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夢幻能 #シロクマ文芸部

 『春の夢幻能むげんのう』という掲示物が目に留まる。夢幻能、と言う言葉と、面をつけた女性とおぼしき人物が烏帽子えぼしを被っているのが気になり、ポスターの前でしばし佇みそれを見つめた。
 演目は『井筒いづつ』。能には詳しくないが、この演目は知っている。伊勢物語の「筒井筒つついづつ」を元にして在原業平ありわらのなりひらと幼馴染の妻を描いたものだ。

 桜に押し寄せる人波に抗うように歩き、たまたま見かけた人気ひとけのない郷土博物館にふらりと入って、郷土の資料や展示物をぶらぶらと見て回った後の、帰り道だった。この辺りは子供の頃住んでいた土地だが、小学生の時に転居し、いまはもう縁故者もない。郷土資料館の昔の写真を見ても、あれがどこだとはっきりとわかる場所はなかった。ただぼんやりと懐かしかった。そして能のポスター。井筒。筒井筒。

 幼馴染にだいぶ長いこと想いを懸けていた。在原業平と妻のように井戸のまわりで遊んでいたわけではないが、この近くの公園で砂遊びをしたり、探し物ごっこをしたりしたものだ。探し物ごっこというのは、お互いの大切なものをそれぞれ公園のどこかに隠し、それを見つける遊びだった。夢中になったが、そのうち宝物に困り、母の宝石箱からブローチを取り出したところをみつかって、その遊びは禁止になった。
 彼とは小学二年生で私の転校が決まるまで一緒に遊んだ。別れの時、早熟な少年だった彼は、15年後に必ずこの公園で会おう、と言った。当時は手紙だけが頼みの綱で、毎年年賀状に「あと何年」と書くのを忘れず、ふたりは15年後、本当にその公園で会った。22歳、彼が大学を卒業する春だった。

 ずっと思い続けていた、というのとは、少し違う。離れていた間にそれなりに恋もしたし、誰かと付き合ったり別れたりした。あえて教え合うこともなかったが、それは彼も同じだったと思う。それでも心のどこかにはいつもあの約束があった。再会には勇気が必要だったが、しかし会わないという選択肢だけはなかった。ふたりは再会し、そしてまるであたりまえのように結ばれた。

 互いに離れた場所に仕事を得ていたので、様々な通信手段と交通手段を駆使して通い合った。遠距離の恋愛には、ある意味「慣れて」いた。だからつかず離れず、追わず追われず、交際は続いた。
 しばらくして彼が遠方へ転勤することになった。当然、結婚して帯同するものだと思っていた。しかし彼はそれを機に別れたいと言った。他に気になる女性もいるという。少なからずショックは受けたが、遠距離の交際に慣れると陥りがちな倦怠には、自分もまた陥っていた。互いに新しい旅立ちをするのもいいのかもしれない、と思った。
 最後に会ったのも、この公園だ。
 幼い頃の思い出をあまりにもたくさん共有していたために、恨みがましく別れたくなかった。早熟なロマンティストで文学青年の彼は、最後に、昔遊んだように宝物を公園のどこかに埋めようと言った。そんな宝物は持ってきていないと言うと、今お互いの身に着けているものを交換し合えばいいという。それは二人の別れを飾るにいい儀式のように思われた。桜の下を掘ると何か出てきそうだよね、あのお話読んだ?というと、莫迦ばかなことを言うなよと苦笑いをしていた。

 それきりだ。
 彼の無事を祈りながら、別れた桜の季節にはこうして、昔住んでいた土地に足を向け、公園や観光地をめぐり、どうしているかしらと思いを馳せる。
 思えば美しい土地に住んでいたものだ。公園の周りは一面桜の木で、春となれば近隣の親子がその下に敷物を並べる。そのそばをすり抜け、そぞろ歩く。

 ポスターの前で、あまりにも長く立ち尽くしていたようだ。
 郷土資料館の館長でもある、近くのお寺の住職が通りかかり、気になりますかと声をかけて来た。
「ええ。新しい能楽堂ができるんですね」
 尋ねると、そうなんですよ、あの公園のところにねと、気さくな答えが返ってきた。出来たらぜひいらしてくださいね、あそこに建つまでは、古い能楽舞台でやっておりますのでねと、まるで自分の家のことのように、住職は言った。
「あの公園、無くなってしまうのですね」
 細く小さな声が出た。
 ああそうしたら、彼には迷惑なことになる。
 きっと、桜の木もみんな掘り返すのだろう。
 宝物が掘り返されてしまうだろう。
 彼の、私たちの、大切な、宝物が。

※※※

 資料館の前に立っていた女性は、全体に古風クラッシックな佇まいで、ワンピースに男物のジャケットを身に着けていた。明らかにサイズが合っていないが、今どきはだぼだぼとした大きめの服が流行りだというから、若い女性もそんな格好をするのだろう。
 新しい能楽堂のことなど話していると、女性はポスターを指さしてか細い声で尋ねてきた。
「こちら、女性を演じていると思うのですが、どうして烏帽子を被っているのですか」
「ああ、これはですね。『井筒』という演目なんです。あらすじはご存じですか。ええ、在原業平と幼馴染の妻の。筒井筒の元のお話の。伊勢物語の。はい。ざっと申しますと、旅の僧が在原業平の住んでいたあたりを通りがかったので夫婦を弔っていると、女がひとり現れるんです。女は坊さんに在原業平のことを語り始めるのです。なにか縁のある方かなと思っていると、その夜、坊さんの夢に、妻が業平の装束を着て登場するんですね。ええ、ですからこれは妻の霊なんです。烏帽子を被って夫の装束を着て、女は在原業平になり切って同一化しているのです。そして井戸をのぞき込むと、思い出に浸るようにうっとりとその姿を眺めるのですよ。翌朝、妻の霊は消えている。僧の弔いで、成仏したのでしょう」
 そのとき一陣の風が吹き抜け、ポスターが一瞬、ばたりと音を立てた。地面の砂も巻き上げたので住職は思わず目を瞑り、ようやく目を開けてみると、女性はいなくなっていた。
 ああ、噂の女だったかと住職は思い、風の行方を追うように街道に目を向けた。春、桜の季節に現れるという女の霊の噂は、このあたりでは有名な話だった。僧は街道に向かって合掌すると、おもむろに今さっき花びらを散らした資料館の入り口にある桜の木を見上げた。昼間の桜はただ凛としてそこにある。桜の木は、今の女が見えていたとも、いないとも何も言わない。

 翌年、能楽堂が完成した。
 公園跡に建てられる際、公園の桜の木の下からは古い骨が発見された。女の骨だということだった。反対側の桜の木の下からは、男物の服が出てきたという。

 以来、桜の季節に彷徨う女の話はぱたりと聞かれなくなった。

夢幻能:現実と異世界、現在と過去が交錯する能のこと。世阿弥が考案した能の一形態。

 筒井筒井筒にかけしまろがたけ 過ぎにけらしな妹見ざるまに

『伊勢物語』(第23段 筒井筒)

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