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『辞典 調べる江戸時代』「麻畑」「麻田」についての覚書

※さらに現物(一時資料)を調べる前の覚書です。

『地方凡例録』の記載ってことになってるけど著者の読み違えだろうな。「麻田」「麻畑」の表記は納得。ただ、その説明として「春に稲苗〜秋には麻や麦を作る田」ってなってるけど、日本においては米の後に秋から大麻は無理だろうなぁ。米と麦、あるいは大麻と麦だろうな。それならば可能。麦は冬を越すからね。苧麻は多年草だしなぁ。

春から米を作り秋に収穫、その後に麦を播く。まさに日本でおこなわれてきた二毛作。あるいは春から麻を作り秋から麦を栽培する、それはできる。基本、大麻は一年草で冬越せないから秋に収穫ならまだしも秋に種まきは厳しいかな。

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ちなみに稲麦二毛作は鎌倉時代から普及しているようだし、麻麦はありなのかとも思う。僕なら麻麦よりは米麦にするけど、地力として米麦はかなりエネルギー消費するだろうから米が作れない山間部では麻麦の組み合わせはあるのかなぁ。大麻と蕎麦、大麻と小豆などなど組み合わせは様々。

とはいえ、麻畑は良いけど麻田はどうなんだろう。湿田ではなく乾田ならではの二毛作だったのだろうか、、、田んぼでの麻栽培は極めて生育が悪そうに思う。生活必需品として必要不可欠なものとして麻栽培が必要だったということなのだろうか、それとも換金作物としてそこまでして作らねばならないものだったのか、、、。

方法としては、例えば稲と麻を同時に栽培する、あるいは多少時期をずらしつつ栽培するという方法も収穫・播種期間が重なる場合の栽培法として立毛間播種(りつもうかんはしゅ)という方法も理屈上は有りなんだけど、どうだろう、稲と大麻じゃ相性悪そうだ。陸稲という手もあるか、、、単純に記述ミスと考えた方がスッキリするんだけど、、、。

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