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【年齢のうた】安室奈美恵 ●19歳目前の彼女が小室哲哉と化学反応を起こした「SWEET 19 BLUES」

WBCを観戦してきました! 準々決勝のイタリアvs日本です。ヘッダーのはその時のコンコースにて、朝日奈央(のCM映像)と一緒に。

超満員の東京ドームで、大谷選手にダルビッシュ選手と現役バリバリのメジャーリーガーの継投が見れたのは幸せでした。投手・大谷とフレッチャー兄弟の対決もワクワクしたし、イタリア代表の監督はピアッツァだしで、お楽しみ満載。
日本で行われる中では緊迫感が最も高まるこの試合が観れて、うれしかったですな。

東京ドームの音楽も、国際試合だからか、ふだんよりも多めに洋楽が流れていました。良き良き。

なお、このイタリア戦が行われたのが、同国出身のバンドで、今や世界中のロック・シーンを爆走するマネスキンの12月の来日公演が発表された日だったのは、何かの巡り合わせなのでしょうか(イベンターが発表をこの日に持ってきたのかな?)。
マネスキンは去年夏の単独もサマソニも観れて、最高でした。


では今回の【年齢のうた】は、安室奈美恵について書きます。

「SWEET 19 BLUES」で唄われた、その子の<とりえ>を教えてあげること


安室奈美恵の代表曲のひとつである「SWEET 19 BLUES」。僕はこの頃、安室に何回かインタビューをしている。
この歌がシングルとしてリリースされたのは1996年の8月のこと。それに先駆ける形で前月に同名のアルバムが発表されていて、曲自体はアルバムからのリカット・シングルという形だった。

当時の彼女の楽曲はプロデューサーである小室哲哉が主体となって手掛けていて、「SWEET 19 BLUES」も同じく。ただ、アレンジのクレジットは彼だけでありながら、作詞は小室・前田たかひろ・m.c.A・T、作曲は小室・久保こーじ・富樫明生と連名になっている。この頃のエイベックスらしい布陣だ。

アルバムとしての『SWEET 19 BLUES』には他に「Body Feels EXIT」、「Chase the Chance」、「Don't wanna cry」、「You're my sunshine」といったこの時期の安室のメガヒットを収録していて、破格のセールスともども、1996年の日本のポップ・シーンを代表する作品となった。そんな中でタイトル曲の「SWEET 19 BLUES」は、ひとりの若い女の子がそっと素顔をのぞかせるような、独白的なバラードだった。

僕がインタビューした席で彼女は、「SWEET 19 BLUES」という曲は、小室哲哉とふたりで交わした会話から生まれたものであるという話をしてくれた(当時からさまざまなところで触れられていることなので、ご存じのファンも多いはず)。

とくに安室の思いが集約されているのは2コーラス目に出てくる<とりえ>についての箇所だった。人間誰しもが持っているはずの、取り柄……。それは長所という言い方ができるだろうし、あるいは得意なこと、もしくは何らかの素敵な魅力、とか。そして彼女は、それが何かを教えてあげなきゃと唄っている。
ここまでで感じ取れるのは、まず安室自身の歩みのことだ。彼女は自らの取り柄が何なのかを発見し、それを徹底的に磨き抜いて、結果、自分の居場所にたどり着いた。つまりそれはステージに立ち、ダンスをし、そして唄うということ。この歌の背景としては、こうした事実を感じる。
そして、もうひとつ。それと逆に、そんなふうに自分の力や良さを発揮できる何かをつかめていない人達の存在だ。たぶん安室は、自分のいいところや魅力を見つけたり、それをモノにすることができなくて、迷ったり苦しんだりしている子たちがいることを感じていたのだろう。そして小室哲哉は、そんなふうに彼女が気に留める同世代の若い子たちを描いたのではないだろうか。
これはどこでも、いつの時代でもあるようなことだろうと思う。自分自身のこと、行く先のことで悩んでいる若い子は、つねにたくさんいる。夢や理想はあるけどそれに追いつけなかったり、それどころか、そのスタートラインさえわからなかったり。そうしたことについて、若かった安室が思いを寄せ、それを歌にしたのは、尊いことだと感じる。

