シモキタと私 2: 学問の街
演劇や音楽のメッカとして知られ,栄える街,下北沢.近年はカレーやクラフトビール,そしてハンバーガーといったグルメも人気店がひしめきあい,ちょっとした激戦区の様相を呈しています.クラフトビール好きで,うしとらの引力に誘われてシモキタに住み始めた私としては大変嬉しい限りです.
そして何よりも今は,古着屋の店舗数が指数関数的に増え,古着の街として急激な成長を遂げています.最近の下北沢は,一つ店が閉店すると数か月後にはそこが古着屋になっている,という謎の「自動古着屋補填システム」を実装していて,稀に「飲食店 → 飲食店」という店の転換を目にすると「あ,ここは古着屋じゃないんだ!」と驚くまでになりました.
このように既に様々なラベルを持つ多様性の街,下北沢.ですが,私はかねてから下北沢という街にさらにもう一つのラベルを,個性を,可能性を見い出しています.演劇や音楽,カレーや古着のどこかサブカル的なイメージとは縁遠いように思えるかもしれませんが,下北沢は実は「学問の街」としてのポテンシャルを持ち合わせているように思うのです.今日はそんな話をしたいと思います.
下北沢という街
「まち」には「町」「街」という二つの漢字があてられます.辞書的な定義はさておいて,行政区域として用いられるのは「町」の方であり,商店などで栄えている様を表現する際に用いられるのはもっぱら「街」であることを鑑みると,「街」という表記で表現されるイメージは,行政によってトップダウンに与えられた無味乾燥な一区画ではなく,もっとずっと動的で,有機的なものだと言えそうです.
そして下北沢.「下北沢」という地名は,存在しません.少なくとも東京都世田谷区には存在しません.つまり下北沢は行政区画ではなく,小田急小田原線と京王井の頭線の下北沢駅を中心として広がる境界の曖昧な領域を漠然と指す名称です.そんな下北沢は今日も無数の店舗がひしめき合って,そこを訪れる老若男女問わないたくさんの人々で賑わっています.紛れもない,「街」です.
行政区域ではない「街」が街であるためには,街を街として成り立たせている「何か」が必要となります.それは恐らく,街にある店舗や施設,そしてそこに住み,働き,食べ,遊び,佇む人々でしょう.店舗が人を呼び,またそこにいる人々が店舗を呼び寄せる.そういう循環が,それぞれの街が持つクセとか匂いのようなものを少しずつ強く,濃くしていって,次第に街の個性が出来上がっていく.
演劇や音楽に代表される下北沢という街の個性も,スズナリや本多劇場,ガレージ (閉店してしまいましたが) や 251 などの施設と,演劇や音楽を志す若者たちとの相互作用によって醸成されてきたのだと想像します.
街には長く続く歴史を持つ店舗,長年住み続けている人々が確かに存在していて,そういう老舗や長老たちが街の個性を支える大黒柱として大きな役割を果たしているという部分もあると思いますが,それ以外の部分では店舗・施設も人々もどんどんと入れ替わっているはずで,新陳代謝のような作用を持っている.その新陳代謝の中で,一度醸成された街の個性も,少しずつ変容していくものと考えられます.
そして現在の小田急線線路跡の開発事業を中心とする下北沢の再開発.
現在下北沢で行われている再開発事業は,上に書いたような街のプレーヤーたちが相互作用することで自然発生的に出来上がっていくボトムアップな「街の作られ方」とは対照的な,都市計画に基づく巨大な資本によるトップダウンの「街づくり」であり,長い年月をかけて醸成されてきた旧来の「シモキタらしさ」を破壊し,どこにでもある「普通の街」に変貌させようとする巨大な権力の横暴だ,という極めて否定的な評価もあることでしょう.
しかしそれもより大きな視点で見ると,街を形作る相互作用の一部として解釈することもできるように思います.再開発の計画は何度も吟味され,修正され,次第に今の形を作り上げていったはずです (例えばこちらやこちら参照).醸成されてきた街の個性が強ければ強いほど,トップダウンの開発計画に対する反対の声は大きくなるはずで,それを無視して強行的に再開発を実行することは不可能です.
つまり,巨大な資本と権力をもってしても,歴史と伝統を持つ強固な個性を前にした場合は,ある意味「対等」な立場でぶつかり合い,相互に影響を与えあうことにならざるを得ないのだと思うのです.現在の再開発の形はその結果であり,誰もが満足しているものでは当然ないとは思いますが,シモキタの人々の声を無視した押し付けの破壊的な街づくりとは決して言えないのではないでしょうか.
「学問の街」のポテンシャル
長い前置きでしたが,ここで「学問の街シモキタ」の可能性について考えてみたいと思います.今のところ,下北沢に「学問の街」というイメージを持っている方はそう多くないでしょう.私も,あくまでも学問の街としてのポテンシャルを見い出しているということであって,今の下北沢に文教エリアや京都市 (特に京大周辺) のような「学問の街らしさ」を感じているかと言われれば,そうではないと言わざるを得ません.
