そのときにはだいたい遅い
おととい、「燃え尽きていて何もできていない、とりあえず本でも読もうと思う」、といったわりと自分にとってはヘヴィ(?)な内容の記事を書いた。
そうしたら、たくさんの方がその記事を読んで下さって、コメントを下さったり、そっと見守ってくださったり(温かい見守りは伝わるものだなと思った)して、励ましてくださった。
記事を出した後所用があって自分の記事に戻れずにいたら、昨日の朝サトちゃんが「みらい、ちょっとコメント欄見てみなよ。大変なことになってるよ。みんな優しくて、感激してしまったよ😭」と教えてくれた。
感謝してもし足りない。
みなさん、本当にありがとう。
もう、言葉にできないくらいの感動だった。
noteの中に、こんなに、分かち合い、寄り添ってくれるかたがたがいるなんて・・・涙なしに読めなかった。
そうか、立ち止まっていいんだ。
休めばいいんだ。
また立ち上がればいいんだ。
ゆっくり歩けばいいんだ。
そう思って今日、noteを開いたら、しいたけさんの占いの6月のフォローアップがちょうどタイムラインに流れて来たところだった。
少し前にnoteのポイントが当たる企画があったけれど、あれで皆さん、当たったポイントはどうされたのだろうか。
私はたまたま500ポイント当たったのだが、正直、使い道に困って結局、日ごろ気になっていた方の記事をひとつと後は全部「しいたけ占い」に使ってしまった。
で、それ以後はちらっと見るだけになっていたのだが、今日タイムラインにしいたけ占いが流れてきて、何気なく自分の星座を見ていたら、6月のフォローアップがなんと「立ち止まりポイント」だったのである。
な、な、なんちゅータイムリーな。
そんなら私のこの葛藤とか懊悩は、今まさに私に必要なものだったのだろうか・・・(しし座の人全員だけど)。
思わずフォローアップ記事を購入してしまったのは言うまでもない。noteのポイント企画の思うツボといったところだ。
でもいい。しいたけさんは間違いないから。笑
さて、そんなこんなで創作は今週、お休みするつもりなのだが、その間、スタエフを聴いている。
最近個人的な事情や思うところあり、特にすまスパを遡って聴いている。何よりも、「あー家事めんどくさ、腰に200キロ級のダンベルかアレイをぶら下げているようだ、なんにもしたくない、動けない」を克服するのに、音声配信はベストチョイスなのだ。すまスパの皆さんの声に、なんでだか身体が動く。
以前、みらっちのほうで書きのたねさん主宰の「リー研」を聴いている話をかいたことがあったけれど、他にも「すまスパ/レインボーモーニング」やおぬきのりこさん、ピリカラジオやgeekさんのスタエフをよく聴いている。
「ハート」の印を押し忘れることも多いし、たまにしかコメントはしないのだが、できれば逃さず!というくらいスタンバって聴いている。笑
「すまスパ」は、朗読があったり、対談があったり、国内外のいろいろな場所のお話が聞けたり、創作について作者さんが語っているのを聞くことが出来たりと、とにかく本数も多いしバラエティに富んでいて、聴き飽きない。少し長めなのも、家事をやっていたりするとちょうどよく感じる(ただし「ながら」なので部分的に聞き逃していることも多いのだが)。
今日聴いたのは、最新のこちらの回。
結論から言うと、ものすごくためになった。
これは、老若男女に知って欲しい、と強く思った。
コメントしようと思ったのだが、コメントに収まり切りそうにないので、やはり書いてしまう。書かせてください。
今回のすまスパは、ファイナンシャルプランナーのピリカさん、ケアマネジャーのおだんごさん、作業療法士のくまさん、介護施設責任者をされているコッシーさんという、介護をお仕事にされているプロの方々のお話。
以前にもやっていらっしゃるのだが、私はこれまた聞き流しになっていて、しっかり聴きなおせていない。でも、こちらを聴いていなくても、お話はよくわかるので、聴いていない方も心配しなくて大丈夫。
皆さん。こういう話は、滅多に聴けない。
とにかく、たいていは「ケアマネジャー」さんに相談したら「ケアマネジャー」さんの話しか聞けないし、もし、作業療法士さんのお話を聞きたいと思ったら、また違う段階になり、違う経過をたどってやっとお話が聞けたりりする。ファイナンシャルプランナーさんにしろ、介護施設のお話にしろ、「その場・その時」が訪れないと、聞くチャンスはなかなかない。とにかく「プロが一堂に会して多方面からの話をアドバイス」というのは、まず無理、といっても過言ではないかもしれない。とても貴重なのだ。
