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【年齢のうた】銀杏BOYZ ●大人の年齢になろうとしていた峯田が叫んだ「十七歳(…Cutie girls don't love me and punk.)」

GREENROOM FESTIVALに家族で行ってきました。2日目のほうです。わが家としては一昨年に続き、2回目の参加。
実はその2021年の時はコロナ禍で、世の中じゃ「こんな時に音楽フェスやったり行ったりするなんてとんでもねえ!」という風潮が強かったんですね。だからフェス側も密にならないようにお客さんの数自体めちゃ抑えてたし、ステージ前も人数制限や足元にマーキングがあったりで。
今年はそういうのもなくなり、みんながマスクを着けてる時間もかなり減ってました。これはどのライヴでも同じ傾向ですが、野外フェスだとなおのこと、ね。

にしてもこのフェスは客層のオシャレっぷりが顕著で……それは横浜という街、しかも港のそばというロケーション、さらにチル&メロウなアクトが多いのがそうさせるのか。ライヴ中に船の汽笛が聴こえたり、そばを横切るフェリーの乗客がこちらを眺めていたり。そこはかとなく漂う、このリア充な空気感は何なんだろう。

とか言いながらも、
フェリーでウェイウェイやってみたいね

家族で参加したのでそこまで動き回れず、また遅くまでもいれないので、海外アーティストはママズ・ガンぐらいしか観れなかったのが残念でしたが。

何しろ何年ぶりかにステージを観たバンドばかりで……ネバヤン、オレンジレンジ、スカパラ、みんな良かったですね。ロットバルトバロンも、ハナレグミfever中納良恵も。OAUもNulbarichも。


さて、今回は銀杏BOYZです。
こないだ、南沙織の「17才」をカバーしたことでこのバンドも取り上げましたが、その流れで今回も17才。
しかし南沙織のとはかなり様相が違います。

峯田和伸が爆発させた青春時代の鬱々とした心理

銀杏の「十七歳(…Cutie girls don't love me and punk.)」は、彼らのデビューアルバム『DOOR』の1曲目に収録されている。いや、同時発売のもう1枚『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』のほうがCDの品番が若いので、そっちがファーストアルバムか? ともかく、この2作が出たのが2005年1月のこと。
なお、前回に書いた南沙織のカバーのほうはこれから3年強ほど経過した2008年のリリースで、順番としては銀杏のオリジナルのほうが早く世に出ている(曲名の表記もかなり違うが)。映画『俺たちに明日はないッス』のタナダユキ監督は、この曲の存在を知っていた上で、彼らに南沙織のカバーを依頼したのではないかと僕は思う。

で、この銀杏の「十七歳(…Cutie girls don't love me and punk.)」はメロディらしいメロディがない。とにかく絶叫というか、暴れまくりというか。きわめて激しくて、ラウドなのである。その上、1分半もない。

当時の銀杏BOYZの異様な熱さを思い起こすテイクである。

おそらくこの曲には、17歳だった頃の峯田和伸が抱えていたものが集約されている。性欲や夢、ストレスにコンプレックス。欲望、願望、希望。周りにあふれ返るくだらない現実なんて、正視したくもない。そして自分は童貞であり、セックスを渇望している少年だった。
17歳。モラトリアムであることが、まだまだ許される年齢。
こうしたあらゆるものが渾然一体となっていて、恐ろしいほどのエネルギーを発散している。歌詞で大槻ケンヂによる青春小説『グミ・チョコレート・パイン』の名を挙げているのも、いかにも峯田らしく、リアルだ。

アルバム『DOOR』のブックレットより。
イラストも秀逸

なお、ちょっと脱線するが、僕は今年、オーケンに雑誌『昭和40年男』誌上でインタビューしていて、彼が過去に書いた、こうした小説作品の話なども聞いている。興味ある方はぜひチェックしてほしい。

大槻ケンヂには初取材でした
オーケンへのインタビューは
4月号に掲載されています


僕はこの2005年頃の銀杏のライヴはフェスも含めて何度か観ているが、どれも本当に壮絶で、いつも破綻寸前、まさしくギリギリのところに立ちながら、こちらに向けてそのハイテンションを突っ込んでくるようなステージだった。当時の彼らからはずっと目が離せなかった。ライヴごとにくり返される峯田たちの全力のパフォーマンスは、こちらを引き付け続けたのである。