大学生の集う街
遡ること数年前.当時非常勤先の授業が午後の早い時間に終わる曜日があって,その後はだいたい帰宅途中で下北沢のこはぜ珈琲に寄り「本日のコーヒー」をすすりながら仕事を片付けるというのが慣例になっていました.その日も御多分に洩れずこはぜ珈琲ワークに勤しんでいたところ,隣にいた大学生らしき男性二人組から崇高な学術的議論が聞こえてきて,キーボードを叩く手が止まりました.
内容は全く覚えていないんですが,印象としては,カフェで聞こえてくる会話としては全く異質な,何なら大学のキャンパスにいてもなかなか聞くことのないような,教養と知性に満ちたものだったという印象が残っています.
井の頭線下北沢駅から各駅停車で2駅渋谷よりに進むと,駒場東大前という駅に着きます.東急東横線の都立大学のようなフェイクはありますが,この駅は紛れもない,日本の最高学府,東京大学の駒場キャンパスの実在する駅です.駅を降りたら,そこが東大です.そういう立地もあって,下北沢には東大生がたくさん住んでいるようです.私が下北沢に住もうと決めて物件を探しに行った際に,不動産業者の方から下北沢には「東大生専用アパート」なるものが存在するということも聞きました.
恐らくですが,こはぜ珈琲で議論していた学生たちはきっと東大生だったのだと思っています.
また,今度は下北沢から吉祥寺方面に各駅停車で3駅進んでみます.急行ならたった1駅です.すると明大前という駅に到着します.こちらも東急東横線学芸大学のようなフェイクではなく,MARCH の一角,明治大学和泉キャンパスの最寄り駅となっています (東大と違って少し歩きますが).そうなるときっと,下北沢には明大生も大勢いるだろうと推測します.私が現在住んでいるマンションで暮らし始めた際,同フロアの一室が会社のオフィスになっていたのですが,その会社は明治大学の学生さんが立ち上げられたベンチャー企業でした.
私が下北沢エリアに住み始めた理由の一つが複数ある非常勤先への通勤の利便性だったのですが,そうなると当然,勤務先の大学生も下北沢へのアクセスがいい,ということになります.渋谷や新宿,吉祥寺なども近いので,下北沢に遊びに行く学生というのは一部なのかもしれませんが,それでも何度か私の授業を履修している学生を下北沢で目撃することがありました.どれも東京の「西側」,いわゆる多摩地区に所在する大学で,京王線のアクセスがいい大学でした.そういう環境にあると,新宿まで足を延ばす代わりのオルタナティブとして,下北沢というオプションが有力候補となるのだと推測します.
以上,
最高学府,東京大学のほぼお膝元である
MARCH の一角,明治大学に至近である
多摩地区からのアクセス良好で,多摩地区にある大学生の遊び場として有力な選択肢である
という特徴を下北沢は備えていることが確認できました.ここから,やや強引ですが,下北沢は大学の最寄り駅ではないものの,比較的大学生が集まりやすい街であるということができそうな気がします.
いやもちろん他の街と比較の上で分析しなければ「どこもそれなりに栄えている町は同じようなものだろう」という批判にこたえられませんし,「下北沢には大学生以外もたくさんいるだろう」という指摘もあるでしょう.ごもっともだと思います.ですので,あくまで現状どうかということではなく,学問の街としてのポテンシャルの話ということで.
学問と多様性
「学問」と聞いて,みなさん何をイメージされるでしょうか.小難しい議論,難解な書物,最先端技術など,どこか浮世離れした,象牙の塔の中で展開する「遠い世界」のような印象を持たれるかもしれません.あるいは,君臨する偉い「先生」たちによって紡がれる,「権威の象徴」のようなものと捉えられているかもしれません.
良かれ悪しかれ,確かに学問にはそういう側面,そう見えてしまう部分があると思います.しかしながら,学問の世界に身を置くものとして言いたいのは,学問の本質はものごとへの純粋な「探求」にあるのだと言うことです.
物質がどのように出来上がっているか,天体運動はどのような原理で成り立っているのか,生物はどのように進化してきたのか,ヒトに迫る知性を持った人工知能はどうやったら開発できるか.そういった様々なことがらを深掘りしとことん追究していく営みこそが学問の本来であるはずで,その探求の対象が日常生活とは直接関係しづらいものであった場合「浮世離れ」感が生まれ,またその「探求の仕方」が特別な地位を持つようになった場合「権威」的に振る舞うことがある,というだけのことではないかと思うのです.
