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掛け違えたボタン

最後に、会うことも、声を聞くこともできないまま、先生はいなくなった。

初めて出会ったのは、15年まえのこと。

母の主治医だった。

待合室は、いつもたくさんの人でにぎわっていた。診察室からときおり聞こえてくる先生の笑い声が心地よかった。

先生のことを信頼している人、先生に会いたい人がここにはいっぱいいたのだ。

診察室に入るまでに3時間かかることもあった。

先生の専門は、精神科だった。

話しを丁寧に聞く。薬は必要なときに、必要な分だけ。

それが先生のスタイルだ。

心の声に寄り添うことを最も大切にしていた。

母は先生のことを心から信頼していた。信頼していたゆえに、錯乱しているときは気持ちをぶつけることもあった。母は抑えきれない感情をわたしのもとへも向け、先生の目の前で叩かれることもあった。

けれども、先生は動揺することもなく

「あんたを想ってる人に、そんなことはしたらあかん」

まるで子供に話しかけるような口調で母に語りかけた。

あのときわたしは、先生の対応にどこか物足りなさを感じていた。

もっとかばってよ、もっとちゃんと助けてよ

そう思っていた。母の興奮はおさまることはなく、勢いよく診察室から飛び出して行った。

どこに行ったか分からない母の帰りを、外のベンチで待ちつづけた。

悲しみに慣れることはなかったが、どこか諦めのような気持ちを抱きながら、目の前にある景色をただ眺めていた。

しばらくすると、母はなにくわぬ顔で戻ってきた。

「はい」

と、1本のコーヒーを差し出して。

「いらない」

わたしは、受けとらなかった。

母がコーヒーをそっとしまう姿を横目で感じながら、いつかの先生の言葉を思い出した。

「お母さんは、ボタンを掛け違えただけなんや。わたしは、そのボタンを掛け治してあげることができればいいなって思うんや」

わたしの胸がそっと痛んだ。

あれから、何回先生に会いに行っただろう?

ときを重ねるごとに先生は老いていき、やがて終わりのときはやってきた。

先生は、引退した。

どうしても先生に会いたくなり、診療所の近くに住んでいるという情報だけをたよりに、炎天下のなか歩きつづけた。

スマホひとつで何でもできるこの時代に、目で見て足を使って歩きつづけた。べたべたする汗も、まめのできた足の指も、なんだかとても愛おしく思えた。

ようやく会えた先生は

「ようきたな、おおきにな」

と、よく冷えたお茶を差し出してくれた。

そのお茶はまるで、あの日受けとることができなったコーヒーのようで、からからだった心を潤してくれた。

母は、掛け違えたボタンを何度だって直そうとしていた。

知らずしらずのうちに、掛け違えていたのはわたしのほうだった。

そのことに気がつくまでに、長い長い時間がかかってしまったけれど。

先生が教えてくれたことは、この胸のなかでずっと生きていく。

何度だって なおしていく

今からだって 何度でも。


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