そしてこの頃のこのバンドの歌には、青春……いや、「性」春をテーマにしている曲が多い。それらには、せつなくて、張り裂けそうな少年の思いがギュウギュウに煮詰まっている。



では、峯田はどんな少年だったのか。以下は4年半ほど前のFM番組で、彼は自分が17歳の時のことについて、こう語っている(もっとも、彼が青春時代の自分について語ることは、昔から多かったと思うが)。

峯田「はっきり覚えています。暗い人でした。友達は居たけど、クラスで人気者になるタイプではなかった。音楽ばっかり聴いていました。」

(番組担当)髙橋ひかる「大人が嫌いっていうのはなかったですか?」

峯田「そういうのはなかった。毒にも薬にもならない人。好きな女性はいるんだけど、廊下の向こうからずっと観ていた感じ。」

峯田「17歳のときは何にもなりたくなかったな。なるべく平穏に、誰にもいじめられることもなく、うやまれることもなく過ごしていたいなと思っていました。」

またこの中では、大学進学の4年間のうちに好きなことをやることを決めたと、田舎を出たバンドマンあるあるな話もしている。

17歳の頃の自らを暗かったと言う少年時代の峯田。そうした心の原風景が、「十七歳(…Cutie girls don't love me and punk.)」の短い曲中に、充満している。

28歳が描いた、17歳の童貞少年のエモーション

しかし……よく聴けば、この歌にしても、当時の彼らの曲の向こう側には、経験値というものの存在が感じられる。
つまり、昨日今日にバンドを始めたばかりの人間には、ここまで振り切った表現は難しいはずだ。こんな叫ぶような歌は唄えないだろうし、バンドだってここまですさまじい音なんか出せやしない。

当時、峯田は28歳。この前には青春パンクバンドのGOING STEADYをやっていて、サンボマスターやガガガSPといった猛者たちとしのぎを削り合っていた。峯田にとって、銀杏はこの次のバンドなのだ(しかもメンバーはほぼ同じ)。

この2枚のデビューアルバムを出す時点で彼(ら)はすでに一人前の活動歴のある経験値を持つバンドマンであり、いっぱしのアーティストだった。決して単にめちゃくちゃをやったり、感情をぶちまけていただけではない。たとえば、やかましいヴォーカルにしても、けたたましいギターをはじめとした楽器群にしても、その轟音をどう響かせ、どう鳴らせば聴く側に刺さるのかを知っているはず。もちろんこうしたスキルについては、歌詞やメロディについても同じことが言える。
つまり、本当の17歳ではない、そして決して初期衝動だけでやってる人たちではないからこそ、この音楽を表現できた。

で、この初期衝動という言葉を、当時の峯田がどこかのインタビューで話していたのを覚えている。一番最初に伝えたい、叫びたいと思った衝動や、最初にバンドで音を出す瞬間の感覚こそ大切にしてこのバンドをやっている、というようなことを。
これは、わざと意地悪く言えば、自分はもう初期衝動だけで音を出すようなミュージシャンではなくなっている、という事実の表れに思える。そこを自覚しているからこそ、初期衝動にこだわりたい、というふうに感じるのである。
もう一歩踏み込んで言えば、もう大人になろうとしているのに、今よりもっとモラトリアムだった、もっと夢見がちで現実逃避的だった頃の自分を掘り起こしたがっているように思うのだ。28歳の彼が、である。
おそらくそこにウソはない。本当にリアルで、切実な思いだったのだろうと思う。そしてかつては暗かった17歳だが、その少年の内面には、のちの彼の人生を逆転に向かわせる何かの種がたくさん蒔かれていたのだろう。

そして峯田はアルバム『DOOR』で、自分が大人になっていくことも唄っている。
モラトリアムを唄う一方で、歳をとってしまうこと、大人になっていってしまうことも、そしてそれへの違和感も、彼の歌の中にあると思う。

モラトリアムvs.大人になっていくこと。数えてみたら峯田は今、45歳になっている。あれからもう20年近く経とうとしているのも、なんだかウソみたいな現実だ。

今聴いても、この頃の銀杏が唄った衝動は、現実に抗おうとする感情は、心をきつく締め付けてくる。


GREENROOMでは赤レンガ倉庫内の崎陽軒でランチ。
シウマイはもちろん、横浜なのでサンマーメンを




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