全く気を使わせなかった。

社会的に偉い人に対して、人は好むと好まざるに関わらず、気を使います。

料亭における接待などはそのもっともなるものですが、気遣い合戦みたいになることさえあります。

接待とは主賓によい氣になっていただいて、仕事が円滑にすすめるよう、美味しい料理を供し、盃を交わし、美しい芸舞妓さんたちの話芸や座の取り持ちによって、その場の氣をあげていくわけです。

でも、河合先生のお席には芸舞妓が入ったことは一度もありませんでしたし、私も特別な気遣いなどせぬままに、先生ご自身がいつも最高の氣を交わす場を主宰し、氣の交流場を生み出されていました。

河合先生のもつ温かい氣が、場を満たし、そこにいる誰もがそれに包まれていい氣持ちでまた伸びやかな氣を発する人となる…。

今思い出してみると、いつもそんな宴席であったと思います。

当時、門下の先生方も次々著作を出され、先生は「私はいまどきの西陣の帯職人より帯を作ってまっせ…」と、喜んで帯の文章を考えておられました。

わたしの手許には、そんな先生が帯を書かれたお弟子さんの著作が何冊かありますが、そうやって冗談ばかり仰るそのなかでものごとの本質を見抜いた帯文を書かれている…その見事さというのは、もうこれからあんな方は二度と出ないのではないかと思わされます。

一度そういう場で、私はカウンセラーになりたかったけど、なれずに若女将になった。この仕事も人の話を聴くことにかけては、ものすごい量の話を聴く仕事だけれど、カウンセラーの先生とは純度においても深度においても、とても及ばない。やはり別方向をむいた仕事ですよね…という自嘲めいたつぶやきをしたことがありました。

そのときに、その席にいた門下の先生は、「そうですよねぇ。こういう宴席でおはなしを聴くということは、また我々とは全然違うし、別の意味で大変ですよね」とねぎらってくださった。

でも河合先生は、「相談室のなかで話されることだけが深みをもった真実ではない。こういう日常や、ちょっと飲んでネクタイをゆるめ、上着を脱いで漏らした言葉に真実があることだってある。そういう言葉を丁寧に聴くこと、受容的に受けとめて聴いてもらえるということはカウンセリングですよ」という意味のことを仰った。

その時、既に元夫とは関係が破綻し別居しながらも、そこに留まって働き、でもこれからどうやって生きていこう…と考えあぐねていた私にとって、その言葉は深く深く響きました。

結局20年以上をそこで働き、辞めたのち、後半生の職業を考えたときに一番になりたかったのはやはり臨床心理士でした。

こころの専門家にはずっとなりたかった。

でも、主に学力的な意味でその夢はかなわず、指圧師になりました。

指圧師はいわば、からだの専門家です。

でも、臨床で出会う患者さんは、糸口はからだではあるものの、結局はこころについてお話されることが圧倒的です。

河合先生、今、私は指圧師になってやはり色々な方の物語を聴いています。

そして、わたしは今でも河合先生のおことばをよすがとして、よりどころとしながら、その方々の「たましい」を受けとめつづけています。

なつかしさに涙しながら、でもその二十年以上もまえの先生のおことばがまた心にしみいりながら、久々に河合隼雄ワールドに浸ることができ、幸せな読書体験でした。

「物語」は、多くのものを「つなぐ」はたらきを
もっていると述べたことがあるが、
それは何よりも「たましい」との
つながりを大切にするのではなかろうか。
語り手は「たましい」とつながっていなければならない。
それは相当に自分の心を開いていないとできないことである。

河合隼雄著作集第Ⅱ期第7巻 物語と人間

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