認知症をめぐる問題に関しては、私の年齢にとってはまさに親の年代に切実な問題であるし、自分にも直接かかわってくる問題でもあり、もちろん興味深くはあった。でもそれ以上に、自分の問題としてもとても他人事ではないなと感じる。
現代人はスマホに脳みそを明け渡している感があるので、これからは若いからと言って侮れない、と私なんかは思っている。肉体の機能というのは使わなければ退化するもので、脳も肉体の機能の一部だからだ。
なかなか聴くことができない重要なお話の宝庫なので、ぜひ聞いてみていただきたいと思うのだが、特に私がぜひと推したいのは、「介護をめぐるお金の問題」の話。非常に具体的なアドバイスが目白押しだ。
「親の話と思って聴いていると思うけれど、自分もだよ、パートナーと話し合った方がいい」「保険などは代理人制度の確認をした方がいい」「未婚・独居の人が増えているので制度は変わるかもしれないけれど、今のところはやっておいた方がいい」「契約書関係は本人が字が書けないとどうにもならない。字が書けるかどうかで全然違う。名前を自著できるうちにきちんと整理しておく」「昨日まで漢字で書けていたのに急に片仮名でしか書けなくなったりする」
そして、「100歳まで元気な人はみんな日記を書いている」「俳句とか川柳をしている人もしっかりしてる」というおだんごさんの話。
今日から日記書こう、と思った。(⇠たぶん三日坊主確定)
「手で字を書く」ということは、凄いことなんだ、と思った。
実は実家のほうでは、妹のセイラ(みらっちの記事参照)が元金融関係の仕事をしていたので非常にしっかりしており、そのあたりは抜かりがない。実家の片づけと並行して話し合ってまとめてあるので、そこに関して憂いがない。本当にセイラさまさまだ。おかげさまで両親は身体的には色々あれど認知に関してはまだ問題になっていない。でも、とにかくまだ切羽詰まっていないときにやって良かったと思っている。
そもそも、妹が義実家で「切羽詰まってから色々なことをすることになった」体験をしたことが、上記のように事前に手を打つことに至った動機だった。やはり実際にそういう体験がないと、なかなか、実行に移すことは難しかっただろう、と思う。
認知症の問題にしても、介護の諸問題にしても、お墓の問題にしても、その先に「死」というものが関わってくる問題を、家族で話し合う、というのは結構ハードルが高い。
高齢になっていくと興味がそこに絞られていくものだが、それにしても冷静に話し合うことがなかなかできない。家族の構成員の性格にもよるけれど、家族の誰かが感情的になったりしてビジネスライクに話すのはどうしても無理がある。
先日などは、普段からお墓について「そんなにこだわりがない、海に散骨してもらっていい」みたいなことを言っている夫に実家の墓問題、ひいては自分たちの墓の話をしたらなぜか急にキレられた。そういう話題になって初めてこだわりがあることが浮き彫りになったのだが、とにかく怒るので話にならない。現役で働いている人にはこういう反応は多いのだろうか。自分にこだわりがあることにさえ気づいていないのだ。縁起でもないとか、まだ皆元気なのにとか、その時考えればいいだろうとか、こだわりがない、などという人こそ、要注意であると学んだ。
「話しづらいなと思うと思うけれどそういう時に聞かないとだめ」というおだんごさんの言葉を重く受け止めた。
切羽詰まってからというのは―――
そのときにはだいたい遅い
(byおだんごさん)
なるほど!うんうん!そうだよね!と叩いていた膝が痛かった。
親にはいつまでも大丈夫でいて欲しいから聞かないんだけれど、いつまでもだいじょうぶじゃないからきかなきゃだめ。災害もあるし、甥とか姪とかの立場に降りかかってくる場合もある。危機管理として、普段からいろんなきっかけをみつけて話し合っておくのは大事。
―――名言しかない。
そのために、プロに相談することに慣れておくということ、漠然とした不安の状態の時にこそ準備できることがある、ということも、本当になるほどとと思った。
最後に、認知症になっても活き活きと生活している人が沢山いる、というお話に、励まされた。病気のところだけにフォーカスしないで、全人的に観る、ということが必要なんだな、と思った。
すべてを深刻に捉えなくてもいい。病気があってもなくても、言われて嬉しいことや嫌なことは一緒。
いくつになっても変われるというくまさんの言葉にも、励まされた。
プロの皆さん、素晴らしいお話をありがとうございました!!
詳しいお話は、こちらに。☟
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