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日本を一度も出たことがなく英語も話せない大学生が3週間1人でアメリカに体操留学に行った話 前編

皆さんこんにちは!

最近なんちゃって幼なじみの子からよしきのnote読んだよ!文章力あって頑張ってるなーって思ったって言ってもらう嬉しいことがありました!こういうコメントがnoteを続けようって思えるのでぜひスキやコメントしてね!


そしてなんと今日7月8日で僕は23歳になりました!(パチパチ)
そんな記念すべき日なので、僕の人生の中でも大きな分岐点となったアメリカ留学の話を書いていこうと思います!

目的

大学4年生の11月15日からアメリカに3週間留学したのですが、目的は以下の3つになります。

①アイデンティティの形成
②体操の競技力の向上
③外国人のスポーツの捉え方を知りたい

①について
 僕は海外に行ったことがなく、外国のことを全く知りませんでした。また、僕は今まで「学校」と「体操」という2つのコミュニティーで生きてきました。そういう経験からもっと広い世界を見てみたいという気持ちが芽生え、外国に興味を持ちました。また僕の高校時代の恩師の先生がカナダで体操を教えていて(10年くらいだったかな)ナショナル選手を育てあげるほどの名指導者でした。その恩師の話や、考え方の視野が広い点など人としてとても尊敬しています。その影響もいつかは海外に行きたいなーという思いがありました。
 そして、社会人になる前にしっかりとした自分の曲げない信念を固めたいと思っていました。その時期に自己分析をしていたこともあり、自分がどういう人なのか、何が好きなのかなどを、知らない地で、言葉も通じない中、自分1人で行く事で、何をみて、何を感じるのかなど徹底的に自分を見つめ直したいと思いました。

②について
 この大学4年生の時期は怪我もしていた影響もあって競技力があまり伸びませんでした。次の年から徳洲会体操クラブで体操を続けることが決まっていたので、このままではやばいと思ったのが正直な感想です。このままで日本のトップ、世界で戦える選手になれるのかという焦りもあり、競技力向上のヒントを求め海外に目を向けました。
 初めは留学先を決めていませんでした。計画当初は自分が好きな選手であるサムエルミクラック選手(現アメリカ代表)と一緒に練習をするか憧れだったファビアンハンビュヘン選手(元ドイツ代表)の所属先に訪問を考えていました。
しかし、ヨーロッパは予算の問題などがあり早々に断念。ミクラック選手はどこで活動していてどのようにアポイントを取ればいいのかもわからなかったので断念しました。
自分を一番成長させれるところはどこだろうかとたくさん考えました。オーストラリアで内村さんが練習していた場所に行けないか?鹿屋の北川先生(モスクワオリンピック代表)の伝手でカナダはどうか?など色々考えて出た結論が、

元世界選手権日本代表の鉄棒のスペシャリストの植松鉱治さんの元へ行こう!

植松さんはアメリカのカルフォルニア州バークレーに在住しており体操の指導もしていました。植松さんには以前1度だけ指導していただいた経験があり、その時にすごい自分に合っているなって感じました。また、世界選手権の時のことや、上手くなるための術などたくさんの話が聞きたいと思って留学先をアメリカに決めました!

③について
自分の同級生がカナダ遠征に行く機会があってその時に言っていたのが
外国の人たちは本当に楽しそうに体操をしていた!
スポーツに対する価値観が全然違うように感じたってことだった。
日本人は結構勝敗にこだわる人が多いと思う。僕自身ものすごくこだわる方だし、それにいいも悪いもなくそれぞれの価値観だと思う。しかし、将来指導者も考えていた僕は人生を楽しむ一部としてスポーツがあるという自分とは違う価値観に触れてみたかったのです。

以上の3つの点を目的に海外留学に行ったのですが、本音をいうと

海外に行ってみたかったから行った。

ただこれだけです笑
まずこの気持ちがあって行く理由を探したという感じです。
やりたいことがあったらやると決めてしまう。そしたらそのための方法を脳が考えてくれます。やりたいけどどうしよっかなーでは大体やらないか、少しトライしてやめるだけでほぼほぼ成功は無理です。

