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【#2000字のドラマ】 プン太郎な私の事情

 窓際にしたことを後悔した。考えてみれば夜に走るので景色は関係ない。カーテンをそっと開けて確認できたのは、窓に映る暗闇だけだった。それより眠れないのだ。外の冷気を毛布でカバーしてみたものの、今度は首の位置が決まらず肩や腰も痛い。最初に思いっきり席を倒しておけば良かったのか。相変わらず後ろの男のイヤホンからはシャカシャカと音が響いている。
「プロ野球選手を目指すから別れてほしい」
 一週間前の出来事を頭の中で整理する。
「夢のために待たすことはできないから」
 そう言って私の元を離れた年下の彼に沢山の疑問は残るものの。ただ呆気にとられた。
 私の知る限り、彼の出身は野球に力を入れているような強豪校ではなく、県大会にかすりもしていない。そして現在の彼は社会人野球に所属することなく、時々声が掛かれば何かの試合に参加していた。そんな程度だ。
 初めは自分の耳を疑った。話を聞いているうちに、浮気したのか、と。別れる言い訳が思いつかず発した言葉が『それ』だったのか、と。協調性と同じくらい、子供のころに夢を持つことの大切さを教え込まれたような気がする。別れ際の彼の目は真剣だったからこそ馬鹿にはできなかった。

「あやちゃん!」
 扉を開けると裸足で駆けつけ出迎えてくれる私の癒しは、さっきまでの暗いバスの道中を忘れさせてくれる破壊力だった。
「みずき! おはよう!」
 ぎゅっとすると私は大きく息を吸った。腕の中の個体は少し体をモジモジさせると、湿気の奥から柔軟剤の香りがフワッと私の鼻をくすぐった。
「いらっしゃい! 朝ごはん食べた?」
 洗濯カゴを抱えたまま姉が顔を出した。その顔からは満面の笑みがこぼれていた。正確に言うなら私をみるなり大笑いした。専業主婦の姉からすれば、私の人生は面白いとか。いつもネタ欲しさに電話をしてくる。一週間前もそうだった。
「どうせ職もないし暇でしょ?」
 義兄おにいさんが出張で数日留守の間に遊びに来ればと提案された。職なし、金なし、男なし。そんな妹の姿を一目見ておきたいようだ。
「あやちゃんはプンタロォ!」
 甥っ子はそう言うと私から逃げるようにリビングのソファーにダイブした。
「みずきもプンタロォになる!」
「プン太郎? プン太郎ってなに?」
 私の質問に気まずい顔をしてベランダに出て行く姉の姿が見えた。
「みずき、プン太郎ってなぁに?」
「アオイトリをさがすひと!」
「青い鳥を探す人? なにそれ?」
 きっと姉の入れ知恵だろう。私は頭をフル回転させた。青い鳥、青い鳥・・・・・・。チルチル・ミチルの青い鳥・・・・・・。
「青い鳥症候群のこと?」
 仕事を辞める報告をしたときに姉に言われた一言だ。青い鳥=幸せ。現状に満足できず常に幸せを追い求め、年中虫取り網を片手に走り回る私の姿が想像できるのだと。
「みずきもアオイトリみつける!」
 甥っ子に屈託のない笑みを向けられては怒る気はしなかった。
「みずき、プン太郎じゃなくて、プー太郎ね」
 コーヒーの芳ばしい香りと共に聞こえる姉の声は軽やかだった。注がれたコーヒーにつられダイニングテーブルにつくと私は苦言した。
「プー太郎って、死語でしょ?」
「えぇぇぇぇ!? じゃぁ〝無職〟って今風に言うと何? 家事手伝いとか? って、あやちゃん家事も手伝いもやってないし!」
 姉の一人ノリツッコミに私は思わず吹き出した。幼い頃から姉の背中を追ってきた私には、姉の言うことは正しく絶対だった。
「私はあやちゃんがずっと羨ましいけど」
 一瞬、心を読まれたのかと思った。
「長女だから。って、耳にたこができるほど聞かされたわ。私は決められたレールの上を走っているだけ。私もあやちゃんみたいに脱線してみたかったなぁ」
 姉はコーヒーを一気に飲み干すと立ち上がり不適な笑みを見せた。
「あやちゃんは〝器用貧乏〟だから」
「キヨウビンボウ?」
「キーヨービーボーってなに?」
 会話に入ってきた甥っ子の目はキラキラしていた。
「あやちゃんみたいになんでもできちゃうけど直ぐ飽きちゃう人のこと。執着心もないからどんな場所でも生きていける人のことよ」
「あやちゃん、カッコイイ?」
「そう。あやちゃんみたいにカッコイイ人のことを〝器用貧乏〟っていうのよ」
「みずき、キーヨービーボーになる!」
 そうなの? なんでもできちゃうなら、とっくに青い鳥を捕まえているはずなんだけど。
「よし。青い鳥を探しに行こう!」
 私は大きく伸びをするとそのまま手を振りかざした。
「いく! みずき、アオイトリさがす!」
「おかあさんも! おかあさんも行く!」
 私に続くように、二人は大袈裟に両手を掲げてみせた。

 口にしたコーヒーは苦みだけが残った。

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