ちなみにこのリリース当時の安室はまだ18歳で、実際に19歳になるのは秋を迎える9月になってのことだった。学年で言えば、高校を卒業したのちの時期。一般的に見ると、少女、あるいは少年と呼べるような子たちが、社会と触れることが増え、否が応でも成長を促される段階である。
小室は18から19になろうとしている彼女の心中をキャッチして、この歌を、そしてインタールードを含めて19曲から成るこのアルバムを作り上げた。

なお、僕がここまで書いてきた「SWEET 19 BLUES」、そして安室奈美恵については、数年前に日刊サイゾーに寄稿した記事でも触れている。こちらはもうちょっと当時の彼女の活動全般について書いているので、興味のある方は読んでみてほしい。

小室哲哉がTM NETWORKでも描いていたSweetな19歳の心理


ところで、「SWEET 19 BLUES」……SWEETな19歳のBLUESというテーマを小室はどんなところから着想したんだろう? そう思って調べてみたら、ひとつの事実が見つかった。

この1996年の安室奈美恵から翻ること9年、小室が率いたTM NETWORKは『Self Control』というアルバムを出している。これも80年代当時とても売れた作品で、このあたりでTMが大きな注目を浴びるようになった記憶がある。

そして、このアルバムの2曲目……冒頭はインストなので、詞が付いた楽曲としては1曲目になる「Maria Club (百億の夜とクレオパトラの孤独)」という歌があるのだが。この歌詞の中でSweet Nineteenという表現が出てくるのだ。

作詞は小室哲哉。楽曲自体は福岡にできたディスコのために作られたものだけにダンサブルなビートが弾けているが、ここでダンスに興じる主人公の心は満たされない感情でいっぱいだったようだ。そしてSweetな19歳の時期は、本当の自分を失いはじめた頃だったと描写されている。

SWEETな19歳、そして自分自身にとって大切な何かを見つけようともがく若者の思いという点で、このTM曲と安室のバラードは、9年の時を隔ててつながっているに思える。とくにSWEETな19歳という像は、小室独自の発想によるものではないだろうか。

ちなみにアメリカにはSweet 16という16歳になる女の子を祝福する風習があるらしく、そのせいなのか、これに通じるタイトルの曲もいくつかある。また、日本では佐野元春もこのタイトルのアルバムと歌をリリースしている。



しかし16歳ではなく、SWEETな19歳のイメージは、とくに一般的ではなさそうである。

小室哲哉の19歳当時はと言えば、大学に通いながらミュージシャンへと歩みを進めようとしていた頃。多感な中でバンド活動を行い、きっと充実した日々を送っていたはずだ。なのに、「Maria Club」、それに「SWEET 19 BLUES」で描かれる19歳は、スウィートなのに、自分にとって大切な何かを探しながら、迷っている。

19歳の頃。僕自身のことを思い返せば……どうしようもなかったな。大学に通ってはいたけど、何をしていいのかよくわからず、先のこともしっかり考えられず。とりあえず何かできないか、何かやれないかと思ってはいたけれども、とくに何もできなかった。それこそ自分の取り柄が何なのかも、よくわからなかった。振り切れた奴、突き抜けた人たちをうらやましく思っていた覚えがある。
まあ僕のことは、ともかくとしても。若さゆえに揺れ動いてしまう感情というやつは、時代を超え、21世紀になった今においても、おそらくあちこちにあるものだと思う。

大人になっていくまだまだ途中、19歳という年頃独特の揺らめき。「SWEET 19 BLUES」は、小室哲哉が自身の中に残る何かを、19歳になろうとする安室奈美恵という天賦の才に授けたものだった。

人は時に、芋けんぴをかりんとうと呼びたがる。
これは鹿児島産。アンテナショップに行くのが好きです

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