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悲劇に疲れたらこの国を去ろう

新年早々怒り狂っている。今日は一粒万倍日という近年話題の選日らしいので、さぞかしここから怒りが吹き上がっていくだろう。

例によって日々、良い仕事がないかと求人をあさっている。ピンとくるようなものに出会えないかと求人サイトを巡る。見えるのは、従業員への愛に足りない記載。それはそうだ。この国において、パートタイム労働は現代の奴隷制度である。某国のような同一労働同一賃金の理念の実現は遠い。これは派遣労働や契約社員においてより露骨になる。少し計算すればおかしいとわかるような労働条件と、趣味の悪い謳い文句が並ぶ。求人票から読み取るのは、単なる労働条件ではない。その企業の労働者への姿勢である。日給の表記にすることで労働時間の長さと時給の低さをごまかす。職務内容の煩雑さを多様な経験と謳う。最低賃金ぎりぎりの給料で働かせようという背景には、企業の従業員に対する姿勢が見える。ひどい求人が跋扈しているものだとあきれる。それでも、それらをありがたがって働くことを選択することを良しとする就職支援や派遣を生業とする企業もまた数多く存在している。

インスタグラムの広告で見つけた教育業界専門の転職エージェントに登録してみた。無料だった。僕は基本的に転職エージェントを信頼していない。転職をビジネスとする仕組みと、人材育成の難しさを考えたときに、どう考えてもまともなエージェントが日本に存在するとは思えなかった。仮に数名は誠実に向き合ってくれ、かつ能力のあるエージェントがいたとしても、そんな人物に出会える可能性は、どう考えても低い。働き方や働くことの意義についても多様性と先進性が進む現在の雇用情勢を的確につかむのは簡単なことではない。同時に、クライアントのニーズを的確につかむことも簡単なことではない。そんな人材を自社で育成することも、そのような人材を外から得ることも、簡単なことではない。一方で、転職をビジネスとすることは難しくはない。企業側と転職エージェント側の利害を一致させることならできる。被雇用者の利害さえ無視すればいい。就職に関するサービスは、あくまでビジネスである。日本において圧倒的に弱い立場だとされる労働者は、そんなビジネスによって消費される。だが、その企業は「教育業界専門」と謳っていることもあって、もしかしたら多少は有益な情報を得られるかもしれないと思い、登録してみた。すぐに面談も予約し、翌日に話をすることになった。

案の定だった。大量の塾の求人と、わずかな私立高校やNPOの求人を紹介された。こちらも長年教育業界で働いている。塾や私立高校の人手不足と雇用の不安定さは身に染みている。一目で「定額働かせ放題」と揶揄される業界の求人だとわかった。そもそも、「教育業界専門」と謳っていて、塾の求人がほとんどというのは、ちょっと話が違うのではないか。しかもこの時期。あげられた求人は、就職サイトでも容易に得られるような情報ばかりだった。もちろん、結果的にその中からより適切な求人をピックアップしてくれたならまだ良いが、どうもそんな様子は見えない。求人情報を見ても、不安が増していく。ついつい「後ろ向きな求人ではなくて……」「塾業界や私立高校には不安が……」と伝えてしまった。そうしたら、「前向きな求人もあるかもしれない」「実際に働いてみないとわからない」という定型句が。さらに、フルタイムでコミットすることへの危惧を伝えたところ、「フルタイムの方が転職に有利です」という発言が。また、兼業や副業について理解がある企業という希望についても、そんなところはほとんどないと。現況において間違っているわけではない。だが、どうしても業界への疎さとステレオタイプな捉え方が感じられてしまう。仮に良い求人情報があったとしても、そんなエージェントを媒介して企業と交渉するのは嫌だと感じた。無料だからか。そもそも転職業界自体のレベルが低いのか。違う。舐められているのだ。求職者が。労働者が。

1月6日(金)の朝日新聞に、劇作家の石原燃が「理解なき多数者から軽んじられる人権もううんざりだ」との寄稿を寄せた。記事は嬰児の遺棄事件を切り口に、マイノリティーの人権について主張している。「マイノリティーの人権は、マジョリティーの理解がどうあれ、実現されなくてはならないことなのに、人権ってなんかうさん臭いという偏見のなかで、多数決に勝つことを求められるのは、もううんざりだ。」と記す。どんな立場にあっても、人権は軽んじられてはならないのだ。本当に、もう、うんざりである。ここに至っても、未だに労働者の権利は侵害され続けている。もちろん、権利は行使されなければならない。労働者が権利を主張していないことが一因ではある。しかし、その権利を意図的に侵害し続ける企業の姿勢の方が、問題ではないか。労働者の弱い立場を利用して、企業の利益を追求していく。労使双方にとって益のあるシステムを作ることは簡単ではない。それでも、それを開発していかなければ、企業は育たないままではないか。結果、労働者の人権を犠牲にするという安易な方法を選んだ企業と、それを良しとする日本社会。その結果が、今の日本ではないのか。

同日から開始した朝日新聞の特集に「30代のRe」がある。今回は「日本からRefuge(避難)」がテーマである。この日は「低賃金と閉塞感 日本脱出を決断」という見出しで、日本の雇用に見切りをつけ、カナダですし職人として働くことを考えている女性の記事だった。この女性に深く共感する。日本の「低賃金と閉塞感」は体感している。それでも、日本も変えられるかもしれないという希望にすがっている。そんな自分に呆れてしまう。この連載は、様々な悩みに対し、政治家が回答していくというものらしい。今回の回答者はデジタル相の河野太郎。深刻な状況と政治の責任を述べる一方で、「あなたが海外に行って成功してくれれば、それは非常にうれしいことです。そして成功したことを日本に持ち帰り、続く人を育ててくれれば、日本の環境も変化していくはずです。」とまとめた。違う。そういうことじゃない。

僕は海外で働きたいと思う。多分日本は、だめだ。少なくとも、日本だけを見ていては、だめだ。多くの人が抗い、動いている。けれども、だめだ。日本は、だめだ、という前提から出発しなければならない。

今日の金曜ロードショーは「ハウルの動く城」である。僕は、ソフィーにとても好感を持っている。ソフィーは、いつも正しい。自分に自信がなく、結果的には失敗につながることもある。けれど、正しさが失敗につながることもあるものだ。今の日本に足りないのは、正しさだ。失敗してもいい。青臭くてもいい。ただひたすらに人を愛し、正しいことをしていくことが必要なんじゃないか。間違ったこと、ずるいこと、恐ろしいことをして成功する時代はもう終わりにしたい。

戦禍に近しい時代となった今、この映画の意義は大きい。戦争とは、実に身勝手で、むなしいものだ。そんなものに、世界は覆われている。もちろん、日本も。それは、爆撃ほどわかりやすいものではない。しかし、爆撃以上の悲劇を招いている。そんな状況に抗い続けること。そしてそれに疲れたら、この国を去ろう。

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