表現に優劣をつけない
呪いの言葉
どの分野、どの業界においても、世の中にはどういう訳か、どうも人の採点をしたがる人がいる。
〇〇には出来るわけがない
〇〇だからダメなんだ
〇〇なことができれば苦労しない
○○には早すぎる
でも、そんな「呪いの言葉」をしたり顔で言う人には、君らが未来をダメにしているんではないかと言いたい。
もちろん業界や仕事内容、その時の状況によって、適切な場合もあるのかもしれない。
ただ表現に関してはいえば、表現に優劣はないのではないかと思う。
表現とお金
何事にも優劣したがるのは、貨幣経済が存在していることが大きく影響しているのだと思う。もう少し言及するならば、貨幣経済そのものが悪いのではなくて、定量的指標の大小によって、優劣をつける考えを持ってしまった人間なのかもしれない。
(僕自身は、貨幣経済自体は素晴らしいシステムだと思っている)
僕が出会ったアーティストの中にも貨幣経済がなくなればいいと言う人もいるが、理想と現実の秤にかければ、かなり理想論よりの考え方で現実的ではない。(貨幣経済がもたらすメリットを考慮しているのか)
むしろ表現に優劣つけないようにするには、どういった考え方を持って行動していけばいいのか、ということを現実と理想の狭間の中で考えていくのが良いのかもしれない。
表現と競技
表現を競技としている場合については、競技という特性上、採点方式というのが望ましいというのは、納得できる。
表現に優劣はつけない という題名にしてるにも関わらず、実世界では表現に優劣をつけているのではないかと批判があるかもしれないので、あえてここで言及する。
体操やフィギュアスケートなどは、まさに表現の競技である。表現とスキルを用いて、他社と競争していくという古代オリンピアの時代から存在していた文化であるからだ。
誰もが自由に表現できる時代を目指して
日本では定期的に、こんな言葉を目にする。
ちなみに日本には、「文化芸術基本法」(2001年施行、2017年改正)というものが存在している。以下は、その前文の抜粋だ。
ニューヨークにいると文化芸術=表現がすごく身近に感じていたが、日本にいるとまだまだハードルが高いなと感じてる。
日本では、表現のハードルの高いことが表現に優劣をつける事の一因になっているかもしれないと感じている。
そのハードルを少しでも下げることがyosemic をやっている理由の一つでもあったりする。それはもしからしたら、表現者であるアーティストよりも世間一般から見たら非表現者である僕の役割なのかもしれない。。。。
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