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私を包み込んだ「おかあさーん!」

いつも泣きながら読んでいた。

よしもとばななさんの短編集『デッドエンドの思い出』。

この中の、「おかあさーん!」という作品を、

私はいつも泣きながら読んでいた。



私がまだ、自分が機能不全家庭育ちであることを認識していない時にも、

それにうっすらと気付き始めた時にも、

結婚し、母になり、それをはっきりと認識し始めた時にも、

私はこれを泣きながら読んでいた。
泣かずには読めなかった。


小説をあまり読まない私は、特定の作家のファンではない。
よしもとばななさんの作品も、読んだのは3冊ほどであったと思う。
ものすごく大好きで、何度も何度も読んでしまう、というものもない。

その中でこの作品は、なにか引き寄せられるように、
定期的に手に取ってしまう。
ものすごく大好きで、何度も読みたくなる、
というよりも、
私の中の、何かを確認したくて、
未だ言葉に出来ていない、意識にも上ってきていない、
その何かを確認したくて、
またこの本に帰ってくる。

そんな感じがしていた。



どうして、この物語を読むと泣いてしまうのか、私はわからなかった。
この物語の主人公の女性と私とでは、あまり共通するところがないように思えたからだ。


この小説について、noteに書こうと思い、数年ぶりに読んでみた。
やはり私は泣いた。


でも今は、その理由がわかった。
この、切なくも温かい物語は、はっきりしない私の心の輪郭を、優しく描き出していたのだ。
今も昔も、ずっと。




出版社の編集部員である私(松岡)は、ある社員の会社への逆恨みから起こした毒物混入事件の被害者となる。入院中は被害に遭った実感がわかなかったが、退院後に仕事に復帰すると、体が元に戻らないことや周囲から好奇の目で見られることで心を蝕んでいく。
会社の上司から休暇をとるよう勧められ、同棲中のゆうちゃんは結婚を早めようと提案してきた。親代わりに私を育ててくれた祖父母は結婚を喜んでいるようだが、私の実の母親の話は一切しない。
幼い頃に父親が死んで、その後母親とは別れて暮らし、二度と会うことはなかった。私を虐待した母を、祖父母は許さなかったが、私の記憶の中の母親は優しい人で、それをよくおぼえていない。久しぶりに実家に帰って自分の部屋で眠った私は、子供の頃の優しい両親の夢を見る。

あらすじ


職場の社員食堂で、毒物混入事件の被害者となり、殺されかけ、それを大々的に報じられ、めまぐるしく過ぎて行く非日常の出来事も、毒でダメージを負った身体も、「私」はどこか他人事のように感じている。
事件や、それに伴う様々な出来事を通じて、「私」の中の鬱々としたものがどんどん膨らんでゆく。

殺されかけたのに、自分はもう大丈夫だと思っていたり、
自分で自分の身体のだるさがわからなかったり、
そのだるさに罪悪感をおぼえたりするのには、
なんだか馴染みがあった。



非日常の出来事は、ある時、突然身に降りかかる。
もちろん何の心の準備もしていない。
その渦中に居る間は、案外冷静であるものだ。
ああ、あんなことがあったのに、こんなにも普通に日常をこなせるものなのか、と思ったりする。
意外と何でもないことなのかもしれない、と。

だけど暴力的に日常から切り離されたその経験は、確実に自分を内側から蝕んでいく。
私はいつもの私でありたい。
それによって心が乱されたり、おかしくなったと思われたくないし、自分でもそう思いたくない。
私はいつもの私であろうとする。
内側はどろどろのぐしゃぐしゃで、原形を留めるのに精いっぱいであるのに、平気な顔をする。


