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内省するにあたり、ほとんどの場合で抽象度の高い言葉にしっくりきて終わるという陥りがちな誤り

内省するにあたり、ほとんどの場合で抽象度の高い言葉にしっくりきて終わるという陥りがちな誤り。内省を深めるということをワークとして取り組んでいただくに当たりよくあるケースがこの手の話です。

内省について最も古い歴史的記録は、3千年以上前、デルフィのアポロ神殿の前庭に「汝自身を知れ」という言葉が刻まれており、人は内省という行為に大きな関心があることが見受けられます。

例を挙げると、賢いと言われると嬉しい人であれば、賢くないと言われた時に腹が立ったりなどの情動が動いたり、自分が辱めを受けそうな場合には前に出ることを躊躇ったりと、そこに対しての執着があり、行動が抑制されているまたは回避的だとします。

この人の根幹にはどんな認知が隠れているでしょうか。

よくある答えだと、「承認欲求」という言葉が出てきます。この答えを受けてどうでしょう。

ふむふむ、確かに、でしょうか。

これだけだと、言葉の抽象度が高すぎて、手触りがないように思います。手触りがなければ、その問題となる原因を掴めたことにはならないはずです。

この場合、言葉の具象度が足りていないことが多いです。
・誰に対して承認を求めていたのか。
・ここでいう承認とはどういう行動、もしくは状態を表しているのか。
・なぜ承認が必要なのか、それは自分の中の何を満たしているのか。
・何に対する不安や恐れなのか
などなどです。

これが全てではないですが、ここまで言語化できてくるとそこに手触り感が出てくると同時に、自分の脳がもう考えたくないって言ってきます。もしかしたら涙が出てくるかもしれません。

なぜなら、これは”(今は)認知のバグである”とともに、これまでの自分を守るための恒常性(生存戦略)を担っていた核の部分に触れているからです。

変容する時には自ずと向き合わなければいけない部分だと思います。

美しい蝶も、幼虫から蛹になる時には体をドロドロに溶かします。これまでとは全く変わった生活へとステージを変えるためです。

僕たちは成長する中で、全く異質の形状になることはありません。しかし、よく考えてみると幼稚園→小学生→中学生とステージが変わるたび心に葛藤を抱えてきたはずです。

この葛藤が僕たちの心の変容には欠かせないものだと思っています。アンビヴァレント(相反する感情が同時に存在する)な葛藤に置かれた時に人は成長するのだと感じています。

Ayatori Programというプログラムを提供しています。今受講生は講座の真っ只中で、人生で一番内省をする時間を過ごされています。
自分を見つめる時間を作り、本質的な気づきを得て手放すものを決める。
そうすることで、いつもよりフラットな立場で自分を見ることができ、
自分を作り上げている価値観と出会う。
その価値観を持って自分の予想を超える未来を描き行動に移す。

プログラムにご興味がありましたらお問い合わせください。
気軽にヒヤリング時間を設けますので、下記のContactよりよろしくお願いします。


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