幼少期を振り返ってみて
よるです。
自身の中の気持ちの辛さ、苦しさを整理するためにnoteを始めましたが、第三者視点から振り返ることで、多少苦しさが薄れた気がします。
自身の気持ち、姉の気持ち、両親の気持ち。
大人になり様々な経験をしたからこそ、第三者視点から冷静に物事を振り返ることができるようになったのかもしれません。
以前は、家族に対し嫌悪感を抱き、苦しさ、辛さを抱えていました。
もちろん今もそれは完全に消えた訳ではありませんが、家族に対する見方が多少なりとも変わったのも事実です。
嫌悪感、恐怖心、不信感、苛立ち、、
様々な感情を未だに消化しきれてはいないものの、一つひとつの出来事を振り返ることで、私はあのときこうしてほしかった、姉は私に高圧的な態度を取らざるを得なかった等、気持ちに整理をつけることが多少なりともできているのかもしれません。
だからと言って過去の出来事がなくなるわけではないし、私が受けてきた傷が癒される訳でもない。でも、自身が前向きに生きるためには、過去に対し、自分の気持ちを清算していく必要があるのだと思う。
私は、父親と母親のことが嫌いで、姉のことはもっと嫌いで、
その反面で、なんて不器用な人たちなんだ、と、もっと愛されたかった、と思っているのも事実なんです。
この愛されたい、という欲求は、後に思春期、成人期における恋愛に大きく影響を与えていくわけですが、それはまた別の機会に書くことにします。
振り返った後の現在
今現在、PMDDのため希死念慮真っ最中なのだが、前ほど死にたくなくなった気がする。
以前は、ホルモンバランスの関係で死にたくなっている、ということを理解はしているものの、
「死にたいっていう気持ちが止まらないのが辛いため、死にたい」
と思っていた。ここから飛び降りれば死ねるだろうか、と考えたり、包丁を持ったりすることもあった。
包丁を持って、これで刺せばいつでも死ねる、という状況に安堵する一方、全てが終わってしまう、という事実に自制心を保っていた。
現実の私は、仕事もあり、給料をもらい、自立した生活を送ることができている。人並みに嫌なこともあるものの、仕事にやりがいを感じている。
恵まれていると思う。客観的に見たら幸せだと思う。
でも、死にたい気持ちが抑えられないから、死にたい。
希死念慮は、ホルモンバランスももちろん関係はしているとは思うが、幼少期の経験による自分への自信のなさが、より症状を悪化させている気がする。
自分なんて、生きてても悲しむ人なんていない。
どうせ、誰も私を愛してくれない。
この先生きていても、人の役には立てない。
このような気持ちが、幼少期の経験を自身で解釈し、整理することで、多少薄れたのがよかったのかもしれない。
私は、noteで過去を振り返ることで過去を清算しようとしたが、この方法は、認知行動療法という、思考や行動パターンについて整理し、生活や仕事上のストレスを減らしていくという方法と少し似ている。
こころのスキルアップ・プログラムという、大野裕先生のパワポスライドがネットに載っているので、参考にしてみてください。
この上記スライドの、適応的思考の導き方④の思考的記録表という部分(p.73)を参考に、嫌な出来後や過去の出来事について整理してみるとよいかもしれません。
私の場合、ネガティブに物事をとらえやすく、自身を卑下しやすいのですが、そのような考え方の癖、というものを治せば、少し生きやすくなる気がします。
この先生は、「こころのスキルアップ・トレーニング」という認知療法活用サイトもやっているので、それで自身をセルフケアしてみるのもいいかもしれません。
みんな明るくハッピーになろうね。
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