そんなことが出来てしまうのは、
私が、心を麻痺させることに慣れすぎていたからだ。
あまりにも慣れすぎていた。
だから自分の異常さにも気付かなかった。




悲しみは悲しみとして、
ちゃんと悲しんでやらなきゃいけない。
怒りは怒りとして、
ちゃんと外にだしてやらなきゃいけない。

ためたらためた分だけ、内側から破壊されて行く。


それは幼少期の傷も同じだ。




最近になって、思い出した記憶がある。

小学生の頃、何があって怒られていたのかは覚えていないが、怒った母に、玄関から閉め出された。
私は泣きながら庭へまわり、庭の窓をたたこうとしたが、母がピシャッとカーテンを閉めた。
家の中には、お父さんも、お兄ちゃんもいた。
私はずっと泣きながら窓をたたき続けた。その後はあまり覚えていないが、母は窓が壊れるだか、近所迷惑だとか言って、私を家の中に入れた。
そんなことが、何度かあった。


それよりももっと小さい頃。
夜だった。私は庭にあったエメラルドグリーンのくすんだ物置の中に、閉じ込められていた。
その中は荷物がいっぱいで、戸のすぐそばに、赤ちゃんの頃に使っていたベビーチェアが置いてあり、私はそこに座らせられ、真っ暗な物置の中に閉じ込められていた。
自力で降りて、戸を開けることが出来ないくらい小さい頃。
どのくらいそこに居たのかは覚えていない。覚えているのは、母がその戸を開けた光景。だけどその時の母の顔はまったく覚えていない。



最近になって思い出した。
ずっと忘れていたわけではなく、これまでもたまにぼんやりと思い出しては、特に何も思わず、すぐにまた忘れていたような記憶だ。


私はこれまでずっと生き辛さを抱えてきたが、
この「おかあさーん!」の主人公のように、母に暴力を振るわれたわけではない。
両親も仲が良かったし、食事を与えてもらえなかったわけでもない。
私立の学校へ通ったし、家族旅行もよくしていた。

一見、何の問題もない家族だった。


だから、私が受けたことなど、たいしたことではないと、
ずっとそう思っていた。


母の、私の気持ちを無視した言動の数々も、
私の感情を否定する言葉も、
私の存在を「恥ずかしい」と言ったことも、

大人になってから言われた、
「お母さんアンタのせいで死にたかったんだから!」という言葉も、
全部、私が悪かったからだろうと思っていた。


もっと辛い思いをした人はたくさんいる。
こんなことはなんてことはない。
誰にだってあることだ。


そうやって、私は自分の心の傷も、いつも「誰か」と比べていた。



だけど、
私を否定する母の言葉の数々も、
私をバカにするような視線も、
私ひとりだけが閉め出された悲しさも、
私のせいで母が死にたかったんだということも、

私の心をボロボロに破壊するのには十分だった。



私は「ちゃんと」傷ついていた。


誰かと比べるまでもなく。

そのことを、ちゃんと見てやれば良かったんだ。

私の心の傷を、外側の基準に照らし合わせるのではなく、
真っ直ぐに見てやれば良かったんだ。


希死念慮は抱えてなかったが、落ち込むと私は決まって自分を責め抜いたあげく、最終的に、
『私がいなくなれば全部うまくいくんじゃないか』
という結論にいつも達していた。
どう考えても私が生きていることで、色々おかしくなっている。私が諸悪の根元だから、いなくならなければいけないのではないか。生きていてごめんなさい。

そういう想いを抱えた自分の心を、真っ直ぐに見てやれば良かったのだ。



私が私にしてやれなかったことを、
この物語はいつでも私にしてくれた。
まだ意識にも上ってきていない、私の心の傷を、温かく温かく、優しく包み込んでくれていた。
私はそれを、その体温のようなあたたかなものを、読む度に受け取っていたのだ。

この物語に登場する人の言葉を通して、振る舞いを通して、著者の柔らかな愛情に触れ、
私は何度も、「よしよし」されていたのだ。



小説は、この世に生み出された瞬間から、消えることなく、何十年と、もしかしたら何百年と、私たちの心を震わせ続ける。
物語の持つそのエネルギーに、圧倒される。

この物語はおそらく私が死ぬ時まで、私を温め続けてくれるのだろう。
そして私が死んでからも、誰かの心をそうやって、温め続けるんだろう。

一冊の短編集の中の物語のひとつとして、ひっそりと、だけど確かに。

かつての私のように、自分で自分をあたためてやれない人の元に、この物語が届くことを、願ってやまない。





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