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戦争、エイズ、自然災害、そしてコロナ

今、新型コロナウイルスに対して主な対策として効果的なのは、医療の力である。ウイルスや人間の身体に対する直接的な効力を発揮する。だが、医療の力には限界がある。それは、人が医療行為を行うからだ。

人が医療行為を続けるためには、その人が衣食住に事欠かなく、医療現場に適切な環境が整い、患者数が抑えられていることが必要だ。今、それが難しくなってきているようだ。医療従事者は過酷な労務環境にあり、こともあろうに差別被害すらある。医療現場ではマスクさえ不足し、様々なものが不足している。そして、患者は増え続けている。

このような状況を改善するために、人文社会学ができることがあるのではないかと思う。政治や経済の力や、文学や芸術の力。中でも、歴史から学べることがあるのではないかと、最近思うようになった。

今の情勢から連想するのが、戦争、エイズ、そして自然災害の歴史だ。

戦争を連想するのが、政府の対応に不安になる時だ。このまま政府の対応に任せておいていいのか心配な時、戦争の教訓を思い出す。個々人が意志を持って動かなければならない、時には声を上げなければならないと。これはマスコミの対応にもいえる。戦争の時にメディアが扇動したことは大きい。今の時代にあっても、メディアの報道を真に受けてはならないと、我々は知っている。

また、国際情勢に目を向けると、どこか殺気立ったものを感じる時がある。未知のウイルスに対してなす術もないと思ったときに、その怒りや不安を、他国にぶつけてしまう。国民一人ひとりとしては、最も遠い存在として、敵意をぶつけてしまうのかもしれない。そうした安易な敵意に、我々は安易に乗せられてしまいがちだ。そのことも、歴史から学んでいる。

ミクロな目でみれば、医療の最前線はまさに戦場だという。医療従事者には自分の命よりも、医療現場を重視せざるをえない状況がある。安全な環境が整わないまま、健康に留意した労務環境にはないのだろう。それに、差別や、家族と関われない辛さが加わる。

そのことを想像する力を、今の我々は持っているはずだ。医療従事者であっても人間であり、健康に安全に生活できる環境が整備されるべきだと知っている。ましてや、差別することがあってはならないことだとわかっている。医療従事者の今置かれている状況を「当たり前」と受け止めてはならない。

次に、エイズだ。感染症の歴史の中で、最もパニックを起こし、差別と偏見と闘ってきた感染症の一つだろう。かつては死の病と思われたエイズも、今では治療が可能となり、特殊な場合ではあるが完治する例もあるという。社会的にも可視化され、正しい情報を得ることができるようになってきた。

ところが、つい数年前までは、得体のしれない恐ろしい感染症というイメージが先行し、パニックになることも多かった。セックスワーカーや同性愛者への偏見や、罹患者への攻撃だってあった。

もちろん、今でも存在するが、適切な情報がわかりやすく伝えられることで、改善されてきた。特に、予防法が多様になってきたことも大きい。新型コロナに対しても、具体的な感染経路と予防方法が早期に周知されることで、パニックが収まっていったと思う。適切な情報が適切に伝わることで、罹患者数は大きく減らすことができるだろう。特に、「適切な伝え方」が大事だと思う。科学的な事実を、多様な背景を持つ人々に、いかに適切に伝えるかがポイントだと思う。

そして、自然災害である。これまで、自然災害によって「日常」の変革が何度も迫られた。それまで可視化されていなかった不都合な事実、独居高齢者が孤立していること、外国人が情報を手に入れることが難しいこと、持病と共存して生きている人が多くいること、地域の祭が力を与えてくれるけれども衰退していること、等が顕在化していった。それに合わせて、「日常」を再構成していく必要が出てきた。

その結果、コミュニティに力が取り戻され、様々なマイノリティが声をあげるようになっていった。それが、生きやすさにつながっていった。それは、今の情勢にも言えるだろう。これまでの働き方、家族の在り方が見直されているからだ。それが、ひいては医療の在り方、医療従事者の負担削減につながっていくように思う。

このようにして、我々は困難の歴史の中で学んだものを持っているはずだ。それは、必ずこの状況を乗り切るのに役立つ。決して未曾有ではないのだ。持っている手札でできることは、まだまだあるはずだ。ぜひとも、人文社会学の英知を結集して、この状況に何ができるかを、発信していってもらいたい。それが学問の力であり、歴史の力だと思う。

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