その探求が「物理学」「生物学」「言語学」のような既存の学問の枠組みに入るかどうかは本質的な問題ではなく,一定の整理されたやり方で何かを探求した時点で,それは学問になり得る.その意味では下北沢の代表的な文化である演劇や音楽も当然ながら学問的探求の対象になるし,実際にそういう研究は五万とある.また単に学問の「対象」とするだけでなく,演劇や音楽を実践しながら,それを自ら学問に昇華させている人も少なくないでしょう.
もちろんただただ自身の「好きなこと」を趣味として突き詰めるだけでは単なるマニア的追求として終わる可能性があり,それを何らかの形で社会実践につなげる,ということが最終的に学問には必要なのかもしれません.具体的には,自らの探求してきたことが「いったいどういう意味を持つのか」ということを時に立ち止まって考え,それを自分以外の誰かに分かりやすく伝え,他の営みとの接続を図ることが求められるのではないかと思います.その点,「表現」を基本とする演劇や音楽は実は学問としての必要条件を完全に満たしていると言えるのではないでしょうか.
様々な文化が共存し,相互作用しながら独特の個性を発揮する「多様性の街」下北沢.その街の一部として,それぞれが専門性を生かしながらものごとを追求する「学問的営み」の実践は,極めて自然に,そして有意義な形で,下北沢という街に調和すると思うのです.
「SHIMOKITA COLLEGE」という事件
そんなことを考えながら下北沢という街で暮らしていた私に,1年半前,大きな事件が起きました.
先に触れた小田急線線路跡の再開発事業で,東北沢駅から世田谷代田駅までをつなぐ「下北線路街」というエリアが出現し,徐々に施設を完成させていき,このほど,下北沢駅前の「ミカン下北」のオープンと,南西口の「NANSEI PLUS」フルオープンによってついに一通りの施設が出来上がり「全面開業」に至りました.
その線路街の一部として,2020年に開業した SHIMOKITA COLLEGE という施設があります.HLAB というサマースクールなどを企画・運営する教育系の一般社団法人が小田急電鉄などと共同で創設したレジデンシャルカレッジで,高校生・大学生・社会人が共同生活しながら学術的交流と下北沢という街への貢献を目指す「学生寮の進化版」のような施設です.公式サイトでは以下のように説明されています:
建設中に何度か前を通りかかって,いったい何ができるんだろうかと気になっていたのですが,調べてみたところこのような施設なのだと知りました.
SHIMOKITA COLLEGE の開業は,私にとっては大きな事件でした.新しくも面白いある種実験的な性質を持つ,相互の学び合いを意図した「学問の象徴」のような施設が,下北沢にオープンする.これは,単に私が妄想していただけの「学問の街」としての下北沢が,いよいよ現実のものとなるのではないかということを強く予感させる出来事でした.
とは言え,家族のいる私が実際に居住するのは難しいでしょうし,「中」に入ってプレーヤーとして「学問の街」を形作っていくという選択肢は現実的ではないため,いつか何らかの形で手を携えていくことができないかと,今のところはぼんやりと考えています.
ちなみに先日の 5月28日・29日の二日間で,下北線路街全域で「下北線路祭」というイベントが開催されていました.私も娘といくつかの会場に足を運んだのですが,そのうちの一つが SHIMOKITA COLLEGE でした.共用部となっている1階・2階が開放されていて,住人の方々が様々な催しを行っていました.子供向けのワークショップもあって,娘も参加させてもらいました.
住人としてはやはり東大生が多いのではないかと思い,そのワークショップを担当されていた方に伺ってみたのですが,確かに東大生は多いものの,意外にも,慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス (SFC) 所属の学生さんも多いという事実を知りました.距離的には決して近くはないですが,小田急線一本で最寄り駅まで通えるというアクセスの良さと,なによりレジデンシャルカレッジの雰囲気が SFC の雰囲気とマッチしているということが理由のようです.
SHIMOKITA COLLEGE を起点に,SFC の自由で新しい学問的空気が下北沢にも影響を与えてくれる未来の姿を夢想せずにはいられません.
展望: 下北沢学会
東大のお膝元であるなど,学問の街としてのポテンシャルを持つように思える下北沢.また学問という営み自体,下北沢という街にフィットすると考えられる.そういう土壌のある街に1年半前オープンした,学問的交流を育む共生施設,SHIMOKITA COLLEGE.いよいよ「学問の街」としての下北沢が現実のものとなりそうな機運が高まっているように思います.
下北沢という街に魅了され,また多分に恩恵に与っている私としては,いつか自らの経験や知識,専門性をこの街に還元していきたいと思っています.その一つの形として,「学問の街」としての「新たな下北沢らしさ」を作り出す先導者の一人として活動できないかというのが,目下の野望です.
そしていつかやってみたいことがあります.下北沢という街に住み,暮らし,働く人たちによる,それぞれの専門性を発表し相互に知見を得る場を作ること.いうなれば,「下北沢学会」の組織と開催です.
いつかみなさんに「下北沢学会」の開催をお知らせできる日が来るよう,精進して行きたいと思います.
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