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アクティブラーニングに関するメモ

「アクティブラーニング」は、大学の大衆化に伴って、高等教育において取り上げられ、初等・中等教育へも広がっている。今や、教育の現場にいれば、よく耳にする単語に一つになっている。

教育政策がどれほど教育現場へ影響を与えるのかを、アクティブラーニングを通して、強く感じる。

アクティブラーニングとは何か。ここでは二つの説明を取り上げよう。

一方向的な知識伝達型講義を聴くという(受動的)学習を乗り越える意味での、あらゆる能動的な学習のこと。能動的な学習には、書く・話す・発表するなどの活動への関与と、そこで生じる認知プロセスの外化を伴う。

溝上慎一『アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換』東信堂 (2014)

アクティブ・ラーニングとは「教師が何を伝えたか?」から「学生が何を身につけたか?」への学習の価値転換を図る運動である。

杉森公一「大学教師と学生を繋ぎ、結ぶアクティブ・ラーニング -大学での実践事例から」
化学と教育 Vol.64 No.7 (2016) p328-p331

教師が一方向的に何かを伝えるのではなく、学生が何か(書く・話す・発表する)をしながら、その講義で獲得すべき能力を醸成する営みがアクティブラーニングと呼べるのだろう。

しばしば聞く反論は、一方向的な講義を必死に聴くことも"アクティブラーニング(能動的な学習)"でしょ?というものだ。確かに、辞書的な言葉の意味だけで捉えれば、そうだと思う。

しかし、ここで言っている「アクティブラーニング」や「能動的な学習」は、上記のような説明に従う専門用語だと理解した方が賢明だと僕は感じている。

つまり、上の反論は、言うなれば、社会生活における「仕事」を拡大解釈して、物理学における「仕事」と一緒くたに扱おうとしているようなものだということだ。

さて、先述したアクティブラーニングの説明に基づくと、従来から行われている演習や実験の講義は、アクティブラーニング型講義と言えよう。一方で、アクティブラーニングが取り沙汰されて以降に存在感を強めた講義の例としては、大学初年次向けに行われるグループディスカッションをふんだんに取り入れた、初年次セミナーなどと呼ばれる、講義が挙げられる。

アクティブラーニングに関する思想の歴史を辿ると、ずいぶん昔まで遡ることができるそうだ。例えば、ジョン・デューイ(1859~1952)の「為すことによって学ぶ」という「経験学習」の理論もその根幹を成しているとのこと。1900年代前半の理論だ。

冒頭の説明では、アクティブラーニングは新顔の教育理念のように書いてしまっているが、その背後には、ずいぶんと長い教育理論の積み重ねと再検討があるようだ。

ここまでは、アクティブラーニングにおける活動的な側面(外化)にスポットを当てた。次に、アクティブラーニングにおける沈黙にスポットを当てたいと思う。それは「省察」といった単語で表される。

まずここで、冒頭で紹介したものとはちょっと異なるアクティブラーニングの説明を紹介したい。

学生者が話し合いや具体的な活動を通して思考を活性化し、概念につながりをつけて自分の中に落とし込む機会が与えられる授業

土佐幸子「学びを助けるアクティブ・ラーニングとは?」大学の物理教育 Vol.22 No.2 p64-p67

アクティブラーニングでは、グループワークをワイワイとやることも大切なことが、最も大切なことは、グループワークなどの活動(外化)を通して、思考をアクティブにするだ。

グループワークなどで他者との話し合いを経た後(もしくはその過程)の思考や省察の重要性を見落としてはいけない。つまり、活動を振り返って自分でじっくりと考えることも不可欠なのだ。

そのために、教員やファシリテーターがすべきことは、思考を活性化し考えさせる場や時間の提供なのだと、アクティブラーニングという言葉からは考えさせられる。

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