かっしー

あーもー!!なんでこうなった?どうすりゃいい? 話したくても、話せない。そんな気持ちを…

かっしー

あーもー!!なんでこうなった?どうすりゃいい? 話したくても、話せない。そんな気持ちをnoteで。いいこともいやなことも、いろいろと。 ひとりごと日記を、いざ。

最近の記事

noteとわたし

noteって才能あふれる人が、あふれるようにいる。 自分もあんなふうに書けるようになりたい、もっと上手で読まれる文章を書きたいとか、思うようになって。 そんなふうに思えば思うほど、書けなくなった。 書くことが好きで始めたnoteだったのに、自分の才能のなさを勝手に感じて、書くことすらできなくなってしまった。 幸せなことや嬉しいことって、迷いもなく伝えられる。 でも、そうじゃない気持ちほど、伝えられないときがある。 悲しみや苦しさが、深ければふかいほど。誰かに話せなくなってし

    • 届きますように

      「たなばた、めちゃたのしみやわ〜♪」 幼稚園の七夕祭りが、待ち通しい息子。 先生の劇や、友達と一緒にするゲーム。 星がたの人参に、ふわふわの玉子で彩られた、七夕ちらし。 きいろ、しろ、みどり、3色の味を楽しめる星がたゼリー。 子どもたちの心を、躍らせるアイテムがいっぱいの日。 明日は、1年にいちどの七夕。 晴れて欲しいなぁ 天気予報をみると、梅雨らしい傘マーク。 「明日、雨や…」 思わず、呟いてしまった。 「え!!あかん!!たなばたまつりあるのに!」 息子

      • 夫をおもう

        「亭主元気で留守がいい」ほんと、その通り ママ友たちは、口を揃えて盛り上がる。 大好きだったあの声も、いつしか呼ばれると面倒になり 大好きだったあのたくましい体も、暑苦しくて寝苦しくなり 大好きだったあの優しい手も、触れられると逃げたくなる。 それでも、生活をしていくうえで夫は必要不可欠な存在なのだ。 子供のお父さんとして 妻の夫として 家庭を支えていく一人として だから、単身赴任ぐらいがベストなのだろう。 人は、毎日、同じことを繰り返していると それを

        • それは誰へ向けた言葉?

          「なんで、できないの?なんで、分からないの?何回いえば、分かるの?」 子育てをしていると、つい感情的になってしまうことがある。寝不足だったり、生理でイライラしたり。体調が悪いときや、時間に余裕がないとき、気持ちに余裕がないとき。 そんなときは、いつもなら気にならない子供の行動が気になってしまう。根気よく見守ることができなくなる。待てなくなる。 まるで、八つ当たりをするかのように、感情に任せて怒ってしまう。そんなときに発する言葉は、だいたい子供を追いつめるような言葉だ。

        noteとわたし

          言葉にのせる

          今、言葉を書いていくことが楽しくてたまらない。 ご飯を食べる時間も、もったいないぐらい書きたい衝動にかられる。 わたしの歩みは、決して楽しいことばかりではなかった。 むしろ、苦しいことの方が多かった。 どんなときでも、唯一やってきたのが書くことだった。 明日なんてこなくていい そう思っていた夜も 今日はなに食べようかな そう思っている朝も 言葉に想いをのせてきた。 人に話す言葉は、なるべくならいい言葉の方がいい。 誰だって、不平不満や暗い話題より、気持ち

          言葉にのせる

          言葉のキャッチボールができない夫婦

          noteに投稿した記事は、いつも夫に読んでもらう。 特に想いを込めて書いたのは 掛け違えたボタン 85文字のプロフィール という記事だ。 この2つは、泣きながら書いた。 夫は、わたしの歩んできた道を知っている。 いろんな痛みを、横でみてきた人だから、誰よりも彼は想いを分かってくれる、想いが響くはずだ。 そう、期待した。 「どう?」 「ん~小説みたいやな」 「え?小説?ちゃうやん、事実やん、めっちゃリアルやろ」 「まぁな。でも、おれ全部知ってるやろ」

          言葉のキャッチボールができない夫婦

          6歳の書く姿にみせられて

          いつから、人をうらやましいと思うようになるのだろう? わたしには、小学生の娘がいる。 彼女は、4月から新しい生活をスタートさせたばかりだ。 毎日、ひらがなの宿題をやっている。 書きかた教室にも通っているので、1週間に文字を書く量はわりと多い。 一生懸命書いても、容赦なく赤ペンの嵐にあう。 それでも、くじけず勇敢にも挑んでいく。 わたしが、やりなさいと言わなくても自分から書き始めるのだ。 何度も消しては、書くことを繰り返す。 もうすぐで、紙が破れてしまいそうに

          6歳の書く姿にみせられて

          掛け違えたボタン

          最後に、会うことも、声を聞くこともできないまま、先生はいなくなった。 初めて出会ったのは、15年まえのこと。 母の主治医だった。 待合室は、いつもたくさんの人でにぎわっていた。診察室からときおり聞こえてくる先生の笑い声が心地よかった。 先生のことを信頼している人、先生に会いたい人がここにはいっぱいいたのだ。 診察室に入るまでに3時間かかることもあった。 先生の専門は、精神科だった。 話しを丁寧に聞く。薬は必要なときに、必要な分だけ。 それが先生のスタイルだ。

          掛け違えたボタン

          言葉のさきにあるもの

          noteの投稿を読んでいるうちに、この人の文章がとても好きだと思える出会いがあった。 もっと読みたいと心が引っ張られるような感覚で夢中になって読んでいる。 どうしてこの人の書く文章が好きなんだろう?と、考えたら答えはすぐに出た。 書いている人の、人柄が伝わってくるからだ。 シンプルにただ自然に、誰かを想う気持ち、優しさとその奥にある強さを感じる。 そんな言葉を放つことができる、その人に惹かれているのだ。 会ったことも話したこともない人に惹かれていく、その人のことを

          言葉のさきにあるもの

          わたしはわたし

          書くことが好きだ。 書くことがただ好きだからnoteを始めたいと思った。 誰にも見せることのない日記ならすらすら書けるのに、いざ書こうとするとどんな風に書いたらいいのかが分からなくなった。 文章の書き方を学び、人気がある投稿も読みつづけている。 読めば読むほど分からなくなってしまった。 型にはまって書かなければ、人を惹きつけるように書かなければ、そんな思いに支配され動けなくなっていった。 下書きをしては修正を繰り返し、修正に修正を重ねまた下書きで終わる。 そんな

          わたしはわたし