しかし実際にアメリカに行くのにはいくつもの問題点がありました。

お金の問題

最初に降りかかってきた問題はお金です。
正直多額の奨学金を借りている身としては自分のお金で海外留学など不可能でした。親にも迷惑はかけたくなかったし、(というより親に言ってもそんなお金はない)練習時間を削ってバイトをしてまですることではありませんでした。

そこで頼ったのが大学です。もちろん、正規の海外留学ではないので普通に言ってもお金を工面してくれません。
しかし、鹿屋体育大学には学生挑戦プロジェクトという学生のやりたいことを応援するという企画が年に1回あります。
僕は3年生の頃にこの企画に通り15万円の支援を受けてあるところに挑戦を行いました。
そこで今回もこの企画を使おうと思い応募しました。
ちなみに海外の挑戦だと最高30万円支援を受けれます。国内だと15万円です。
鹿屋体育大学と院も合わせて900人弱いますが(大学にしては少ない笑)その中で支援を受けれるのは2、3人だけです。
選考内容は書類審査とプレゼン発表会があります。そこで大学教授や職員20名ほどの前でプレゼンを行い審査されます。
(この経験もあってプレゼンはだいぶ得意になりました)
見事その審査に受かり、満額の30万円を支給してもらい、大学外の社団法人のところにも支援の募集を行い追加で10万円を調達しました!

大まかな経費
飛行機往復代 鹿児島ー羽田ーサンフランシスコ 15万
宿泊 Airbnb  外国人の一室を借りる 21泊  12万
食事などなど            3万

大体使ったのはこのくらいです。あとは買い物とか遊んだり、お土産とかにも使いましたね。

その他の問題

次の問題は語学力でした。
留学に行く半年前から英語の教授にマンツーマンレッスンを週に1回受けて、他の時間でも自主勉強に取り組む等をして頑張って準備していました。
上の経費のところでも書きましたが、宿泊費を抑えるためにAirbnbを利用することにしました。そこでの会話はもちろんオールイングリッシュです。そのためにもある程度は話せるようにしとかないといけません。実際に話せたかは後ほど。

あとは植松さんとのアポイントです。
そこは大学の体操部の先生である、村田先生が僕と植松さんを繋いでくれて、支えてくださりました。海外に行きたいと言ったら、「おう行け行け」って言ってくれて、手助けしてくださる指導者が村田先生以外にいるのだったら教えていただきたい!と思うほど寛大で生徒思いな先生のおかげで植松さんとアポイントを取ることができました。

そのほかにも移動手段やら、練習時間、食べ物や授業との兼ね合いなどなどたくさんありましたがどれも些細なことなので割愛します!

準備完了

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パスポートやESTAなどの申請も終わって準備は完璧。と言ってもいくらネットとかで調べても一度も海外に行ったことがないので不安は消えなかったけど。
そして出発の前日に僕の友達との飲み会があり、ついつい楽しすぎてたくさん飲んで、夜更かしをしてしまいました。その結果、、、

二日酔いで出発の1時間前くらいに起きてバタバタと荷物を詰め込んで出発しました笑

まぁなんとかなるっていう謎の自信とともに日本を飛び立ちました!

こんな感じで次は実際にアメリカに行ってからのことを書きます。
今日伝えたいことは
やりたいことがあるならやると決めること。
その為の準備やリスク管理を徹底して行うこと
この2つがとても大切だなと感じています。
皆さんの中にも何かやりたいけど、何かを言い訳にして諦めていませんか?
諦めれる程度のものだったらいいけど、諦めれないものだったらうえの2つを意識して挑戦してみませんか?
一皮向けた自分と出会えると思いますよ。

今回の僕の場合は大学や、先生、周りの方にとても助けられて初めて実現できた挑戦でした。次のnoteでも書きますが、アメリカでは植松さんに思いっっっっっきりお世話になりまくりました。
何かを行動して周りが応援したくなる選手に今後も目指していこうと思います。


自分のnoteを見て何か思ったこととかあれば気軽にコメントしていただいても大丈夫です。またインスタグラムやツイッターもやっているのでそちらで連絡くれても大丈夫です!それでは次回の更新も楽しみにしていて下さい!

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